【コギトの本棚・エッセイ】 「マンガ!マンガ!マンガ!」


深夜にあれこれ考えながらいざ原稿を書こうとしたが、おなかが減ったので備蓄しといたどん兵衛に大好物の唐辛子を刻んで入れて食い散らかして、ふう……、満足して、鼻ほじりながらネット見てたら、なにやら鼻の穴の中が痛い! なにこれ!? 新種の病気!? やばい!死ぬ! そこで、はたと気づいた。唐辛子を刻んだその指で鼻をほじっていたのだ。唐辛子恐るべし、「日々是修行だなぁ」と感慨に耽りながらそんなことを書こうと思ったがやめだ。
今日はマンガについて書こう。

先日、川崎市民ミュージアムに行ってきた。目当ては目下開催中の「『描く!』マンガ展」だった。たんまり原画が展示してあってテンションマックスであった。
内容については、ぜひ足を運んでもらうとして、ともかくマンガである。
実はマンガが好きだ。うむ、味気ない告白になってしまった。
僕の成分のどれほどがマンガ好きで満たされているかというと、
正直、映画の仕事したりしてて、一応映画好きみたいになってはいるが、まあ軽く映画よりマンガの方が好きである。
あと一応「文学造詣深し」みたいな顔してるが、実態はそうでもない。樋口一葉なんて何度も挫折しとる。ろくに通読したこともない。ニワカヘタレ文学かぶれである。
それに比べマンガとくればどんと来いである。
マンガと言えば、映画や文学みたいに摂取するのが面倒くさくない、それだけに世間はマンガ好きで溢れておろう、それはわかっとる。それでもって、それだけハードルの低いメディアなもんでうるさ型や好事家の多い分野だろう、それもわかっとる。調子こいてマンガがどうのこうののたまうとうるさ型がややこしそうだからあんまし大きい声ではマンガ好きを公言したくはない。
でも、マンガが好きなのだ。

どれほどかと言うと……、
はい、脚の手術で一か月入院していた間に、病院併設の図書館に所蔵されていた手塚治虫全集はすべて読破しました。
2001年9月11日同時多発テロ発生時はマン喫で『がんばれ元気』読みながら泣いてました。ちょうど「とうちゃん」が死んだところだったんです。すいません、とりあえず元気がチャンピオンになるまではテロより元気でした、はい。
と、まあこんな感じなほどマンガ好きなわけである。

冗談はさておき、一つ、僕がマンガについて開眼したエピソードを紹介しようと思う。
僕は最初からマンガを「こういうものだ」として読んでいたわけではない。ただ漫然と、たとえば母語を話すように、例えば息をするように、僕はマンガに当り前に接していた。けれど、「国語」として母語を学び、異化してとらえなおすとそれがいっそう光り輝くように、僕がなにをもってよりマンガを愛するようになったかというエピソードである。
おそらくマンガに一番よく似たメディアは映画だろう。
というか、そもそもマンガは映画を欲望して生まれたのだからそれは当たり前のことである。
マンガの開祖は手塚治虫だと言われる。これはある意味間違っていて、ある意味当たっている。僕たちのよく知るマンガの開祖は手塚治虫である。もちろんそれ以前にもマンガはあった。田河水泡がいて、なにより葛飾北斎がいた。しかしそれらはもはやマンガではない。手塚治虫の出現によってマンガは『動的な絵で物語られるストーリー』と定義されてしまったからだ。この定義はいまもってマンガをマンガたらしめている。すごい。
そしてその当の手塚治虫自身が映画を欲望しながらマンガを構築した。だからマンガは映画によほど近接しているわけだ。
そもそも映画は光と影、マンガは黒と白、その両方ともが二次元に浮かんだ「シミ」のようなものである。そんな「シミ」を僕たちはデコードして、時には人生のバイブルにさえしてしまう。なかなか素敵である。

でも、当り前だけど映画とマンガは決定的に違う。この違いは何か……。
それは第一義的に絵が動くか動かないかだと思う。(ここではあえて『音』については措いておき、視覚に限り話題をシンプルにしたい)
ご存知の通り、映画は動画カットの集積によって写っている以上の意味が生成されるもの(モンタージュ)。
他方、マンガで描かれる画は決して動かない。ではマンガはこの動画カットの集積という不可能性をいかにして乗り越えるのか。
マンガはそれをコマによって乗り越える。
このコマによる運動性がすなわちマンガ表現の変遷だといえる。

よく「大友克洋」がマンガの特異点だといわれる。「大友克洋以前・以後」という言葉を聞いたことはないだろうか。
つまりこの言葉は、大友以前は手塚パラダイムの時代、大友以降は非手塚パラダイム、表現の爆発的な多様性を生み出したということを物語っている。ようはコマの運動性を大友克洋さんが大きく変革したということに尽きるのだと思う。

まず手塚治虫のマンガを見てみよう。
…………………………。
一コマあたりの情報量が多いと思わないだろうか。
大友以前、手塚治虫はマンガの映画性をなんとか獲得できないかを模索するうえで、様々な動的記号を生み出してきた。動的な記号=集中線及び様々な付加記号を駆使しコマ内部でキャラないし物語を運動させている。
また時間という観点でも語ることができる。手塚マンガ(及びその影響下にあるマンガ)の一コマが内包する時間経過は伸縮自在である。時に数分の経過を表現していたりする。
コマとコマの連結は、あたかもまさしく映画のカットによるモンタージュをなぞるがごとくである。これを可能にさせているのは、疑似動画ともいえる動的記号にあふれたコマによるものというほかない。

一方、大友克洋のマンガを見てみよう。
…………………………。
実はほとんど集中線がない。いや、あるのだけど、その線はほとんど運動に寄与していない。付加記号に至ってはほとんど汗のみであるといっても過言ではない。
コマ内の情報はどうだろうか。手塚マンガほどの情報量はない。あたかも運動の一瞬を切り取った写真のようだ。
時間はどうだろうか。これを考えれば一番手っ取り早い。コマ内の時間は一定で、どれも一瞬が切り取られている。
では運動性はどうだろうか。
それが、手塚的表現と正反対のアプローチにも関わらず、恐るべき運動性が表現されている。
それはなぜか。
それは運動性を内包した映画のカットと近似値のコマを並べたモンタージュではなく、コマとコマの連結、その間によって生み出される差異が強烈に運動性を表現しているからだ。

こうして手塚-大友を経て、マンガは真に新しい表現になった。
卑近な言い方をすれば映画から独立したのではないかとすら思う。フロイト的に言えば「親殺し」ってなとこかもしれない。

更に付け加えるなら、「大友以降」の運動表現がコマとコマの連結、その恣意性に依拠していながら、恐るべき運動性を表現できている理由には読者の力が不可欠なのだということを強調したい。
なぜなら、コマとコマの間に描かれないメタレベルの恣意を読み取るのは読者であるはずだからだ。そしてあまねく現代のマンガ読者はその読解能力を無意識に駆使している。
すげえ。
これは、長年をかけてマンガが読者を育てた成果だとも言える。そして育てられた読者はとみに高度なマンガのリテラシーを獲得した。
この事実に気付かされた時、僕は胸が熱くなり、さらにマンガが好きになった。

いながききよたか【Archive】2016.09.15

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