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エッセイについて、今、思うこと

先日、友だちとランチをしていて、趣味でエッセイを書いていることを初めて話したら、彼女から「エッセイって何?」と訊かれて、エッセイは誰もが知るものではないんだな、と驚きました。

「日記より、作文に近い感じかな。自分の心に思い浮かんだり、自分が見たり聞いたりしたことを自由に書いたものだよ。」

と話したら、「へぇ、もう何十年も文章を書くことなんてやってないわぁ。そもそも長い文は読まないし。」と彼女は笑っていました。

自分のnoteを初めて身近な友だちにも紹介してみようと試みましたが失敗。
逆に彼女からInstagramを勧められました。でも、私は写真にあまり興味がなくて。

興味や好みは人それぞれだねって、二人で妙に納得してしまいました。


突然ですが、皆さま、エッセイはお好きですか?
私はエッセイが好きです。というより、ここ数年で大好きになりました。
書くこともですが、読む方がもっと好きです。

でも実は、もともとエッセイにはあまり興味がなくて、小説ばかりを読んでいました。
ノンフィクション作品も好きでしたが、やんわりしたイメージの「エッセイ」ではなく、壮絶な体験や記録のような作品を好んで読んできました。

ところが、4年前から自分がエッセイを書くようになり、エッセイの世界にのめり込むようになりました。

今の私がエッセイに対して思うことを、これまでのエッセイに関する経験も含めて書いてみたいと思います。

少し長くなりますが、よろしかったらお付き合いくださいね。



*****

書籍化された作家さんやエッセイストさんの書くエッセイは、自分からは出てこないような感性が大洪水のように溢れていて、「異次元だぁ。敵わないなぁ。」とか、「わかるわかる!その視点がいい!やっぱり表現が上手いなぁ。」とか、感心することばかりです。

エッセイを書き始めたばかりの頃は、エッセイ本を買ってきて、蛍光ペンで線をいっぱい引いたり、付箋メモに良いところを書いて貼ったりして、参考書のように何冊も読んだこともあります。


例えば、4年前に読んだこの本も、メモがびっしり挟んであります。


下手くそな殴り書きで、こんな感じに。
自分にしかわからないメモです。


好きな作家さんの素敵な作品にもたくさん出逢いましたが、美しい文章なのに時々不思議と、心に響かないものもあります。

すごい有名な作家さんの作品だろうと、校正でバッチリ整備された文章だろうと、読み進める気が起きないものは閉じてしまい、もう手に取る気持ちになれません。


なんだろう、好きとイマイチの違いって。

もちろん好みもありますが、きっと、書き手の書きたいなぁ!が詰まっているものは、読み手に想いが伝わるのかなと思います。

エッセイが心に響くのは、自分のことばで、素直な気持ちを書かれている文章に触れたときだと思います。
上手いとか下手とかの技術よりも、想いなのかなぁと。

変にカッコつけず、自然なままの、あまり整備されすぎていない文章に、ぐんと気持ちが乗っかっていると、わぁ、いいなぁと私は思います。


だから、noteで出逢うエッセイがとっても好きです。
特別な日、というよりも、いつもの日常を切り取ったものがいっぱい。

しかも、その切り取りがとってもうまくて、技術の高い作品が豊富に溢れています。
もちろん、想いも乗っかっていて心に響く。

ふわっと気楽な感覚もあって。
「聞いて聞いて」みたいな雰囲気もあって。
時にはグーッと胸を刺すような鋭く深い作品に刺激を受けて。

書き方や余白の影響かもしれませんが、全体的にカッチリしすぎないところがいいなと思います。

どれも楽しくてしょうがない。

もともと私は早く文章が読めないので、言葉を大事に拾いながら読むのですが、その丁寧な読み方が自然と自分の「書くこと」への学びにもなっているように思います。



さて、話はがらりと変わりますが、自分のエッセイを、ある一般公募のコンテストに応募し、その時の審査員から批評していただいたことを少しお話します。

私がエッセイを書き始めたのは、コロナ禍で日常が止まった時でした。

難病の娘のことを、私の気持ちと一緒に書き留めておきたいとずっと前から思っていましたが、そのきっかけがなく、たまたま時間ができたから書いてみることにしました。

もともと日記すら書いたことがなく、学校で学んだはずの「原稿用紙に文章を書く時の決まり」みたいなこともすっかり忘れてしまっていたので、とりあえず本を買って勉強しました。

蛍光ペンで線を引き過ぎて、読み返しても何が大事かわからなくなってます


最初は400文字、次は800文字、と少しずつ長文が書けるようになり、せっかく書いたのだからそれを少しでも誰かに読んでもらいたいと思い、一般公募のコンテストに出してみることにしました。

ある作品がたまたま受賞し、参加した授賞式で審査員の方からコメントをいただく機会がありました。

てらうことなく書かれたあなたの文章に胸を打ちました。」

と言っていただき、とても嬉しく思いましたが、私は「エピソードの力に頼っているだけで私には文章力がありません。」と答えました。

すると、その審査員の作家さんは

同じエピソードでも、伝え方でエッセイは全く変わるので、エピソードの力だけではないと思いますよ。」

と、私に気を遣われたのか、そう言ってくださいました。
そしてこうも言われました。

書き続けてください。技術は勝手に上がりますよ。あなたらしく、書きたいことを楽しんで書いてください。」と。

他にも有意義なお話を聞かせていただき、とても前向きになれました。



ただ今でも、私の書くエッセイは娘のエピソードに頼り過ぎているという悩みを持っていて、受賞するのはほぼ娘の話ばかりで、他の話題の作品は大量に落選しています。

公募ガイドは愛読書(笑)


そもそも娘のことを書くことは、娘にとってはどうなのか。

娘は身体だけでなく知的にも重い障がいがあるので、彼女自身がわからないことに甘えて、私は書きたいように書いてしまっていますが、いつもその辺りに迷いを持っています。

気持ち悪く感動を取りに行くような内容にはしない、重いだけの話にはしないと心に決めて、事実のまま、思ったままを書こうと心がけていますが、どう感じるかは読み手次第なので、そこに常に怖さを感じています。

信頼しているnoterさんにも娘のことを書くことへの悩みを聞いていただいたことがあります。
その時、とってもあたたかい言葉をいただきました。
敢えて書きませんが、その言葉は今でも私の書くモチベーションになっています。



話が逸れましたが、授賞式では記念に10年分の受賞作品集をいただきました。
老若男女を問わず、いろんな方が書かれたバラエティ豊かな内容の作品ばかりでした。

その人にしかないエピソードと、その人らしい感性に溢れていて。
かっこつけることなく、飾ることなく、まっすぐでわかりやすくて読みやすい作品ばかり。

でもやっぱり、一般公募のコンテストで受賞するような作品には強いエピソードのものが多いと、全部を読んでそう思いました。

正直、審査員の好みもあり、コンテストによって受賞するエッセイの傾向も違うので、やはり書いてみなくてはわからないと思いますが、それでも、その人にしか書けないエッセイは、やっぱりおもしろいと思います。



作家さんの書かれた本でも、受賞作品集でもnoteでも、書いた人の心の中や物事の捉え方、人生が見えるようなありのままのエッセイがやっぱり好きです。
これからもそんな作品を読んでいきたいです。

そして、そんな素敵な作品に対して素直に「いいなぁ」って感じられる、そんな柔らかい心を自分自身が持っていたいです。
気持ちがしんどいと、どんな素敵な作品であろうと、全く読みたくなくなるので。

書きたい気持ちが維持できる限り、これからも、読むことと同じくらいの熱量で、私の心が動いたことを、衒うことなく私の言葉で書いていきたいと思っています。



*****

noteを始めて、明日で3年になります。

父が亡くなった時に毎週連続投稿がいったんリセットされましたが、そこから99週連続で投稿できていて、自分でもよく続いているなぁって思います。

来週で100週。

これからはもう少し気ままに、気楽に、noteを楽しめたらいいかなと思っています。

3000文字を超える長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。





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