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『箱男と、ベルリンへ行く。』(四)

・『シャルル・ド・ゴール空港のエスプレッソ』
 
トランジットはシャルル・ド・ゴール空港です。まあまあ、予想していたより快適な第一空路を終え、パリに降り立ちました。およそ、二時間半、空港で過ごします。

『PARIS VOUS AIME』のサイネージがお出迎え、
日本語で言えば、『あなたが愛するパリ』というところでしょうか。
私と関さんです。


トランジットという時間が私はわりと好きで、意外と印象的な旅の思い出として残ったりします。
何をするというわけでもなく、本当になんでもない時間がただぼやっと過ぎていきます。そうした時間が思い出として残るというところにどこか不思議さがあります。
たとえば、ディズニーランドに行ったとして、目的のアトラクションにライドしたことよりも、むしろ行列に並んでいる時の方が印象に残ったりしていることの方が多かったり。

旅のお伴の関さんと三峰さんと三人で、ひとまずカフェに陣取ります。
私はもっぱらコーヒー党なのですが、ヨーロッパを訪れて残念なことは、なかなかペーパードリップコーヒーにありつけないこと。フランスはもとよりエスプレッソの国ですし。

このエスカレーターを下った先に『キャビア・ハウス』
その手前、右には『スターバックス』見切れておりますね。

わたし達がまず陣取ったのは、ターミナル2Fの『キャビア・ハウス』。別にキャビアが食べたかったわけではなく、無作為の結果です。やはりエスプレッソしかなく、仕方なく頼みます。店員の中年女性には、かつてイギリス留学時代に訪れたパリでの記憶そのままに、極めて愛想はありません。が、それは苦言として言っているわけではなく、別にこっちは店員さんに愛想など求めていませんし、それでいいのです。
関さんと三峰さんは、Wi-Fiの具合がどう、とか、明日の予定がどう、とか話していたように覚えています。コーヒーに対するこだわりも未塵も感じません。

私はというと、だいたいエスプレッソというのは、元来大人のデザートという位置づけなわけですし、普段、絶対にコーヒーに砂糖など入れられては困る私でも、一応はマナーに従い、砂糖なり、チョコレートなりを入れて、三口で飲み干すという流儀を外したりはしません。
(一応、エスプレッソのいただき方を指南しておくと、シングルエスプレッソに、コーヒーシュガー一杯を注ぎ込みます。そして、デミスプーンが添えられているものの、決してそれを使ってかき混ぜたりなどしてはいけません。一口、苦みを味わいます。二口、微かな甘さにたどりつきます。三口で飲み干し、充分にほろ苦甘い液体を楽しみます。ようやくデミスプーンの登場です。小さなスプーンの先で、カップの底に溜まったエスプレッソの飲み残しと、溶け残るコーヒーシュガーを一緒にすくい、口に運びます。この苦さから甘ったるさへのカーブを味わうことこそ、エスプレッソの醍醐味です)

つまり、エスプレッソなど、私の手にかかれば瞬殺なのです。すぐに手持ちぶさたになります。二人を見ると、まだ楽しそうにあれやこれや話しながら、エスプレッソをちびちびやっています。
そうだ、煙草を吸おうと思い立ち、すぐそこの喫煙所へ向かいます。
(イギリスは断固除いて)フランスやドイツが優れているのは、禁煙ファシズムが浸透していないところです。基本的に、喫煙の自由は保たれていて、しかしながら、嫌煙家にもきちんと配慮されている空間デザインが敷かれています。加えて言えば、さすが共和制の国と言うべきか、公共に対する考え方も確立しているようで、屋外での喫煙にとやかく目くじらを立てる風潮はどこにもありません。(屋外はつまりパブリックスペース、誰のものでもあるはずです。もちろん、喫煙者のものでもあり、嫌煙家のものでもあるわけです。喫煙をめぐる諸問題を考える時、私は同時に『自由』についても考えをめぐらせることが多くあります)

喫煙者にとって、シャルル・ド・ゴール空港はとてもよい環境でした。
エスプレッソを飲み干し、もはやそこに座っている理由のない私は、煙草二三本のために、喫煙所とキャビア・ハウスを往復し、それでも、まだ二人はWi-Fiがどうのという話題を楽しげに話しています。あろうことか、まだエスプレッソを少々カップに残しながら!

Wi-Fi談義をしている二人の写真が見当たらなかったため、
コーヒーと煙草の欠乏により、頭がおかしくなっている私
と、それを冷淡にあしらう関さんです。


もちろん、私はマナーを他人に押しつけるような野暮天ではないので、じっと彼らのエスプレッソが終わるのを待ちました。視線の先には、スターバックスコーヒーがあります。
『二軒目、かならずスターバックスのフィルターコーヒーを飲む』という決意が湧きます。
別に、私はスターバックスのコーヒーが好きというほどのことはありません。あそこが出すコーヒーに対する考え方と、私が持っているコーヒーの概念が根本的に違うからですが、しかし、選択肢がなければ、背に腹はかえられないでしょう。
ようやくWi-Fi談義が終わりにさしかかりました。私の決意を伝えると、さも『はあ? またコーヒー飲むの?』と関さんは言いたげです。いや、実際言っていたかもしれません。
私は『エスプレッソとコーヒーとはまったく次元の違うものなのだよ』とは、口に出しませんでした。
たったいまコーヒー的な物を呑んだにもかかわらず、スターバックスに吸い込まれる私を二人は、おそらく怪訝に考えていたに違いありません。でも、いいのです。人の真意など言葉を尽くしたって所詮理解されないのですから、黙して怪訝に思われていた方が気安いというものです。

無題


ちなみに、満を持してありついたフィルターコーヒーだったのですが、シャルル・ド・ゴール空港のスターバックスのコーヒーはやっぱりスターバックスのコーヒーで、別段私を満足させてはくれませんでした。

(いながききよたか)


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