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『箱男と、ベルリンへ行く。』(六)
・『ベルリン第一夜、なんかこわいようなところだがん』
我々を乗せたエールフランス航空機は、夕方シャルル・ド・ゴール空港を出発し、ものの一時間半でベルリン・ブランデンブルク空港に到着しました。ヨーロッパを一つの岬に見立てた哲学者がいたそうですが、確かにそれも頷けます。様々な根拠を持つ人々がひしめき合い、イギリス、アイルランド、アイスランドを除けば全ての国は地続きで、大小の国々が隣接し合い、国境という恣意的な線をまたげば、異なる言語が話されている土地、歴史的に見れば、血を血で洗う争いに明け暮れ、同時に濃密に血と血を混ざり合わせてきた場所。そこに特権性などないと常に自戒しながらも、私は、気付けばヨーロッパという言葉に特別な匂いを嗅いでしまっています。
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すでに日は暮れて、ベルリンは夜。私にとってドイツは初めて訪れる国です。
私は、学生の頃、イギリスに留学していたことがあるのですが、その時訪れたのは、フランスの各地とオランダくらい。せっかくヨーロッパの端の島国にいたのだから、なぜ、ほうぼう訪れなかったのか、今更ながら後悔するのですが、中でも、ドイツには当時からおぼろげな憧れと、劣等感を抱いていたものです。
私は元々フランス文学がやりたくて大学に入ったのですが、なにを考えたのか、大学二年を終えて、フランスではなくイギリスに留学しました。時は1997年、当時カルチャーの中心は、やはりなんといったってパリではなくロンドンだと信じていたのです。
その頃は、ブリティッシュカルチャーをアンダーグラウンドそのものだと考えていたものの、今思えば、アンダーグランドどころかそれは限りなくポップな、あからさまに世界を席巻するような陽性のカルチャーだったのではないか……、そう総括できそうです。
では、真にアンダーグラウンドの発信地はどこだったか。当時の私にもそれは、暗にわかっていました。それはドイツです。ミュンヘンであり、デュッセルドルフであり、ベルリンであったはずです。
時間が答えを出していると思われます。例えば、美術を例に採れば、当時、ロンドンでは、ダミアン・ハーストなり、ギルバート・ジョージなりというブリットアートと呼ばれるアーティストたちがもてはやされていました。ですが、(あくまで個人的に思うところでは)今じゃ彼らなど屁の突っ張りにもならない気がします。いまや、ブリットアートは結局露悪さばかりが売り物になっただけだったという感じがします。他にイギリスにはなんといってもホックニー、ドイグがいますが、確かに権威があると思われるものの、一方、ドイツにはやはりリヒターがいて、アンゼルム・キーファーがいて、ハンス・ハーケがいて……。
まあこんな固有名をあげつらってもあまり意味があることとは思えませんが……。
にも関わらず、私は十代の頃からドイツの方を向こうとはしませんでした。
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三分割された空と家と地面、同じ時間軸が収められているとは限りません。
時間どころか、次元すら違うかも。
しかし、空から白いものが微かに家に舞い降りようとしている!
加えて、私は、最低限の英語と極めてささいなフランス語を解することはできますが、いかんせん、ラテン語系ではない言語はからっきしで、もちろんゲルマン語系の言語はまったくといっていいほど解しません。学生の頃「もうそこまで手が回らない」と諦めてしまった感があります。ドイツ文学の方もからっきしで、避けていた気配すらあります。音楽の趣味も幼稚で、アメリカやイギリスのポップス、ロック、ジャズばかりたしなんでいました。ドイツの音楽で聞いていたとすれば、バッハ、ベートーヴェンでしょうか。
ただし、唯一、ジャーマンカルチャーで熱狂したものがあります。ロンドンで初めて観たファスビンダーの映画です。あれはいいものです。最初に観たのは『自由の代償』でしたか、イギリスともフランスとも違う、ファスビンダーが、私の『ドイツ』を決定づけたといっても過言ではありません。
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リヒターはこの絵を完成させるのに40年かかったといいます。
「ビルケナウ」はホロコーストの一部……。
さらに上記の写真は、四幅ある「ビルケナウ」のうちのさらに一部。
ブランデンブルク空港を降りた私の目に始めに飛び込んできたのは、とあるデジタルサイネージでした。BMWの先進的な車が疾走しております。
空港に降り立ち、始めに目にする広告が、実はその国をよく表わしていると思ったりします。日本では、まずマリオブラザーズが到着を歓迎してくれたりしますよね。
ベルリンで、私を最初に歓迎してくれたのは、BMWでした。他にもあらゆるところに車の広告。噂に違わぬ機械の国です。(ひるがえって日本は「こどもの国」とでも言うべきか……)
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荘厳ですね。
無事、スーツケースをゲットした我々は、さすがに疲れ切っており、一刻も早く宿泊予定のBnBにたどりつくべく、空港を後にしました。
列車では無く、タクシーに乗り込みます。
我々がしばし宿泊する宿は、ベルリンはミッテ区の北、ヴェディング地区。かつての西ベルリンに位置し、東ベルリンとの境界に近く、密入国のためのトンネルが掘られた場所だとも聞きます。
ただ、まだその時点では、ベルリンの地理がまったくわからず、まさしく右も左も分からない状態。ただただ、タクシーの窓の外を眺めているだけ。
その景色は、私の知っているヨーロッパとは、どこか趣が違う気がします。
まず、道が広い。
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街中、いたるところにこんなポストモダン建築が!
ロンドンもパリも、郊外のハイウェイはもちろん道が広いわけですが、なんというか、ベルリンは、ロンドンやパリとは、都市の構造そのものが違う気がします。
(空港を出て、タクシーの窓から見ただけの判断なので、とてつもない印象批評ではあります)
なんか、街が暗い。
ロンドンは、もちろん、東京などとは違い、ギンギラギンではありませんが、それでも、なんというか、もう少しショウアップされている気がします。大してベルリンは、まるで、必要以上のライトをなぜ点けなければならないのか?と考えているのかと思われるほど、薄暗い。真っ暗ではありません、あくまで薄暗いのです。
建物がでかい。
おおよそベルリンは建築物の街だと、なんとなく耳学問で知っていたのですが、実際接すると、実感としてあらわれるのは、「でかい」でした。私はでかい建物がものすごく大好物ですが、ここまで連なるとなんだか、空恐ろしく感じられます。
そうして、導き出された、ベルリン第一夜の私がベルリンに対して持った第一印象は、「なんか、コワい」でした。
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グラフィティの施されていない場所はないというくらい、どこもグラフィティだらけ。
「街の裏側ばかりを撮るやつだった」
付言しておくと、ここでいうところのコワいは、恐ろしいや、怖ろしいや、畏れや、そうしたものではなく、郷里の愛知の人が、よくいう「なんかこわいようなところだがん」というアレです。よく知らないところに、ポンと投げ出されて、不安だ、という意味に近いかもしれません。
まあ、とにかく、私のベルリン第一夜の感想は、これです。
「なんかこわいようなところだがん」
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ニコラウス・ブラウンの「ベルリン・ストリート・シーン」(1921)です。
トラムが走っていますね。アレクサンダー広場あたりでしょうか。
戦間期のベルリン絵画であることに注目。
(いながききよたか)
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