私は漬物屋の娘です
「俺が漬物を漬けているところを、写真に撮っておいてくれないか?」
父からの電話に、私の心はチクッと痛んだ。父の予感していることと、私の憶測は一致しているはずだが、父も私も、あえてそれを口に出さずにいた。
実家の横にある大きな倉庫は、父の仕事場だった。
父は漬物屋を、約50年間営んでいた。
自分で市場に行って野菜を仕入れ、浅漬けからぬか漬け、キムチや紅生姜など、自宅の倉庫で何種類もの漬物を作り、自宅から少し離れた街中の店舗で、それらを販売していた。
約8年前に漬物屋を閉めて以来、父と母は、のんびりと老後の生活を楽しんでいた。
父は、白菜や胡瓜などの旬の野菜を見つけると漬物にして、家族や親戚、ご近所に振る舞い、みんなに喜んでもらうことを趣味にしていた。
そんな父が、4年前に肺を患って、昨年末からは動くことも難しくなってしまった。
それでも今年の3月頃までは、父は漬物を時々作っていた。
冬になり瑞々しい白菜やカブが手に入るようになると、職人魂に火がつき、漬物を漬けたくなるらしい。
3月末、そろそろ白菜は漬け納めという時に、父から電話があったのだった。
漬物を漬けることが、これで最後だと、父は思ったのだろうか。
久しぶりに入った倉庫は、少し埃っぽい匂いがした。
積み上げられた大きな樽や、父が商売を始めた頃に河原で拾ってきたという漬物石、少し錆びた包丁、漁師さんが使うような防水の大きな前掛けを見て、「年季が入って、父の相棒はみんな、おじいさんだな」と思った。
「写真を撮るけど、また夏に胡瓜を漬ける時にも撮りに来るからねー。」
そう言って、前掛け姿の父の写真を撮りながら、高校時代の私の愚かな日々を思い出していた。
*****
えんじ色の小さな電車が、終点の駅に到着した。
扉が開くと同時に、同じ制服姿の高校生が一斉にホームに降り立つ。改札口へ向かう生徒の列で、ホームの朝はごった返している。
そんないつもの朝だった。
毎朝一緒に登校している親友と話しながら歩いていると、突然、同じクラスの女の子が私の胸に顔を近づけて、匂いを嗅ぐふりをした。
「琲音ちゃん、漬物臭い匂いがするかなって思って。」
ただの悪ふざけだったのだろう、彼女は人懐っこい笑顔を私に向けた。私と同じ中学出身の人から、私の父が漬物屋だと聞いたらしい。
私は黙ったまま、必死で作り笑顔を彼女に向けて、すぐに俯いた。
一緒にいた親友が、
「大丈夫?あんなの、気にしなくていいからね。」
と、私の背中をさすってくれた。
その手に救われた気持ちがしたが、「気にしなくていい」ってことは、やっぱり馬鹿にされた行為だったのかな、と悲しくなった。
今から30年以上も前のことだ。
当時高校2年生だった私は、クラスメイトからの軽い悪ノリを、笑いで跳ね返すことも、怒って反論することもできないような、生真面目で人目を気にするタイプの子だった。
父を侮辱された悔しさと、「クサイ」と自分もからかわれた恥ずかしさで、ひとりで深い傷を抱え込んだ。
ショックは自分では手に負えないくらいに大きく、以来、私は父の仕事を全力で隠すようになってしまった。
高校に行く朝、電車に乗り遅れて遅刻しそうなときは、店の屋号が書かれている軽トラックで、時々、父に高校まで送ってもらっていた。
これまでは校門までが当たり前だったが、あの出来事の後は、学校からはるか遠くの交差点で車から降ろしてもらうようにした。
誰にも、漬物樽でいっぱいの軽トラックを見られたくなかったのだ。
父の店のことも誰にも言わなかった。高校の帰り道に、店に寄ることもできたのに、それを絶対にしなかった。
親の仕事を隠すことが、親に対して失礼だということは充分にわかっていた。
だから私は、父の仕事を隠していることを親に悟られないように、親に対しても用心していた。
親不孝な娘だった。
父の漬物も、父も、店も、大好きなのに。
小学生までは、漬物を漬けている父の隣でよく遊んだ。
中学生になると、聞いてほしいことがあるときだけ、倉庫で仕事をする父の横で、長い時間、父と話した。
大きな樽に野菜をきっちりと並べて塩を振り、重い漬物石をその上に乗せる。
父はからだ全部を使いながら、早くて正確な動きで次々と漬物を漬けていく。
絶妙な塩加減で、父の漬物は絶品だ。
店から帰って夕飯を済ませると、休む間もなく毎晩遅くまで、父は倉庫で漬物を漬けていた。
冷たい塩水で真っ赤になった父の手を、私はずっと見て育った。分厚い父の手は、爪がいつもきれいに短く切られていて、ほんのり漬物の匂いがしていた。
漬物の匂いは、大好きな父の匂いだ。
大学に入り、父の店を時々は手伝うようになった。
朝から晩まで、接客をしながらの立ち仕事は、若くてもかなり疲れる。
母は店で販売の仕事をしていた。常にクルクルと動き回って働いている。帰ってからも、家では動きっぱなしなのに。
これを毎日やっている両親の苦労が、経験してみてよくわかった。
店にいるときの父はいつも陽気だった。
「おいしいわ。ここの漬物を食べたら、他の店の物は食べられないわ。」
と、わざわざ遠方からでも買いに来てくださるお客さんに、父は目を細めて頭を下げる。
父の漬物が多くの常連客に愛されていることを、店で働いて初めて知った。
そして、父が自分の漬物にも、店にも、絶対の愛情と誇りを持っていることも、そばで働いてよくわかった。
一袋数百円の漬物。
この漬物で、両親は私たち3人きょうだいを育て、大学まで行かせてくれた。
そう思うと、高校時代の自分に腹が立ち、何度も何度も悔やんだ。
両親は何も言わなかったが、高校生の私が親の仕事を隠していたことは知っていた、と思う。
たった一度、からかわれただけでも、簡単に人は深い傷を負ってしまう。
多分、言ったほうは、覚えてもいないだろうけど。
大学生になってからは、漬物屋の娘だと誰にでも話した。むしろ、店の宣伝をするくらいに、何かを取り戻すくらいに話した。
でも30年以上経っても、高校生の頃の情けない自分のことを話せたのは、夫だけ。
仕事に優劣はない。
どの仕事も尊い。
働いて稼ぐということを25年間できなかった私は、それを強く思っている。
高校生の私も、それはよくわかっていたはずだ。
*****
父の写真を撮り終わり、漬物を器用に袋詰めする父の手の動きをじっと見つめていた。
わが家の夫も子供たちも、父の漬物が大好物だ。家族みんな、私の作ったメインの料理より、父の漬物にまずは飛びつく。
「じいちゃんの漬物は日本一や。」といつも言っている息子は、高校の国語の授業で、「好きなもの」というテーマのスピーチをすることになったとき、迷うことなく「じいちゃんの漬物」について話したらしい。
「俺も食べたいな。持ってきて!」と、何人もの友だちに頼まれた息子は、父の漬物を学校で皆に振る舞った。
大盛況だったと、息子は空っぽの容器を振り回して、私に見せてきた。
倉庫でその話を父と話して、父はクシャクシャに笑って「そうか、そうか」と喜んでいた。
スマホの写真の中の「漬物を漬ける父」は、幼い頃からずっと見てきた職人の顔をしていた。
親族のグループLINEで、その写真をみんなに送ると、
「お、じいちゃんかっこいい!」
「また、漬物作ってねー!」
と、娘や姪たちが大騒ぎ。
夏になれば、胡瓜も茄子も旬を迎える。
今年の夏もまた、父が漬物を漬けられますように、と心から願う。
父の漬物は絶品です。
父の漬物は私の自慢です。
そして、私は漬物屋の娘です。