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座れないおひなさま
毎年おひなさまを飾るたびに、私は胸が痛みました。
我が家のひな人形の中の三人官女のひとりは、うまく座ることができず、ぐらぐらしてコロンと倒れます。
絶妙なバランスでなんとか座らせて、願うように「倒れないで、頑張ってね」と声をかけていました。
次女の病気がわかってからは特に、三人官女を見るのがつらくなりました。
*****
今年で30歳になる長女が生まれた頃は、「母方の祖父母が、孫の初節句におひなさまを贈る」のが、なんとなく世の中のしきたりのような時代でした。
我が家もご多分に洩れず。
長女が初節句を迎える時、
「あんたの時もひな人形をおじいちゃん、おばあちゃんに買ってもらったんだから、長女ちゃんには私たちが買うからね。」
と、私の両親が長女のためにひな人形を買ってくれました。
母にとって、私の長女は初孫です。
子どもの意思よりも自分の気持ちを通す性格の母は、私の好みを何も聞かずに「一番可愛い顔だったから、これにしたわ。」と、地元の百貨店でひな飾りを決めてきました。
なかなか大きなサイズの三段飾りで、我が家のどこに飾ろうかとちょっと躊躇しましたが、ほんとに清楚で愛らしいお顔のおひなさまだったので、ずっと大切にしたいと私も嬉しく思いました。
早速、和室に飾ってみたら、三人官女のなかの、向かって左の人形がぐらぐらし、安定して座れませんでした。
縁起物なのにそれはちょっと嫌だなぁと思って、お店に連絡して、全てを新しいものとごっそり交換してもらいました。
新しく届いたおひなさまを飾ると、やっぱりまた、三人官女のなかの、左のひとりがぐらぐらします。
気になりながらもどうにか座れたので、何度も交換してもらうのも気が引けて、そのままそのセットを我が家のおひなさまとして受け入れることにしました。
毎年飾るたびに、不安定で倒れそうな三人官女の左の子には、畳んだ紙を支えとして下に入れたりしながらどうにかごまかしていました。
幼かった長女が色鮮やかなおひなさまを見てとっても喜ぶので、それを私は純粋に微笑ましく思っていました。
長女が生まれて約2年後に、次女が生まれました。
次女は筋肉が壊れていく難病で、一歳になってもニ歳になっても、自分で立つことも、座ることすらもできませんでした。
成長に伴って次女もいつか座位が取れるかもしれない、と願いましたが、生涯、次女は座ることができないとわかってからは、ひな祭りの時期になると私は憂鬱になりました。
でも長女がひな飾りを楽しみにしていたので、お内裏さまとお雛様の2体だけを飾り、ひな人形全部を飾ることはきっぱりとやめました。
どうしても私は、座れない三人官女を箱から出せませんでした。
娘たちが中学生くらいになると、おひなさまを飾ることもなくなりました。
押し入れのスペースをたっぷり使いながら、姿を見ることもなく、ずっとひな人形は箱の中にしまわれたままです。
座れない三人官女と難病の次女、なんの関係もないと思いますが、私はどうしてもあの人形を見る気持ちにはなれませんでした。
ただ、手放すのはかわいそうな気がしていて、それに買ってくれた親にも申し訳ないような気もするので、まだ手元には置いておこうと思っていました。
*****
昨年の春、長女に女の子が生まれました。
私にとっての初孫ちゃんは、もうすぐ初節句を迎えます。長女は
「おひなさまはいらないからね。」
と私に言いました。
祖父母に買ってもらったあの三段飾りのおひなさまを長女に持たせる気はもちろんなかったのですが、新しいものもいらないと言います。
小さいものやケース入りのものも、最近流行っている淡い色のおしゃれなものも、とにかくひな飾りはいらないと言います。
娘たちに私の気持ちを押し付けたくはないので、初孫にひな飾りを贈ることは諦めました。
娘夫婦の思うようにしたらいいと思っています。
しかし先日、地元の百貨店へ買い物に行った時、たまたま見つけたかわいい小さなひな飾りに気持ちが揺れました。
初孫の顔が浮かびます。
やっぱりおひなさまを孫に見せてやりたくて、小さな小さなガラスのおひなさまを我が家用に買いました。
そして、節分が終わるのを待ってから、リビングにちょこんと飾りました。
しっかり座れるおひなさまです。
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孫を連れて遊びに来た長女が、この飾りを見て、
「え?これは孫ちゃんのためのひな人形?」
と訊いてきましたが、
「違う違う、私のためのひな人形!私がひな祭り気分をちょっと味わいたかっただけ。」
と答えました。
長女の気持ちの負担になるのは嫌だと思ったからです。
孫を持ち、母がひな飾りを長女のために選んだ時の気持ちが少しわかるようになりました。
初節句は、家族みんなが、赤ちゃんが生まれてきてくれたことに感謝し、これからの健やかな成長と幸せな未来を願う大切な節目なんだなぁって思います。
小さなおひなさまを眺めながら、孫ちゃんの幸せをそっと願いたいです。
そして、孫がもう少し大きくなったら、あの三段飾りを孫と一緒に飾ってみたいと思っています。
座れない三人官女は、2人で工夫して支えをしながら座らせてやればいい。
もう、あの三人官女を見ても私は平気だと思うから。
赤を貴重とした色鮮やかなひな飾りを愛でる気持ちを孫の中にもちゃんと育んでやりたい、そんなおばあちゃん心をこっそりとあたためております。