も少し野生的に2
喜按とは、触れられるのを気持ちいいと感じること。拒按とは、触れられるのを拒むことで、その病の虚実の判別の目安となります。喜按であれば虚、拒按であれば実。
拒む理由には肉体的もしくは精神的なものがあって、触る人によって喜にもなれば、拒にもなるでしょう。
お腹が痛い時に、触られると気持ちがいい場合と、触ってほしくない場合とがあります。また、その強さによっても喜拒は変わります。
強く揉んだほうが「効く」とばかりに、痛みを耐えてまで揉まれればいいものではないし、強く揉まれたほうが気持ちがいいから、といって強く揉まれたほうが効果的というわけでもありません。自分の感覚に従って、揉まれたいように揉まれ、そして自然治癒力が高まるのが理想です。
人間は野生の動物に比べると大脳が非常に発達しています。よくも悪くも人間はよく考えます。
野生の動物が、自分の食べるものについて考えることはおそらくない。本能の赴くままに、食べたいものを食べているだけです。そしてベストであろうコンディションを獲得しています。
人間には、「野生の動物的な人」と、より「人間的な人」がいます。体の欲するものを食べることが健康につながっている野生人と、体の欲するままに食べることで破滅への道を歩む人間人。
読んでいただきありがとうございます。
人間である以上、100%野生人にはなれませんが、いや、今よりもほんの少しでいいんで、体の奥底に眠っている(と思いたい)原始の力を目覚めさせたい。
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