【コギトの本棚・対談】 黒田紫 第一回
いつの日からか、仕事をするようになって、
時折、悩んだりするとき、
誰かの話を聞いてみたくなることがよくあります。
そういえば、昔から、
なにかの仕事をしている人に興味があって、
いつか、いろいろな人に話を聞けたらなと思っていました。
その道に長けた人々の話に耳を傾けると、
なぜか聞いた後、ちからをもらった気になります。
ということで、これを機会に、さまざまな仕事人、職業人から、
滋味溢れるお話をうかがいましょう。
今週から、お話をうかがうのは、黒田紫さんです。
さて、その職業は……?
(文/構成 いながききよたか)
プロフィール:黒田紫(くろだゆかり)
大学在学中18歳で日本初のプロチアリーディングチームのメン
バーとなり国内外のスポーツシーンで活躍。卒業後、神奈川県立
高校で英語・ダンス・チアを教える。子供の潜在能力を最大限に
引き延ばす独自の指導法で数多くの日本チャンピオンチームを育
成、世界大会に導く。かたわらプロ野球、Jリーグのチアチーム立
ち上げに多く関わる。多くの病と闘いながらも母子家庭で2人の
子供を育て上げ、2人を共に医学部に合格させる。母子家庭とい
う経済的・精神的に苦しい環境で2人の子供を医学部に入れた教
育法は多くの若い親たちに多くの勇気を与えている。また、脳梗
塞・メニエル病・バセドー病・摂食障害など多くの病気と闘い復
活した経験をもとに講演活動も行っている。
52歳の現在も現役チアリーダーとして活躍中。
第一回
――名刺はお持ちですか。
黒田:はい。
ここにきて急に、本屋さんへご挨拶に
行ったりしなくてはならず、
急激に名刺が必要になって……、
(名刺を渡しながら)すいません。
宜しくお願い致します。
――よろしくお願いします。シンプルな名刺ですね。
実は、名刺が気になったというのは、
肩書きが見たかったからです。
そこに書かれてある肩書がまずは、
その方の仕事なのかなと思いまして。
でも、黒田先生の名刺には、肩書が書いてないですね。
黒田:はい
――どうしてですか?
黒田:肩書が必要ないからです。
――なるほど
黒田:(笑)
――このインタビューは、
〝あなたの職業、教えてください゛という副題なんですね。
ただ、黒田先生の場合は、
かなりいろいろな側面があるのかなと思って、
その辺がおもしろくなりそうであり、
ちょっと不安なところもあり……。
では、ずばり……、あなたの職業はなんですか?
黒田:そうですね……、
一番つまらない答えで言えば、「公務員」です。
やっぱりお給料いただいているのは、神奈川県からなので。
生業としているのは、「高校の教師」ですね。
でも、私の気持ちの中では、
それは、一部分でしかないんです。
――「公務員」ほかにも、いろいろあるということですね。
黒田:はい。数えきれないほど。
――その数えきれないものを教えていただけますか?
黒田:そうですね。
自分の携わっている子供たちの保護者の方以外にも、
いろんな方から相談を受けたりとか
アドバイスしたりしているので「教育アドバイザー」。
子供たちにダンスを教えて、
大人の人にも教えているので
「ダンスインストラクター」も肩書かもしれません。
あとはイベントのために、ダンスの振り付けをしますので、
言うなれば「コリオグラファー」というのもそうだし……。
人が振り付けをしたものを演出する
「演出家」っていうのも入るし、
あとは、今回、縁あって本(※)を
書かせていただきましたけど、
いろんなところで原稿を書かせていただいているので、
そういう意味では「エッセイスト」というか、
なんていうんでしょうか?
(※『90%は眠ったままの学力を呼び覚ます育て方』風鳴舎)
――「著述家」……でしょうか?
黒田:というのもあるし、あと頼まれれば踊るので、
「チアリーダー」っていうのもあるし……、
なので数えきれないですよね。
名刺に肩書きをつけていないというのは、
お目にかかってから、お話をすれば
私という人間を分かってくださるでしょうし、
むしろ肩書がないほうが相手の方も
何も先入観なく話が出来るかなと思って
何も書いていないんです。
――なるほど。じゃあ、「黒田紫」というお仕事ですね。
黒田:そうですね。
「黒田紫」というのは、実は、本名ではないんです。
離婚をしているので、
旧姓に変わっているはずなんですけど、
圧倒的に「黒田」の名前でお仕事している時間のほうが
長いんですね。
その間に親しくさせていただいたお友達とかが、
急に苗字が変わっちゃうと戸惑っちゃうので、
それは、仕事上での名前です。
――では、その生業とおっしゃった、
「学校の先生」というものに、
日々の多くの時間を割いているということに
なるわけですよね。
それは、僕らが想像する「学校の先生」でいいんですか?
黒田:そうです。朝出勤して、朝と夕方HRやって授業やって…。
――なにを教えてらっしゃるんですか?
黒田:英語です。
――高校ですか?
黒田:はい、高校2年生の担任をしています。
――先生というと忙しいイメージがあるんですけど。
黒田:そうですね。忙しいです。
こないだfacebookで1日の半分以上、
職場にいるので……と、書いたら、
みんな「えっ!!」って(笑)。
実際、本当にそうなんです。
7時ちょっと前くらいには出勤して、
夜も気が付くと20時くらいになったりしているので、
間違いなく12時間以上いるんですね。
それは、教師としての仕事をしている時間です。
――それ以外の時間で、先ほどおっしゃっていたような
活動をされているんですか。
黒田:夜にやっています。
――寝る暇がなさそうですが……。
黒田:そうですね(笑)。
ナポレオンの睡眠時間が3時間だったらしいですけど、
私も夜中3時くらいに寝て6時には起きているので(笑)。
――え?!
黒田:だから、大体3時間くらいです(笑)。
でもその分、一か月に一回くらい
36時間くらいに寝るんですけど、(笑)。
そこでちょっと補ったりしています。
――そうなんですね。
実は、数年前、一度、お会いさせていただいてるんですね。
その時、本(※)を読ませていただいて、
ものすごく魅力溢れる方だなと思ったんです。
その時には、まず「チアリーディング」というか、
「ダンス」というのが、先生の中心にあるんだろう
という印象を受けたんです。
「ダンス」との関わりについて伺えますか?
(※『先生はプロチアリーダー!』マキノ出版)
黒田:そうですね。
大学時代、ずっと「ダンス」をやっていました。
でも、あの頃は、「ダンス」をやっているからといって、
それが仕事になるわけではなかったんですね。
なんとか生活していかなくてはいけません。
そこで、「ダンス」を教えたいと思ったんです。
踊っていて、つらい思いもしたけれど、
それに勝る楽しい思いをたくさんさせてもらったので、
それを高校生にも味わせてあげたいなって思ったんですね。
もうちょっと、容姿に恵まれていたら、
違う道を選んだかもしれないんですけど(笑)。
そこまでの容姿もないし、才能もなかったので、
じゃあ次に「何が出来るかな」と考えた時に、
やっぱり教えることかなって。
それで、学校の教師になったんです。
「英語」を教えたくて、というよりは
「ダンス」を教えたくて、先生になっちゃったんですけど。
それで、ずっとやってきたんですけど、
今は、昔と違い、私が新採用で入ったころよりも、
圧倒的に、仕事量が多くなってしまって、
部活で子供たちに「ダンス」を教えるということが
本当に厳しくなってきたんです。
会議をやって一段落ついて、さぁ練習行こう!と思うと、
17時半なんですよ。
でも、私が行くと生徒も喜ぶので、
それでも1時間くらいは見に行くんですが、
なかなか厳しい状況ではあります。
私も、52歳になったので、
たぶん今作っているチームが生涯最後のチームなんですね。
自分の子供たちも自立したので、
本当に孫を可愛がるように生徒たちを
可愛がっているんです。
生徒たちもこちらが可愛がると応えてくれるんです。
すごく懐いてくれて……、
部活の生徒だけじゃなく、クラスの生徒達も。
いまは、孫が何百人もいるような感じで……(笑)、
だから、わたしは、「ダンス」のおかげで
心の均衡を保っていられる感じがします。
――では、黒田先生と「ダンス」の出会いから、
ひもといていきたいと思うのですが……。
黒田:はい。ダンスは子供のころから好きで、
チャンスがあったらどうしても
アメリカに行きたかったんです。
今は何人もの日本人がアメリカで活躍していますけど、
当時、日本人はゼロでした。
アメリカのチアリーダーって、日本人というだけで、
オーディションを受けさせてくれない時代だったんです。
でも、なんとか行きたくて、
ちょっとずつ氷を溶かすように、探ってみて、
今のようにインターネットで
簡単に探せる時代ではないので、お手紙を書いたんです。
『私は、日本に住む黒田です。
ぜひ、おたくのオーディションを
受けさせてください!』って。
でも、どんなに私が一生懸命お願いしても、
国籍がジャパンというだけで受けさせてもらえなかった。
そういう時代だったんです。
でも、諦めるのも悔しいので、
いつか歴史が変わるときが来るかもしれないと思って、
そんな時、たまたま東京駅の構内に
「日本で最初のプロのチームを作ります!」
という大きなポスターを見つけちゃって
「もうこれしかない!」と思って、
テストを受けにいったんです。
それで、そのチームに入れていただいたのが第一歩です。
チームに入って、本当に良い友達にも恵まれました。
今はJリーグでもプロ野球でも専属の
チアリーダーのチームがありますけど、
当時はなかったので、
本当に、言われれば、どんなところでも踊りました。
そこで、いろんな方たちと巡り合い、
それがいろいろな出会いに繋がりました。
――日本のチームに入った後、
今度は先生になって教える側になるわけですよね。
どちらの高校に赴任されたんですか?
黒田:川崎にある県立の住吉高校が一番最初の赴任先です。
――そこでダンスを教えることになるわけですよね。
部自体はあったんですか?
黒田:なかったんです。
――創設して生徒を集めて、なんと、1年目でしたっけ?
黒田:3か月です。
――3か月でしたっけ!?
黒田:はい、3か月で日本一に……。
――創設して、3ヶ月で、チアリーディングの全国大会で
1位のチームに、育て上げるわけなんですよね。
これは本当にすごいことなんですが、
実際、黒田先生と直接接していると、
なんとなく、そうなることも不思議じゃない、
と思えてきてしまうんですよね。
そこに黒田先生ならではのすごいマジックが
隠されてるんじゃないかと思ってしまうんですが、
改めてその辺の秘訣みたいなものをうかがいたいんですが?
黒田:そうですね。
今は、例えばどんなスポーツにでも言えると思うんですが、
理論的に生徒を指導し、
チームを作り、育成していくことが増えました。
これはこれでよいことだと思うんですね。
ただ、私の頃はそんなのなかったんです。
何が良いとか何が悪いとか考える間もなく、
とにかく良いチームが作りたかったんです。
良いチームっていうのはつまり、
子供たちがこのチームでダンスが出来て
嬉しいと思えるチームのことです。
そのためには、まず力をつけさせて、
まだ高校生で若い子たちなので、
やっぱり結果がついてきたほうが
喜ぶだろうと思って……、
じゃあ、どうせなら日本一にしちゃおうと……、
だから、日本一になることしか考えなかったんです。
こちらがそのつもりでいると
生徒もそうなると思っちゃうみたいで。(笑)
――実は、僕は、前回、黒田先生に取材させてもらった後、
生徒さんたちにも、お会いしたんです。
当時、たった3ヶ月で日本一になった生徒さん達です。
彼女たちのお話を聞くと、黒田先生との出会いは、
すごく幸せな出来事だったんだなぁと思ったんですよね。
さらに、黒田先生マジックについて、
突っ込んで聞いてみたいんですが。
黒田:そうですね。
たぶん、いろんなスポーツ理論を
提唱している方たちをテレビなどで、
よくお目にかけるんですけど、
彼らは知恵でチームを作るんですね。
でも、私は感性しかなかったんです、
頭がよくないので……(笑)。
本当に何も考えないというか、
理論を考えられる頭脳ではなく、
ただ、豚もおだてれば木に登らせられるくらいの
マジックをかけることが出来る力は
あったんだと思うんです。
(第二回に続きます)