手術の前にジンジャエールを。そして、私も進化しなくては!
4年前、二女のゆうは気管切開の手術をした。
それ以降は毎月一回、夫と一緒に娘を連れて、手術をしてもらった大学病院に通院している。
首に開けた穴に差し込まれている「カニューレ」を交換するためだ。
自宅から病院へは1時間半から2時間はかかるので、往復することも考えると半日仕事だ。
診察が終わると、娘には胃瘻(お腹に空けている穴)からジュースを入れて、夫と私は、院内のコンビニで飲み物を買う。
「お疲れさん!」みたいな、自分たちへのご褒美ってことで。
私は炭酸がとても苦手だ。でも一応、必ずジンジャエールを探す。
そのコンビニにはいつもジンジャエールが無くて、この4年間は、ヨーグルトジュースのピーチ味で手を打ってきた。最近は、むしろ、そちらを探すようになったが、やっぱり先ずはジンジャエールを探してしまう。
それは、『ありがとう』のような、『がんばるぞ』みたいな、そんな気持ちを、私はジンジャエールに対して抱いているから。
4年前、どうしても二女の気管切開の手術をすることが嫌で、私は手術日が決まった後も悩んでいた。
「喉頭気管分離術」といって、食べものを飲み込むほうと、息をするほうを完全に分けてしまう手術を選んだので、間違って気管に唾液が入る心配がない代わりに、娘は完全に声を失う。
「あーしっ!」と、私を呼ぶゆうの声が、もう聞けなくなる。
娘はこれまで、いろいろな楽しみを手放してきた。
筋肉がなくなるということは、動くこと、食べることを娘から奪っていった。
さらに、目にも合併症が現れてしまい、見ることすらも奪われた。
せめて、声を出す自由だけは守りたかった。
だから、医師から勧められる気管切開の手術を回避しようと、何年間も、あらゆる努力をしてきた。
しかし、誤嚥性肺炎(唾液が気管に入ってしまい、それが原因で肺炎になること)を繰り返すようになり、もう限界だと感じるようになった。
19歳まで気管切開をせずに来られたことが奇跡だ、と、誰もが言った。
最終的には、訪問看護師さんの
「お母さん、息することを頑張らなければならないほど、つらいことはないですよ」という言葉と、
夫の
「命が一番大事なんじゃないかな」という言葉で、私は手術を覚悟し、娘の声を諦めた。
手術日は7月12日。
その日までのカウントダウンが始まり、私は心労のため、過呼吸で何度も倒れた。
やっぱり、頭では納得していても、心が悲鳴を上げていた。
「娘の発声の自由を奪うことが、娘にどれほどのストレスを与えることか」そう考えると、涙が止まらなくなる。
でも、一番つらかったのは、娘のきれいな首に穴をあけること。
想像するだけで怖くて、母親として、それが無性に悲しかったのだ。
*****
手術までの日々、ゆうに関わってくださるいろいろな人から、嬉しいエールをいただいた。
◇生活介護施設にて
ゆうが現在通所している生活介護施設は、アットホームな雰囲気で、職員さんも明るい人ばかりだ。その頃の娘は、今よりも体力があり、週に4回、施設に通うことができていた。
職員さんもゆうの声をたくさん録音してくれて、データを全部、私にくださった。
手術の直前の七夕では、短冊に素敵なメッセージを書いてくれた。
「イケメンのしょくいんがきますように♡ ゆう☆」
やっぱり、そう来たか。
「手術が無事に終わりますように」ではなく、そう書いてくれるところが、あったかい。
私はこの施設のユーモアに、いつも救われている。
◇特別支援学校の高等部時代の恩師から
特別支援学校でお世話になった元担任と理学療法士の先生が、わざわざ家まで、お守りを届けに来てくださった。
京都の神社まで、娘の手術の無事を祈願しに行ってくださったのだった。
神社の祈願絵馬にも、こんなあたたかい願いを書いてきてくださった。
もってきてくださったお守りは、黄色の袋に赤の矢印の柄。
よく見ると「無病息災」ではなく「向上心」と書かれている。
私が驚いていると、元担任は
「気管切開は、状態が良くなるってことだから。さらなる進化をしていくってことで、「向上心」を選んできたよ。」と娘に笑いかけた。
やっぱりこのユーモアにも、私はいつも助けられる。
◇特別支援学校の小学部時代の恩師から
後日、また別の元担任からも、なぜか地元で有名な安産祈願の神社のお守りと、ペットボトルをいただいた。
「すみません、ここ、安産で有名ですが、他の願いも叶うかなって思って。すみません、自宅から近い神社だったので。神社に少しの間これもお供えしたので、神社からのエールってことで、ジンジャエールを。」
「だからジンジャエールですか!」
私は思わず吹き出した。
また、素敵なユーモアに助けられる。
◇訪問クリニックの皆様から
手術前夜、いつもお世話になっている訪問診療の先生が、看護師さんたちと急に訪れてくださった。
先生の手には、千羽鶴。
クリニックの医師や看護師、そのご家族みなさんで、作ってくださったものだった。
「ゆうちゃん、大丈夫だからね。待ってるからね。手術したら、もっと元気になれるんだからね。」
医師の言葉に、みんなが泣き出した。
ゆうは、爆笑していたが。
オレンジ色のエルメスの紙袋に、千羽鶴を入れて、先生から紙袋を手渡された。
誰のエルメス?
ここでエルメス?
やっぱりなんだか、ユーモアを感じる。
◇手術当日のエール
手術当日の朝は、LINEが何十件も入っていた。
友達のママたち、たくさんの恩師たち、親戚のみんな、医療関係のスタッフや、ヘルパーさんたち。
ほとんどが動画で、ゆうが聞けるように配慮されていた。
多くのエールに心から感謝している。
この、あたたかい気持ちに、ずっと私たちは支えられている。
*****
手術直前、お守りや千羽鶴を娘の枕元に全部並べ、娘の胃婁からジンジャエールを、こっそりと、少し注入した。
「あーしっ」と娘はご機嫌に、最後の大きな声を出した。
「ゆうに負けていられないな。私も進化しなくては!」
涙と一緒に、私は残りのジンジャエールを飲み干した。
3時間ほどの手術で、娘は私たちのところに帰ってきた。
眠りから覚めた娘は、薄暗い病室の天井に向けて目をさまよわせ、力を入れても出ない声に不安の表情を浮かべていた。
進化できない私は、やっぱい泣いてしまう。
「ごめんね、ごめんね。」と、ゆうにしがみついて泣くばかり。
体中の希望を吸い取られるような気持ちだった。
ところが娘は、手術後たった3時間で、新しい声を手に入れた。
「舌打ち」すること。
「チェ」ではなく、「タタタッ」みたいな音。
声の代わりに、舌打ちをして、自分を表現する術を早くも見つけ出した。
親のほうが、そんなポジティブな娘に元気づけられた。
「お父さん、お母さん、心配しないで。私はまだ、おしゃべりできるから。」
得意気な、ゆうの笑顔がまぶしかった。
手術後すぐの様子です。
それからというもの、我が家は舌打ちの嵐。嫌な感じの舌打ちではなく、舌を鳴らす感じで、「タタタッ」と。
新しいバージョンも、ゆうは日々習得中。
訪問の先生は、
「コイサン語族だね!世界で1番難しい言語らしいよ。ゆうちゃん、すごい!」
とまでおっしゃってくださり、訪問看護師さんまで舌打ちするように。
コイサン語族の動画を見て、なるほど!と思った。なかなか奥深い言語だ。
ゆう、やっぱり進化してる。
手術から4年経って、娘の首のカニューレは、娘の大事な命綱になった。
気管切開をして、呼吸が楽になり、娘の体調はとても安定している。
だから今では、手術をしてよかったと心から思っている。
娘は、負けない人。
常に進化している人。
だから私も、娘に負けていられない。
進化しなくては!
特別支援学校の高等部の時、担任の先生に手を持ってもらって、ゆうが書いたものです。