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彼女の真っ赤な顔、それはまるで未来そのもののように

 「一緒に走ってくれへん?」

 冬になると多くの学校の体育は持久走になる。これは今も昔もそれほど変わっていないようである。

 例に違わず娘の学校でもそれは同じのようで、去年の暮れに1000メートル走を走ったそうだ。そして、次は25分間走り続けるということでどうも走るための体力をつけたいということのようなのだ。

 ぼくに似て、娘も持久走が苦手なのだ。

 正月に走ろうと言っていたのだけれど、正月は寝るのやら食べるのやらで何かと忙しくて知らぬ間に時間が過ぎ去っていたので、1月の2週目になってようやく彼女もその重い腰をあげる気になったらしい。

 反抗期の真っ最中である娘には面と向かって言うことはできないが、実のところ娘と外を歩くのは楽しくて好きなのだ。

 家の近くの池の周りを走るため、何気ない話をしながらスタート地点に向かう。彼女の今ハマっているゲームとか、ぼくが今面白いと思っているポッドキャストとか(最近聞き出したロバート秋山のポッドキャストが面白いのだ。笑いがこらえきれなくなるので外で聞くのは危険なくらいに)

 池の周りは、1000メートルとちょっと。娘と走り出してとりあえず一周。そこでもうしんどい。2人で少し休憩したあと、娘を先に行かせてぼくはスロージョギングで2週目に入ったのだけれど、その途中でぼくも娘もリタイアとなった。

 娘の顔は、真っ赤に上気していた。
 その瞬間、その赤い頬にとても大きな未来を見た気がした。
 何でもできる。そのような未知の可能性が、そこには力強く宿っていた。


 ぼくはといえば、息が上がり、またそれよりも足が疲れていた。

 とりあえず今日はこれくらいにしといたろか!

 てなわけで、ぶらぶら歩きながら家に帰る。

 「また来週も走ってくれる?」
 と言うので、しんどいけど(ちょっとうれしくもあるが)、しょうがないなと了承したが、
 ほんまにまた走るんかいな、
と半信半疑ではあったのだけれど。


 わずか2キロ弱をゆっくり走っただけなのだけれど、今朝になって太ももが張っていた。痛いと言うよりは、身がしまってどこか心地がいいような感じの筋肉痛だ。
 普段それなりに歩いてはいたのだが、それでもちょっと走っただけで足に身が入るとは。
 ある程度、負荷をかけるということは、鍛えるためにも、あるいは衰えないためにもなかなかいいことのようだ。

 仕事でのストレスも、そう考えると決して悪いことばかりではないのかもしれない。

 もちろん、大きすぎる負担はいけないのだが。


 そういえば最近、モンスターハンター(ライズ)の体験版を娘のSwitchにダウンロードしてやっている。モンスターハンターは前々から(長年)気になっていて、ようやくやってみることにしたのだ。
 やっと! だけれどこれがタイミングというものなんだろう。
 初心者なので当たり前なのだが、なかなか難しい。操作も複雑で色々覚えなくてはいけなさそう。しかし、それも面白いと感じる。
 これは脳に適度な負荷がかかり、脳の機能を鍛えるためにも必要なものかもしれない! などといいわけじみたことを自分で自分に唱えている訳である。
 今は体験版だけど、本ちゃんを買うかはまだ未定。しかし本心ではもう買おうと決めている。
 しかしそれと同時に、娘のとは別に自分用のSwitch本体も欲しくなってきているのだ。
 脳を鍛える意味でも、是非とも買った方がいいのではないか?!


 とはまだ、とても妻には言えずにいるのだが。



 

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