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父への詫び状「洗濯機で洗ってしまってごめんなさい」

こんなにも、自分の行いを恥じたことはない。
まさに、忸怩じくじたる思い。
約1年半前のあの日、どうか夢でありますように、とどれほど願ったことだろうか。


シンクに置き去りだった朝食の食器を洗いながら、慌ただしかったこの数日や、さっきまでの黒い儀式を、私はぼんやりと目の奥の方で思い返していた。
最後に見た父の姿がどうしても頭から離れず、蛇口を強くひねる。
冷たい3月の水が手に刺さるが、これが生きているってことのように感じた。ふいに、何かとても大事なことを忘れているような気がして、頭の中で数時間前からの自分の動きを再生してみる。

あっ!

一瞬、息が止まりそうになった。

あの後…私、どこにあれを…。黒い小さなカバンから出した白いハンカチを、ポイっと洗濯機に放り込んだような…。

神様お願い、ちょっと待って!

やばい!

やばーい!!

やっばーーーい!!!



洗面所へ走り、洗濯機を一時停止して勢いよく蓋を開けた。
ぷかぷか浮かぶ輪ゴム。

「きゃー、どうしよう、なんてこと!お父さん、ごめんなさい。わぁ、どうしよう、どうしよう…」

洗濯機に向かって叫ぶ私の声にびっくりして、息子が2階から飛び降りてきた。半泣きでおろおろする母親に、彼はちょっと呆れた表情で言った。

「母さん、また何かやったん?今度はいったい何をしたん?」


昨年の春、大好きな父が亡くなった。父の葬儀の日は、上着がいらないくらい暖かかった。
家族だけの慎ましい葬儀のあと、賑やかに娘や孫たちから顔をなでられていた棺の中の父は、あっけなく骨になった。
父の葬儀で初めて人の骨を見た私は、「死とはこういうことか」と「人間も動物だ」を一気に実感した。

「骨って、もらえるんですか?」

妹が火葬場担当の女性職員の方に訊いた。

「はい、いいですよ。他に欲しい方はいらっしゃいますか?」

と逆に尋ねられて、私は慌てて小さく手を挙げた。私と妹以外は、みんな首を横に振る。
はっきりとした口調の職員さんは、決まり文句のように「どこにします?」とおっしゃるので、

「指を。」

と、わたしたち姉妹は同時に答えた。
働き者の父、優しく頭を撫でてくれた父、そこから連想するのは、ふたりともやはり指だった。

人差し指の先っぽあたりだろうか、彼女は手慣れた動作で、2センチほどの白い塊をつまみ上げ、それを半紙にくるんで輪ゴムでゆるくとめて、私たちに笑顔で差し出した。
「熱くないのかな?」と一瞬思いながらそっと受け取り、涙の染み込んだ白いハンカチに包んで、大切に、黒いバックの中の一番上にしまった。



私の両親は瀬戸内海に浮かぶ島の生まれだ。結婚し、島からはるか遠く離れた街で暮らすことになった両親は、いつも島を恋しがっていた。
「死んだら島に帰りたい」と言っていた父も、結局、私たちが暮らす街に墓を買ったので、親きょうだいが眠る島へ帰ることはない、と諦めていたようだった。

そんな父を生まれた島に帰してあげたくて、島の海に散骨するために、私は父の骨をもらうことにしたのだ。妹も、私と同じ考えで遺骨を分けてもらったようだった。

父の一部を我が家に連れて帰るのは、嬉しいような怖いような複雑な気持ちがした。ひとつの体があちらこちらにある不思議が心地悪い。

バックの中に父がいる。

安心感よりも、ズシリとした罪悪感を感じた。しかしそんな気持ちも、葬儀後のバタバタですぐに私の頭から抜け落ちてしまった。
駆け足のような感覚で式の後片付けが進んでいく中で、いつもよりテキパキしている自分に自分が一番ついていけなくなっていた。


葬儀を終えて自宅へ帰ると、ひどく頭痛がした。自分たちにまとっている線香の香りが異常なくらいに気になり、私はすぐに礼服を脱いだ。
2時間後に、私たちきょうだいは今後の相談のために実家へ集合することになっていたので、少し気も急く。
そそくさと青いパーカーとジーンズに着替えて、とりあえず頭痛薬を飲んだ。

今のうちに洗濯機をまわそうと思い、自分の履いていたストッキングや、夫と息子のシャツや黒い靴下、娘の着ていた洋服など、葬儀場から持ち帰ったものをガツガツと洗濯機に入れ、スタートボタンを押した。

変な高揚感。

父を偲ぶ気持ちが、やらなければならないことに負けているような、そんな逆転した頭の中で、洗濯機がガランガラン、ジャーッと注水を始めた。
その音を背に、朝の洗い物をやっつけようとキッチンへ向かった。

シンクにもたれかかりながらお皿を洗っていて、ふと、持ち帰った父の指の骨を思い出し、その行方を頭で探った。

あかん、お父さんも一緒に洗濯機に入れてしまった!


蓋を開け、洗濯槽の泡の中に茶色い輪ゴムを見つけた時は、全身の力が抜けた。半狂乱の私から事情を聞いた息子は、

「とりあえず全部洗濯物を風呂場へ出しなよ。」

と言う。こんな時、19歳の彼はめちゃくちゃ冷静だ。
私は言われるままに、洗剤水を含んだビシャビシャの洗濯物を、すぐ隣にある風呂場へそろりと運んだ。床も履いていたジーンズも、悲惨なほど水浸しになっていたが、気にしてはいられない。

洗濯機をまわし始めてまだ5分、すすぎも脱水もしていない。
きっと父は無事だ。
必ず父を救い出す!

絡まった洗濯物をひとつひとつ丁寧に剥がしながら、目を凝らして慎重に白い塊を探していった。
不意に、紙おむつを一緒に洗濯してしまった後の惨事と状況が重なり、笑ってる場合じゃないのに自分が滑稽で笑いそうになった。しかしすぐに、現実に引き戻されて、また気持ちが沈む。

「どうしよう、砕けたらわからなくなるよね。あぁ、私はバチ当たりやわ。こんなことしたら、じいちゃん成仏しないわ。遺骨を洗濯してしまうなんて、アホ過ぎる。」

と嘆く私に、

「焼き魚の骨だって、簡単には崩れやんから、大丈夫やろ!」

と、息子が励ましてくれる。
焼き魚かぁ、そ、それもそうだけど、と微妙な気持ちになった。

「あ、これやん!白いのがあるやん!」

息子が、夫の靴下に包まれている骨を見つけてくれた。
少し欠けた破片も2つ見つかる。

ありゃ、靴下かぁ。ますますお父さん、ごめんなさい。でも、夫よ、グッジョブ!守ってくれてサンキューだ。

助け出した父を洗面所で洗ってからティッシュで拭き取り、キッチンペーパーの上で干した。遺骨ってこんな扱いをしていいものだろうか、と心配になり、スマホでググるが、そんな事例がそもそもない。
長い箸でそろりそろりと持っていた物を、洗って手掴みしてしまっている雑さ。
これはバチが当たる、と本気で思った。

くよくよが止まらない。
自分の不注意が情けなくて、思慮が足りない自分に腹が立って、ひどく落ち込んだ。そんな私に息子は、

「じいちゃん、生まれ育った瀬戸内海の島に帰りたかったんやろ。排水溝を通って下水から海へ行って、瀬戸内海まで行けるやん!だから、母さん、別に悪くないって。」

そうか、なるほど。
父は瀬戸内海へひと足先に行こうとしたのか。人は60兆個の細胞からできている、っていうから、小さな細胞なら海まで行けるかもしれない。排水溝を通るのは若干申し訳ないけど…。
なんと優しい解釈だろう。

息子に気持ちを少し救ってもらった。
彼はきれいな深緑色の空箱を自分の部屋から持ってきて、「これに骨を入れなよ」と、私に手渡してくれた。そこにティッシュを敷いて、父の遺骨を入れた。
箱の上に父のメガネを乗せ、父の写真と一緒にリビングの棚に置いたら、私専用の小さな仏壇になった。

私はその後もずっと後ろめたさが拭えず、ひたすら後悔と懺悔の日々を送ることになった。この大失態は誰にも言わず、夫にも言えずに、とりあえず息子には、私と2人だけの秘密にしてもらった。

「そそっかしいところをなんとかしないと、お前はとんでもない失敗をするぞ。」と、父から諭されているような、そんな、自分に都合の良い言い訳をしながら、空へも、ミニ仏壇へも、毎日「お父さん、ごめんね。」と手を合わせながら謝り続けた。



そして待ちに待った父の四十九日。
この日の法要は、母と私たち3人きょうだいだけで、こぢんまりと実家にて執り行うことになっていた。

実家の祭壇にある父の骨壷の横にそっと深緑色の箱を置き、悩める子羊のように私はお坊さんのお経を聴いていた。
当然、頭の中は風呂場で拾い上げた遺骨でいっぱいだ。

ようやく儀式的なことが終わり、お坊さんからありがたいお話をいただいた後、思い切ってお坊さんに、不謹慎極まりない私の大失敗を白状した。
凜としたお顔立ちのお坊さんは、私の話を聞いている途中、くしゃっとした笑顔でぷっと吹き出し、もう一度真顔に戻してから優しく仰った。

「やったことはもう、どうにもなりませんからね。それで何か、仏さまや皆さまに悪いことがあるとか、そんなことはないです。大丈夫ですよ。お父さまを大事に思っていれば、心配することは何もないですから。」

それでも私は、必死に質問した。

「父は洗われて、成仏できずに苦しんでないでしょうか?」

「大丈夫ですよ。」

「家族が水難に遭ったりしないでしょうか?」

「大丈夫ですよ。」

お坊さんの微笑みと「大丈夫ですよ」のおかげで私はようやく安堵し、約50日の苦しみから解き放たれた気持ちになった。
「ほんとにごめんね、お父さん。」と、私は父の位牌や遺影に向かって突っ伏し、畳に頭を擦り付けながら何度も何度も謝った。

意外にも、いや、想像通り、そのやりとりを聞いていた家族は大爆笑している。
「姉ちゃんなら、やりそう!やりそう!」
「あはは、あほやなぁ!」
そう言って、妹や弟も笑い転げた。
「あんたは何をしてるの!」って叱ってくれると思っていた母も、ケラケラ笑っている。

父の遺影も、いつもよりも優しく笑っているように見えた。


しかしホッとしたのも束の間、「瀬戸内海に散骨したい」という私たちの願いを聞いたお坊さんは、うんうんと静かに頷いた後で、クリッとした目に力を込めて、こんなアドバイスをされた。

「そのまま遺骨を海に散骨したらダメですよ。もしも浜辺に流れ着いて、偶然誰かが骨を拾ったら、事件として大変なことになりますからね。だから砕いてから、場所もちゃんと考えて撒いてください。」と。

洗濯機で洗ってしまったうえに、次は砕くのか…。

考えただけで、あちこちが痛くなり、胸が苦しくなった。
私と妹は思わず顔を見合わせて、愕然とした。


我が家の洗濯機から瀬戸内海の海へ向かったかもしれない父の細胞たちは、無事に島へ到着したのだろうか。
父は違う海流に乗って、放浪の旅をしてはいないだろうか。

今年のうちに、私は妹と一緒に、父の故郷へ行くと決めている。
ルールを守って安全に、今度こそ細心の注意を払って、私たちの手で大切に父を瀬戸内海の島へ帰してあげたい。

どうか私よ、もうこれ以上、失敗はしないでおくれ。






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