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「リベラルアーツ(的読書)」はじめます。

 なんだか、冷やし中華的なタイトルですが、いたって本気。そして、ここにアウトプットすることで逃げられないようにしようと言う作戦。最近、至る所で耳にする「リベラルアーツ」という言葉が気になりはじめたのはここ半年ぐらい。どこかで、自分でより深く考えるためには「リベラルアーツ」のような基礎的知識が必要になると読んでから、なんぞや?と調べはじめた。リベラルアーツとは、いわゆる大学教育における「教養科目」とも言われるのだが、恥ずかしながら大学生の時は卒業のための必須取得科目、としてしか考えていなかった(もったいない)。

藤原正彦著『国家と教養』によると、リベラルアーツとは「物事の本質を見抜くための物差し」となるものなのだそう。

諸現象の真髄を見抜くために、知識や情緒に根差した物差しは欠かせません。(中略)・・・無限にある雑多な情報を有限なものに仕分けし、その中から最も自分にとって必要なもの、最も本質的なものを選択する何か強力な物差しがいるからです。

物事の本質とは、どうやら表面に見えているものではないらしい。そして、インターネットがもたらす情報の波に押し流されて、私はもはや溺れる寸前。何を信じていいのか、誰が正しいのか全くわからないのだ。そんな状況から脱するためには、自分自身が判断基準を持っていなければいけないのだ。そして、それは民主主義国家に生きる私達の宿命とも言える。

そして、その判断基準を何から得るのだろうか。そう、リベラルアーツ(=教養)から得るのである。古臭い、現代には不要だと日本社会では毛嫌いされる教養は、これからの時代を生き抜くのに必須のスキルだったのだ。

これからの日本社会で必要とされるのは、現実対応型の知識という、情緒や日本人としての心を備えた教養だという。そして、その教養とは多くが「読書」から得られるものなのだ。

そう、リベラルアーツを学ぶことは本を読むことなのだ。これは、いつでも誰でもどこでもできることだ。図書館だってある。電子書籍だってある。誰にでも開かれた「自由」な学問なのだ。かつて選ばれた人しか学ぶことが許されなかった時代には、限られた人にしか知識が与えられなかったことが原因で、残虐な内乱や戦争が至る所で起きた。でも、今の私たちには自由に学ぶ権利があるのだ、自由なのだ。この権利を有効に使わないなんでもったいないじゃないか!そうして、自分で自分が生きる意味を考え、どう生きていきたいかという答えを探しながら生きていくことができるなんて、なんて幸せなんだろう。

そんなリベラルアーツ的読書をするにあたって、参考にするのはこちら。

ここに掲載されている参考図書を、ゆっくり時間をかけて体系的に読み進めていこうと考えている。その際には、これまでも続けてきたブックログも忘れずに。

そのほか、「リベラルアーツ」や「教養」について、考える大きなきっかけになった本はこちら。この辺の本については改めてレビューを書きたいと思う。

つまり、今更ながら「読書は偉大」なのだ、と改めて思う。



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