本物とは
スピリチュアルに関してただの日記。
昨日、とあるスピリチュアルブロガーの悪口(真実)を書いたせいか、スピリチュアルでブログを検索していたら、『本物のスピリチュアルブログとは』…という記事に引き合って笑った。
それによると、悪いことを言ったりマイナスな言葉を言ってくるような人は偽物だそうだ。
圧をかけたり、怒鳴ったりする人も、依頼主にマイナスを与える者すべてが偽物だそうだ。
それなら…
良いことしか言わないのが本物なら、町中の占い師と一緒じゃないか。と。
“悪いことは言わない”、というのは商売や社会的なNGというだけであって、職業に属していない人がこれを守る義理はない。
(自分が本物の覚醒者であるなら、そんな無責任な約束ごとを守る分だけ嘘になるし、マイナスな言葉や態度にでさえも愛をつけることができるので間違いは絶対に起きない。万が一間違いが起きても自分の責任として処理する)
相手に非があるなら、それを指摘するのも愛だということ。
自分の子供が間違った学習をしているのにこれを直さないような親と、間違いをきちんと指摘する親。
どちらが正しいのか、ということ。
もちろん、こちらも怪我すること(傷つくこと)を覚悟で、真剣に向き合う。
昭和の古い話だが、自分の子供が不良になってしまい親でさえも手がつけられない、という情けない話がけっこう頻繁にあった。
大抵そういう家庭には愛がなく、夫婦共に働いているような家だった。
忙しさから子供に無関心になり、お金や物を与えるだけで内面的な教育は全くしない。
ある程度大きくなった頃には手をつけられない状態だった…という話。
生まれてくる子の魂としての高い低いは少なからずある。
それに見合った教育が必要となり、理想としては相手のレベルに合わせて教える必要がある。
これが得意なのは男性性のハイヤーセルフなのだが、今現在男性性個体は高次元のエネルギー(愛)をつけることができない。
(エネルギーを物や金に換えてしまうので、先ほどの不良のいる家庭と状況は同じになると思う。だが、そうすると社会という体制に任せることでしか我が子を更生することができず、親としては無責任な状態となる。果たしてこれが正しいと言えるのだろうか?)
なので、もしこれを三次元的にアプローチするなら、男性性が表面化されるようになった中期~後期覚醒の女性性個体を用意しなければならない。
これによって怒りも愛も同時に与えることができ、人の内面の固執を消したり、正しいことを再認識させることができる。
とは言っても、女性性個体がやっと男性性にシフトチェンジする方法を知った…というところで、三次元行動するにはまだまだエネルギーが足りていない。
低い魂(低い精神性の個体)の更生ほど大きなエネルギーが必要になり、それには自然のような大きな怒り(=エネルギー)が必要だということ。
男性性個体の放つ愛や心のない怒りではなく、女性性のように過去の実体験からきちんと心を持ち、本質を理解しているからこそ(低い次元に)落ちないよう叱る、という愛。
その奥深さにこそ愛は潜んでいるので、表面上の薄っぺらい情報だけを読み込むだけの男性性では力不足だと言わざるを得ない。(ただし、エネルギーの大きさは男性性個体のほうが勝る)
そして、怒りなどの大きなエネルギーは三次元ではマイナスになる。今現在でマイナスを与えずに更生させられるというなら、その魔法を是非とも教えて頂きたいものだ。
だが、詳しいことを全く発信していないところを見ると、魔法を理解しているとは到底思えない。
そういった魔法があることは確かだとは思うが、まだ創り出すことはできていない。
(創り出せていたのなら、繋がっている人たちの脳内にもその発想が浮かぶだろうから)
こういった情報を発信する側が、このような根本を履き違えているという事実。
優しいだけの愛や楽しいだけの愛は偽物だということ。
それともう一つ愚痴(笑)
頼んでもいないのに勝手にリーディングを行う者に注意せよ、というような記事もあった。
本質を知っている者から見たら、相手を知ろうとした時にリーディングすることは普通だし、嘘を見抜くにもリーディングは必要不可欠だ。
そもそも、リーディングなしにどうやって相手の情報を得るのか?というより、
リーディングはテレパシーには欠かせない脳機能の一部であって、普段から誰かしらと繋がっているものだ。(覚醒前は認識できないだけで繋がってはいる)
なぜ、そんな発言をするのかとその人の脳内をリーディングすると、
その人自体が、宗教などにどっぷり浸かっていた過去世や世界線があって、洗脳されていた状態が長く続き、
神の救いがないことに絶望したり、恨んだことで人による罰を受けたことがあり、そういった自分自身の傷を癒やせていないために極度に洗脳されることに怯えている。
洗脳されたくない、という恐れから『勝手にリーディングするな』という注意喚起を他人に行う。
人とはそういう生き物だ。
自分に向けるべき言葉を他人に対して言う。
だから他人が必要なのだ。
三次元的に直面し合う物体になら、自分の気持ちをぶつけることができるから。
だが、本質としては相手というのは鏡そのものだということ。そこに映る反転した自分、自身の内面に向かって言葉を発しているのが本当の姿だ。
(なので実質、僕のこれらの愚痴は『エネルギーが足りない!』とハイヤーに示しているわけである。多分)
何にせよ、
自分が正しければ、マイナスエネルギーはプラスエネルギーに変換され、間違うことはないし、失敗もない。
それは紛れもない事実。
新しい発想やエネルギーの広がりがなければプラスエネルギーにはなっていないので、同じことを異なった言い回しで説明しているに過ぎず、いずれは誰かの唱えたスピリチュアルと同期してそれを示すだけ。
本物はまだ限りなく少ない、としか言いようがない。
商売ができるほどのエネルギーもない。
精神面の具現化がやっと。
真実を発信すること自体は別に大変なことではないが、これらの解釈や理解の仕方そのものが難しく、言葉だけでは細かいニュアンスが伝わりづらいという難点がある。
なので、結局のところ、真偽を見極めるのは受け手側の能力であって、どうとらえようとも自己責任で好きに解釈するのを見守るだけなのだ、ということ。
それでも、発信側のせいだ、と思うのならその怒りは受け止める。
そういう認識。
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