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娘に寄り添うこと
先日投稿した娘の通所についての記事を読んでいただき、ありがとうございました。
応援も、アドバイスも、一緒に考えてくださる気持ちも、ぜんぶがあたたかくて嬉しかったです。
コッシーさんが、ご自身のnoteでこの記事を紹介してくださいました.
家族について、相手を想う気持ちについて、ものすごく考えさせられる素晴らしい記事です。
ぜひ、読んでいただきたいです。
コッシーさんの記事を読ませていただき、また、私の記事にいただいた言葉にコメントを返したりしながら、もう一歩、自分の気持ちに踏み込んでみました。
あぁ、私はきれいごとだけを書いてしまったのかなぁと。
私が娘を連れ出すことをあきらめたくないのは、娘のためだけではなく、私のためでもあります。
正直、娘が施設に行っている間は、少し自分もほっとしています。
彼女が特別支援学校の高等部の間は、ずっと学校に付き添っていたので、自分の自由な時間は平日にはありませんでした。
現在通っている施設では親の付き添いが不要なので、私は外で自由に動ける時間を久しぶりに与えてもらいました。
それがとても嬉しかった。
スーパーの特売日にお買い物へ行けるし、手数料無しで銀行に行けるし。(笑)
ずっとお茶すらできなかった友達とも平日に会える。
娘の大好きな場所は、私にも大事な場所です。
娘は施設が大好きで、疲れるくらいに笑います。
施設は唯一、家族以外で娘を看てくださる場所。
夫か私以外の人に、娘を委ねることができる場所。
病院以外で、今の娘が安心して行ける数少ない場所。
施設は、娘のことを私と一緒に抱えてくださる場所だなぁと思います。
しんどい気持ちや体調の悩みだけでなく、娘の嬉しかったことや楽しみも共有してくださる人たちがいる。
そんな人たちとお別れすることが、私もつらいんだなぁと思いました。
残念ながら、娘の通う施設には医師はいなくて、入浴や宿泊のサービスもなく、平日の日中に預かっていただく以外のことはできません。
だから、施設をやめるとなれば、一切の関係がなくなります。
たとえ週に1回、たった1時間だけでも、娘を知ってくださる人たちと繋がっていたい。
学校を卒業するときも、同じ気持ちになりました。あの時は次の場所があった。でも今度に次はないです。
やめてしまうのが怖い。
それが私の根っこにある気持ちだと思います。
何日間もどこへも行けずに家にいる生活は、コロナ前から何度も経験してきました。
それは、ポジティブを削られます。
訪問で医師やリハビリの先生に来ていただくのは、娘にも私にも嬉しい時間なのですが、やっぱり自分が外へ出ていくのとは全く違います。
娘の1番落ち着くところは自分のベッドですが、同じ空間の中でじっと待つだけの時間は、娘から笑顔を奪います。
常に娘を気にしながら、目の届く場所に居ながら、いつも何かに追われるように狭い空間を動いていて。あまり有意義とは思えない時間ばかりを繰り返していると、たぶん私がずっと笑顔ではいられなくなります。
無理して作るハッピーは、なかなか続けることは難しくて、私の疲弊が娘の笑顔を消してしまうだろう、とも思います。
お母さんがハッピーでいることが、娘さんのハッピーに繋がるから、お母さん、ハッピーでいてくださいね。
訪問の医師に言われました。
家族もそばにいて、聞いてくれる友達もいる。
私はありがたいことに動けるし、なんでも食べられるし、見て楽しむこともできる。
絵もエッセイも書いて遊べる。
noteもある。
でもやっぱり、籠の中にずっといたら、置いていかれてしまうんです。
世の中に。
社会に。
外の風に。
娘の貴重なはずの一日が、もったいないようにただ消費されてしまうことの罪悪感で、また私が悩む。
だから出たい。
外へ出たい。
外へ出したい。
繋がりを切りたくない。
明日の楽しみ
1週間後の楽しみ
それを、娘に与えてあげられる親でいたい。
娘との外出をあきらめたくない。
きっと、私のためにあきらめたくないのかなぁと思いました。
余談ですが、娘を連れて出た日は、必ず自分にご褒美を買ってます。
焼き芋か、おだんごか、夏ならアイスを。(笑)
頑張ったのでカロリーもプラマイ0になるし、これが出かけるモチベーションにもなるからです。
いつの日か、施設へ行くことが、娘にとって楽しいよりもしんどいが勝ってしまっていると感じたら、きっぱりと施設をやめようと思っています。
娘はこれまでも、病気の進行とともにたくさんのものを手放してきたので、そのタイミングは、ちゃんとサインを出して教えてくれるだろうと思っています。
もちろん、自分の身体も気をつけます。
先日の記事に、そんな気持ちを追記させていただきたくなりました。
最重度の肢体不自由児(者)の親を25年間やっていても、まだまだ迷いの中にいます。
何が娘にとって良いのかが、わからない。
娘の願いは何か、どうしてほしいか、わからない。
いつもいつも、彼女の気持ちを考えています。
そばにいて相手の最善を考えること、精一杯心を砕くこと、それが寄り添うことなんだと、こちらの記事から気付かされました。
なんだか無性にホッとしました。
noteって、すごいなぁと思います。
毎日作り出される記事もですが、過去の記事にも宝物がいっぱい眠っています。
こちらの記事、ぜひ。
泣けるほど、『寄り添う』に向き合えます。
重い記事が続きました。しかもまた長い。
自分の気持ちを整理するために書いてしまいました。
最後まで読んでいただき、ありがとございました。