【コギトの本棚・対談】 映画『まんが島』公開記念 守屋文雄 最終回

第三回

縁あって、守屋文雄監督「まんが島」を試写で拝見しました。
そうしたら、どうしても監督本人のお話しを聞いてみたくなりました。
つてを頼りに、お願いすると快く受けてくださいました。
実際お会いしてみると、お話しは尽きず、ついつい時間を忘れてしまいました。
とにかく、お読みください。
そして、「まんが島」を観てみてください。

(文責:いながききよたか)


profile:
守屋文雄(もりやふみお 1976年生)
2001年、日本大学芸術学部映画学科卒業。
2005年、「ヒモのひろし」が第二回ピンク映画シナリオ募集に入選。
その後、脚本家、俳優、監督として活動。
2012年、映画「キツツキと雨」(沖田修一監督)、2016年ドラマ「ディアスポリス 異邦警察」などの脚本作品がある。
2017年㋂、満を持して監督作品「まんが島」公開。


・『そこに騙されちゃいけないんです』

いながき:同時代人について聞いてみたいと思います。
気付けば、現在、1975年から80年生まれくらいの人たちが活躍しているような印象があります。昔からの友人、知り合い、ライバルたちの活動を見ていて、尻に火が付いたなんておしゃってましたが、どういう関係を築いていますか。

守屋:現場で会うというのが基本になってきますよね。それは撮影の現場だったり、台本の現場だったりしますが、現場で会うというのがメインで、飲みに行ったりとかは、周りが家庭を持つようにもなってきて、どんどん減ってきてはいますよね。
意外と、入江くん(入江悠)ともしばらく会ってないんです。自主の時は二つくらい呼んでもらって、出たりしていたんですが。

いながき:俯瞰して考えると、自主映画出身の人たちがすごく活躍していて、上の世代の人たちからすると、「なんだ、現場の作法も知らないで」というような意見も聞くけれど、でも「それはあんたらの怠慢のせいやろ」と、僕などは思ったりして、でも今ある流れがいいなと思うのは、同世代が作った面白い映画をひっきりなしに見られるからです。そういう時代だなと思います。意外とかつてなかったような気もしますが。

守屋:気付けば、みんなプロになって10年くらい経ってるんだよな。

いながき:そうなんですよね、僕もちょうど10年ですね。
昔は、新宿などで演技論、演出論を戦わせたサロンのようなものがあったというじゃないですか。
守屋さんの回りはそういうサロン的な集まりはあったんですか。

守屋:俺の場合は冨永さん(冨永昌敬)と沖ちゃん(沖田修一)くらいかな。なんかのときに冨永さんに呼んでもらったりして、でも、サシはないかな。それこそ、カウンターの向こうが川瀬さん(川瀬陽太)だったりとか(笑)。演技の話とかは、……してるか。

いながき:結構、我々って行儀がいい印象があるんです。かつての人たちより。

守屋:行儀はいいですよね。でも、そこに騙されちゃいけないんです。

いながき:(笑)みんな腹に一物ある感じがね。そこがワクワクするんだけどね。


・『ぶっ壊れている映画を作りたいと思って』

(ここで、弊社の関さんが登場します)

関:二作目は準備してるんですか。

守屋:準備はしてるんですが、別の仕事の台本を作らなくちゃいけなくて。
また時間の合間をみながらになるんですかね。

関:脚本家として仕事で作るものと、ご自身の映画は変わってくるんですか。

守屋:いや、「まんが島」みたいなことは、これが最後、いや、またやるかもしれませんが、次は、ちゃんとしようと(笑)。

いながき:「まんが島」に関して、念頭においた映画とはあるんですか?

守屋:それってみんなあるのかなぁ。

いながき:そうですよね、『まんが島』に関していえば、なにかに奇しくも似ていることはあっても、作っている間はないような気がしたんです。

守屋:自分がこれから作る映画について、なんらかの映画のような感じと言う人もいますよね。お手本というかサンプルになるような映画があって、自分の映画のネタと対比するというか。それって、自分の映画を客観視する方法なんだろうなぁ。
「まんが島」にそういう対比する映画があるのだとしたら、面白いもので言うと、ああ、面白くない映画というか、面白くない映画と対比してもしょうがないですよね(笑)。なんだろう、ぶっ壊れている映画を作りたいと思って、ぶっ壊れてる映画がお手本として横にあってもしょうがないじゃないですか。
ということで、多分なかったですね。具体的な映画は。

いながき:と思ったのは、「まんが島」を見ていて、観客としてですよ、奇しくもなんらかの映画を想起させてしまうものがあると思ったんです。というのも、それをすると観ている方は楽だから、あくまで観客の態度なんだけど、あくまで無意識的に監督の映画観が凝縮されてしまっているのかなと思って、それも好ましく思ったんです。監督が、ではなく、観ている僕の方がレファレンスする映画がバッと出てくる。映画を見るとき僕はこの感覚が好きなんです。
例えば、勝手に僕の好きなあの映画とあの映画を思い出した、とか。
ただ、作っている方はそれをちゃんと想起していない方が多い。これって不思議だなと思うんですよね。

守屋:そうですよね。実は『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』には衝撃を受けました。

いながき:ポール・トーマス・アンダーソンですか。実は僕もとても影響を受けました。

守屋:ですよね。なんだかわからないけど、なにかトンデモなくいけないことが起こっている感じとか、あとは映画としては大したことがないと思ってるんですが、『ダークナイト』のヒースレジャーのジョーカーはトンデモないことになっているとか、そういうところですよね。あの二人を倒そうということは考えていましたね。(笑)

いながき:『まんが島』を観て僕が思い出した映画は、「爆裂都市」と「地獄の黙示録」と「さらば方舟」と「神々のたそがれ」と「マタンゴ」、島、きのこ、みたいな。 僕が思い出したものはまったくストーリーじゃないんです。映画そのものが映画としてボンと立って居るものばかりです。
別に映画を披歴して、映画好き同士が、あそこがどうこうという話をしたいわけではまったくなくて、ただ無意識に思いださせてくれること自体に僕としては面白い映画だなと思うわけです。
あからさまにオマージュしてますという映画なんかよりも感心します。
書いている時などに警戒心が湧くんです。書いてる瞬間に、「これ、アレっぽい、自分の中のアレが出て来た」という瞬間に「危ない」と思うんです。どうしたって、そういうの出てきませんか。

守屋:手癖じゃないんだけど、知ってるパターンみたいなことですよね。
ちゃんとパクるって本当に技術が必要じゃないですか。ちゃんとパクれればいいものもあるし、でも、そういう技術的なことは俺にはないからなぁ。
一緒に台本をやってたいまおかさん(いまおかしんじ)が、ずっと台本が書けなくて、パクるみたいなことは常にあって、あるとき最終的になにをしたかというと、丸写ししたらしいんですよ。

いながき:いいですねぇ。

守屋:そういうことがインタビューで書いてあって、会った時に「丸写しってなんですか」と聞いたら、「だから丸写しだよ。一行目から写したんだ」と。(笑)


・『他人の本を直してる感じがしなかった』

関:打ち合わせの時は監督と二人が多いですか、プロデューサーも交えてですか。

守屋:プロデューサーと会う前に監督と作戦会議の時間は持ちますね。

関:いわゆるプロデューサーが言う、こういう人に一番届けたいということや、思い描く規模などを聞かれて書くんですか。

守屋:それって、みんな言われて書くんですかね。

関:枠組みを聞いてから想像する方が書きやすいんじゃないかと。

守屋:俺は、そういうことを言われたことはないですね。けど、それがもしかすると、いろいろな人とやっていないということかもしれないですね。沖田といまおかさんが一番多いんですけど、いまおかさんはピンクだから、基本女の子が脱いでくれればいいと、沖田に関してはそういうのはないんじゃないのかな、沖田が作るということはこういうことだから、というところで書きますね。

いながき:ディアスポリスの時はどうだったんですか、というのは、共同脚本って実は我々にとって悩みの種で、共同脚本と一口に言えど、まあ千差万別で、毎回やり方を発明しなければならないわけで。

守屋:面白い話があって、ディアスポリスの時は、冨永さんの回は台本やってないんですが、三カ月で三人の監督とやらなきゃいけなくて、茂木さんと(茂木克仁)、真利子の哲ちゃんと(真利子哲也)、最後に熊切さん(熊切和嘉)だったんです。初めて熊切さんの書いた台本を読んだんですけど、自分が書いたのかと思って、字の並びがすごく似てるんですよ。最初読んで、そんなことを思って、打ち合わせで聞いたら、改行して一文字余るのがいやだから、なんとかして一時詰めてとか、あと「からだ」という漢字を、身体と書くんです。他人の本を直してる感じがしなかったんですよね。不思議だったな。

いながき:この話はすごくわかりますね。シナリオって、実はビジュアルですよね。

守屋:ぱっと見のですよね。

いながき:ぱっと見て、一番わかりやすいのは、ト書きのない人ね。テレビの人はあまりト書きを書かない人が多い。尺という意識があるから、さっき言っていたこの一行のための三行のト書きというのはばっさり切る。セリフで構成するんですよね。始めに状況ト書きがあったら、あとはセリフなんですよね。
あれ、僕はすごく読みにくくて、でも監督は撮りやすいという人が多いですよね。

関:まんが島は何ページぐらいなんですか。

守屋:印刷台本の字並びを間違えたんですよね。今見返すと、とんでもないページ数になってるんですよ。二時間で収まらないような。でも、全体が107分で、シーンも2シーンくらいしか削ってないんですよ。シーン自体はたいだい残っていますね。


いながき:(台本を見て、)厚いですね。

守屋:ちょっと多いですよね。なんか、ひさびさに読んだけど、多分ト書きが多いんだ。今はこんなに書かないもんな。

いながき:改行ってどういうイメージでします。

守屋:ト書きの改行ですよね。さっきのビジュアルの話じゃないですけど、なんとなくひと塊にまとまってるのが好きなんですよね。でも、改行ってどうやってんですかね。

いながき:僕は、職業脚本屋なので、一応明確には決めてて、すべてその限りではないですが、自分の感覚のカットのつなぎ目で改行します。そうすると、必然的に長くなったりもしちゃうんですけど。
共同脚本の時、プロデューサーからシナリオを短くしてほしいというオーダーがあって、その作業を同僚に任せたりするじゃないですか、そういう時も、一応、改行は守りつつオミットしてねと頼んでいました。

守屋:俺、いわゆる脚本家の方と共同脚本ってないんですよ。いつも監督としかなくて。脚本家と共同脚本って大変ですよね。

いながき:大変さはありますよね。

守屋:なんで共同脚本なんてやらせるんだろう。

いながき:でも、僕は共同脚本って嫌いじゃなくて、それは橋本忍さんの受け売りだけど、よくなることもたくさんあるんですよね。目が増えるんで。それは監督との共同脚本とはまったく意味が違いますよね。

守屋:ほんと、監督との共同脚本は、大変なんです。

いながき:監督との共同脚本は、同時通訳者みたいな、翻訳家みたいな感覚じゃないですか。意図をくみ取ってどう書くかみたいな。

守屋:ありますね。

いながき:脚本家同士だとその辺は話が早いんですよね。シナリオライターの脳って特殊なんですよ、やっぱり。
監督ってアイデアの人だったりするじゃないですか。こうなったら面白くない?っていう。それはとっても映画にとって必要なんだけど。

守屋:そうなんですよね。

いながき:(「まんが島」の台本を見ながら)句読点が多いですね。
実は、僕もどうしても句読点が多くなるんです。これは単なる手癖なんですが。

守屋:沖田がね、多いんですよ。それは人に言われて多くしてるって言ってましたね。その方が読みやすいからと。


・『わからないから書いている』

関:脚本家は決定稿を刷ったら一応仕事としては終わるわけじゃないですか。その後、本読み(※)などがあるんですが、本読みは行かれたりしますか?
(※:撮影の前に、実際に役者を交え、シナリオを読み合わせること)

守屋:脚本家では行ったことはないですね。ありますか?

いながき:僕はけっこう行くことが多いですね。

関:本読みの時、シナリオについての話を監督から話す場合と、脚本家がバックグラウンドを話す場合と両方ありませんか。監督のやり方次第ですが、ちゃんと脚本家を呼べという監督も結構いらっしゃって。

守屋:そうしたら、脚本家はそこでちゃんと喋らなきゃいけないですね。
俺、そんなことやったことないな。

いながき:同世代の方たちは自分でホンを書かれる方が多いですしね。
僕の場合は、少し上の世代の方たちと書くことも多かったことが影響してると思います。
まあ、本読みや現場でいろいろ聞かれるのも困ってしまったりしますけどね。

守屋:書いたらから読んでよって思いますけどね、二回くらい読んだらわかるからって(笑)

いながき:役者さんから結構聞かれることはあったりしますね。

守屋:それは答えが欲しいから聞くんですかね、それとも話がしたいからなんでしょうか。

いながき:ああ、それは多分話がしたいってことなんでしょうね。人にもよりますけど、安心したいんだと思いますね。

守屋:例えば、わからないからこのセリフを書いてるんだってことは言いますか?

いながき:それは、僕はこわくて言えないです。いろいろ取り繕っちゃいますね。でもあんまりよくないですよね。だって、わからないですよ。理屈で書いてないところの方が多いですもん。

守屋:人によるかもしれないけど。「わからない」と言った方が得な気がする。

いながき:そうですね。僕も今度言ってみます。「わからない」って。

守屋:そこで話が拡がりそうじゃないですか。

いながき:脚本家って、実は監督よりオールマイティって思われてることが多いような気がします。実は考える時間がそんなに与えられないにも関わらず、書いてるから全部わかってるでしょって、でも、本当はそこまでわかってないですよ。

守屋:説明のつかないこのシーンの並びから、全体を考え付いたんだよとかね。

いながき:まさしく、そこに快楽があったりもしますからね。


・『そういう撮影なんだとスイッチが入った』

関:守屋さんは、現場に行くことはあるんですか。

守屋:演者として行くことが多いですね。スタッフとしてはほぼ皆無ですね。キャストで行っても、キャストはゲストですからね。わからないですよね。現場のことは。

いながき:台本を書き、監督もやり、そういう純粋な役者ではない立場で、演じることはどういう感覚ですか。

守屋:どうなんでしょう。でも、俺は演じることについては、「よし、演じるぞ」という「乗り越え」のようなものを感じたことはないですね。
結構地続きですね。なんかやろうとすると、監督に「そうじゃない」と普段の感じにされて、あんまり芝居がかってない感じにされますね。

いながき:お芝居って難しいですよね。
(サイトビジュアルを見て)しかし、本当に汚れてますね、「まんが島」の登場人物たちは(笑)。

守屋:カットがかかっても、この人たちにきれいな休憩場所が待ってるとは思えないですもんね(笑)。たまに極限状態の映画とか見るんですけど、「この人たちには、カットがかかったら、あったかいストーブとか待ってるんでしょ」みたいなことを考えちゃって。

いながき:それに比べ「まんが島」は撮影自体がサバイバルっぽいですもんね。

守屋:やっぱりそうだったんだと思いますよね。本編の中だと大したシーンに見えないかもしれませんが、松浦さんが海に入っていくところ、ここは本当に危なくて、台風が来たあとで、波も高かったし、誰かが流されたらどうしようということがありましたね。それが撮影の二日目くらいで、序盤だったんですけど、そこから、これはそういう撮影なんだなとスイッチが入った感じがしましたね。

いながき:それにしても役者さんは全員魅力的ですね。

守屋:どうして誰も台本の内容に関して何も言わなかったんだろう。

いながき:それは役者陣に聞きたいところです。つまり、理性や、つじつまのようなものを極限まで排してる台本なわけですよね。それって、役者としては演技のとっかかりをどこかに発見することが難しいような気もするんです。彼らはどこにそれを見つけたんだろう。
ただ、「まんが島」の登場人物たちは、完全に一貫して「まんが島」のキャラクターでした。
僕は普段の松浦さんを少々知っているんですが、「まんが島」のスクリーンの中の松浦さんは、まったく僕の知っている松浦さんではなく、「まんが島」にいるまんが家でした。だから明らかに演技はしてるんですよね。彼らは根っこを見つけたわけですよね。

守屋:宇野さんもこういうことしてくるとは思わなかったもんな。
本当は俺、水澤にしか演出してないんですよ。他に手が回らなかったていうのもあるし、もうちょっとセリフをこういうふうに言ってくれっていうことは一切言ってないんですよね。テイクも、面白くなりそうだからもう一回やろうという感じはあったんですけど。面白いからお任せしてしまいしたが、政岡さん(政岡泰志)のキャラクターとかも、もっとちゃんと演出したかったんですけど。

いながき:いや、僕は映画を見ながら、やがて政岡さんがマーロン・ブランドに見えてきました。まんが島の長になっていく感じがカーツ大佐やないか!と。

守屋:政岡さんが変な言葉を喋るシーンあったじゃないですか。あそこは、ひとまず台本を渡して、さすがに説明しなきゃと思って、衣装合わせで、「政岡さん、あそこのシーンなんだけど」って切り出したら、すかさず「大丈夫、大丈夫」って、大丈夫しか言ってくれないから、俺も「わかりました、じゃあ、お願いします」って、だから結局なんにも言ってないんですよ。

いながき:すごいですね! それにしても、僕は「まんが島」には嫉妬が湧きます。

守屋:いながきさんは撮ったりしないんですか。

いながき:撮りたいんですけどね。でも、僕って、すごく理性的な人間で、そこが自分の嫌いなところなんですけど、理性で撮ってしまうのが自分で見えてしまうので、怖いですね。
あと、プロデュース的視点に欠けていて、届けるという作業をどうすればいいのかまったくわかりません。なんとか、監督というところまでは想像できるんですけど。

守屋:俺も、今、それで迷惑かけながら、怒られながら、やってる状況だと思います。すぐに見抜かれるくらい不向きそうでしょ。

いながき:でもですね、最終的には、映画に愛されてるかどうかだと思うんです。恋愛と同じで、僕がどれだけ映画を愛したって、映画から愛されないと、監督だのプロデュースだと言ってられない。僕はあまり愛されていないような気がしてて、あとは技術で埋めていかなきゃいかない。そして、それは映画を見ていればわかる気がするんです、この人は少なくとも映画の方から愛されてるか否か。
そういう意味では、「まんが島」の守屋さんは映画に愛されているのだというニオイがします。

(17/3/7 コギトワークスにて)


後記:
守屋さんとは、このインタビューを行う一週間前が初対面でした。
なんとなく隣にいて、ピタっとくるような、それでいて次に何が起こるかわからないような緊張感を漲らせるような、そんな方でした。
「まんが島」を観て、守屋さんの話が聞きたいと思い立ち、そしてインタビューの日が来たわけですが、その会話は、文字では伝わらない沈黙、言葉のやり取りの隙間に起きる思考の痕跡まで含めて、とても心地よく、同時に緊張感のあるものとなりました。
おそらく、それは、今までぼくが話した誰かとは全く似ていないものです。
守屋さんは、じっと相手の話に耳を傾ける方でした。おもむろに話す方でした。僕は勝手によいインタビューになったと心底感じています。
ありがとうございました。

さて、「まんが島」は3/25から公開しています。
ありきたりですが、みなさん、観て下さい。
映画は本来、出会いがしらに出会ってしまう類のものだと、普段から感じています。「まんが島」はまさに、出会いがしらに出会ってしまうべき映画だと、僕は思っています。

(いながききよたか)

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