【コギトの本棚・エッセイ】 「コワれた本能」
この間、実家に帰った時のことです。
義理の両親においしい焼き肉をおごってもらいました。
ごちそうさまでした。本当においしかったです。
でも、焼き肉って、相変わらず、止め時が分りませんね。
ついつい食べ過ぎてしまいます。
案の定、もともと脂質に弱いたちらしい家人は
ひどくお腹をこわしていました。
貧乏な我が家にとって、焼き肉なんてのは、
数ヶ月に一度の僥倖なんです。
粗食に慣れた胃袋に贅沢な過度の牛脂は禁物ですね。
そして、後悔の念に駆られた家人が導き出した真理は、
「もしかしたら、食欲を満たすだけなら、
咀嚼して、吐けばいいんじゃないの?」
というものでした。
それを聞いた僕はすぐさま反論しました。
「ノド越しというものを忘れていないかい?」
「いや、それも充分に考慮したうえで言ってるの。
しかし、腹八分というものを守りながら、
満足感も得たい、それならば、
咀嚼して吐く、これが一番!
ノド越しは諦めてもらおう。
食欲も満たされるし、太らないじゃん!」
一抹の承服できなさが残るものの、
でも、なんとなく、『そうかもしれない』とも思いつつ、
僕はある映画の事を思い出していました。
それは、伊丹十三監督の『タンポポ』です。
宮本信子扮するラーメン屋の女将が、
山崎努の指南によって店を繁盛させるという
メインストーリーはあるものの、
全編に渡って『食べる』ことに関連した
サブエピソードがちりばめられています。
『タンポポ』は、いわば『食欲』についての映画なんですね。
しかも、非常にフェティッシュな。
子供心に興奮したのは、
なんと言っても役所広司扮するヤクザとその情婦が、
卵の黄身を割らずに口移しする場面です。
なんだか、フロイトの『口唇期』というやつを思い出しますね。
事実、伊丹さんは、映画を撮り始める数年前から、
『精神分析』にはまっていましたようです。
まあ、精神分析というより、『岸田秀』にですね。
この岸田秀さん、僕よりも少し上の世代の方なら、
だいたいご存じかと思います。ニューアカの牽引者で、
日本のラカンと呼ばれた人、らしいですね。
僕はそんなことは全く知りませんし、
というか、伊丹さんの映画が岸田さんの
影響下にあったことも知りませんでした。
ただ、かく言う僕も、学生時代、
相当この岸田さんにはまっていました。
きっかけは、大学の講義でシャルル・ペローの『赤ずきん』を
読んでいた時の事、女性教授が、
「精神分析的な観点から『赤ずきん』を読めば、
様々なことがわかる」といった一言でした。
(たとえば、赤ずきんの赤は、初潮の象徴で、
「森」は当時のヨーロッパにおける野蛮の象徴……、
なんて具合に……)
「精神分析?」
なぜかこの言葉がひっかかり、
当時バイトしていたヴィレッジ・ヴァンガードの
精神世界ジャンルの棚にあった背表紙を見つめながら、
手にとったのが、岸田秀の『ものぐさ精神分析』
だったというわけです。
未読の方は、ぜひ、お勧めしたい一冊な訳ですが、
結局、岸田さんが言っていることはただ一つ、
このお題目だけ覚えて帰ってもらえば、
ほぼ岸田秀を理解できたと言っても過言ではありません。
「人間の本能は壊れている」
はい、この一言で、すべて岸田精神分析は説明できてしまいます。
……すいません、言い過ぎました、
もう少しだけ補足させてください。
「人間の本能は壊れている。代りに、幻想を必要とする」
たとえば、食欲です。
人間は、他の動物と違って、生まれながらに、
食べられるものと食べられないものを区別できません。
放っておいたら、ガラスとバナナの両方を
口に入れてしまいます。
壊れてますねぇ、本能が。
そして、バナナをバナナだと学習して初めて
バナナを食べられるというわけです。
その学習部分が幻想なんですね。
(注:『幻想』ついては、ここでは説明しきれないので、
ぜひ岸田さんの著作を。
併せて、吉本隆明さんの『共同幻想論』なんかも)
なんだか、これだけ聞くと、
アレルギーを起こす人もいそうですが、
僕には非常にすんなり受け入れられました。
かぶれすぎて、斜に構えていた時期もあるくらいです。
「どうせ、食欲も性欲も恋愛も、本能の代替物、幻想さ」なんて。
若かりしある時、イギリスに留学していた時代です。
ロンドン大学の法学部に在籍して国際弁護士を
目指している日本人男性と、お酒を飲む機会がありました。
弁護士を目指すくらいですから、
彼はやけにポジティブで正義に対して
なんの疑問をもっていない様子です。
僕は、なんだか無性にいらいらしてしまいました。
まあ、彼にしてみたら、ようは人間というものを
僕よりも信じているだけのことだったんでしょう、
ただ、でも、それが妙に鼻についたのです。
そこで、岸田さん受け売りの
「人間の本能は壊れている、ようは正義だって幻想だ」
の演説をぶったら、こっぴどくやり込められてしまいました。
「君、本で読んだ知識を披露してるだけじゃないの?」
そう言われたら、ぐうの音もでません。
素直に謝るしかありません。
僕の人生なんてほとんど本から得た知識の受け売りなんですから。
ただ、ようやく子供を持つ身になって、
そんな本から得た知識が、
あながち間違いではなかったなぁと実感する今日この頃です。
赤ん坊の頃から、彼を見ていると、
まさに本能は壊れていて、
家庭という幻想の中から一瞬でも
リアルな世界に飛び出してしまうと、
即座に生命が危うくなってしまう存在なんだなぁと
つくづく感じます。
愛おしいという感情さえ、
それがなければ人間は子供すら
育てられないという幻想なのかもしれません。
ちなみに、伊丹さんと岸田さんの対談が、
朝日出版社から出ていて、
この本が、めっぽう面白くて、ためになります。
伊丹さんが、岸田さんの講義を受けるという形式で
話が進むのですが、伊丹さんも、超絶インテリなので、
お話がかなりエキサイティングです。
こんな感じで。
岸田「結局、すべては幻想なんだから、むきになるなト。
とにかく、正義とか、聖なるものとか、
神秘的なものにろくなものはないですね」
伊丹「ともかく正義は悪である、
というのが、私が戦争体験から得た教訓ですね」
さて、食べたいという欲は幻想、
なにかの代償行為だったり、
ヒステリーの抑圧だったりする、
ってことはわかりました。
でも、頭でわかっちゃいるけど、止められませんよねぇ、
夜中のカップラーメンとか。
ちなみに、今、夜中の2時です、
ああ、幻想の食欲が湧いてきたようです。
コンビニ行って、カップラーメン買ってこよっと。
いながききよたか【Archive】2015.05.14