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十人十色が良き時代
長女から毎日送られてくる孫の写真を見ながら、夕飯を食べる夫。
「あらっ、私も今、同じ写真見てるー!可愛いよね、このぼたもちみたいなほっぺ。」と、自分のスマホ画面を夫に見せる私。
「あかん、可愛すぎてオレ、射抜かれたわ。」と胸を押さえる夫。
それぞれがそれぞれのスマホをお茶碗の横に置き、時々、写真の孫に話しかけたりしながら、毎晩、私たちおじいちゃんおばあちゃんは夕飯をご機嫌に食べている。
怖いな、とそれを聞いた長女がニカっと笑った。
長女のこの顔を見るのも、私は嬉しい。
そんなこんななある夜、孫がもう少ししたら生後100日を迎えることに気づいた私は、「お食い初めってどうするのかな?」と、夫に話した。
約30年前、初孫だった長女が生まれた時は、お食い初めはなかなか大変な行事だった。
私の実家に夫の両親が来て、豪勢なお食い初め用の料理を注文して、賑やかに祝ってもらったからだ。
それは、私たち夫婦が意見するまでもなく、両家の親がさっさと設定してくれていた。
酒好きな父や義父はたくさんお酒を飲み、夫も相当飲まされて、かなり長い宴会になってしまった。
私は疲れて、赤ちゃんと別室へ避難した記憶がある。
いろんな準備がいらないように、さっぱりと料亭でお祝いの会をしてもよいのだが、介護者のいる我が家は外出が難しいので、それができない。
だから、私たちがそうしてもらったように、長女の旦那さまのご両親に我が家へ来ていただいて、お祝いを我が家でやるしかないかな、と夫とも話していた。
たまたまその翌日、孫と遊びに来た長女に、お食い初めのことを訊いてみたら、
「あ、それ、うちでパパと3人でやるから大丈夫!」
とのこと。
なるほど、なるほど、それはよかった!
娘たちが思うようなやり方でお祝いするのが一番だと思う。
きっと、彼らは大げさにやりたくないんだろうし、親への気遣いもあったんだろう。
夫も、オレたちが口を出すことじゃないな、とホッと納得していた。
*****
考えてみればお宮参りも、娘たちは自由な感覚だった。
生後一ヶ月とか、生後100日とかをフル無視して、大安吉日のようなお日柄も一切気にせず、気候の良い時に神社へ行こうか、みたいな感覚でお宮参りに行くことにしていた。
しかも、私たち祖父母は抜きで、3人だけで。
ご祈祷もせずに、お参りだけしてくる、と言う。
それでいい、って思った。
長女に、彼女がお宮参りや七五三で着ていた祝い着を孫も使うかどうか、一応尋ねてみたら、写真を撮りたいから使いたいな、という返事。
あの着物を孫にも使ってもらえたら嬉しいな、と思って、大切に保管していた娘の小さな着物を出してみた。
娘の時は、両家の祖母も正装して一緒に神社へ行き、ご祈祷もしてもらった。
義母が嬉しそうに娘を抱っこして、白地に赤い柄の着物を掛けて参道を歩いていた。
ご祈祷のとき、大きな太鼓の音に娘が泣いたことも懐かしい。
時代は変わっていくのだなぁって思った。
ところが、孫のお宮参りの前日、長女から電話があって、私も神社へ来てほしい、と言う。
「私たち3人の写真が撮れないから、カメラ係で来てくれない?現地集合でいいよね?」
え?え、ええ、はい、それはもちろん!
おかげで、カメラ係の私は、孫のお宮参りに同行できることになった。
山の麓にある大きな神社は、我が家の子どもたちもお宮参りをした神社だ。
着物を持って神社に到着したら、「孫ちゃんがウンチしちゃって少し遅れるから、先に本殿まで行ってて。」と長女から連絡がくる。
ひとりで参道をゆっくりと歩いた。
なんとも、贅沢な時間と空間。
新緑の中、静寂に包まれた砂利道の参道を歩くと、気持ちが凛とする。
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しばらくすると、長女たちがゆっくりとこちらへ歩いてきた。
パパもママも、赤ちゃんまでも、いつもよりおしゃれしている。
娘たちの「この日を大切にしたい気持ち」に、ほっこりする。
本殿の前で、赤ちゃんを抱っこしている娘に着物をササっと掛けて、まずは娘のスマホで、私が3人の写真をたくさん撮った。
次に、旦那さまの一眼レフカメラを手渡された。
私は老眼鏡をかけて気合いを入れる。
「この写真が一生残る〜♪」っていうCMが頭をよぎる。
半押しがどうとか、聞いてもさっぱり使い方がわからず、「はいチーズ」を言いまくりながら丁寧に、適当に、シャッターを連打した。
最後に私も、一眼レフで孫とのツーショットをパパに撮ってもらった。
なんとも嬉しい。
もしかしたら、私が一緒に来たいだろうから誘ってくれたのかな、と思ったりした。
記念撮影が終了して、帰ろうとする娘たちに、「あんたたち、お参りしないの?」と言うと、「あ!」って言いながら慌てて娘が財布から15円を2セット出した。
15円かぁ。ほんと、自由だな。
硬貨2枚を握りしめてお賽銭箱に向かう若い両親に、私はクスッとなった。
孫が元気に育ちますように。
私がほんの気持ちだけ、お賽銭を多めに収めた。
*****
そんな感覚だから、娘たちが用意するお食い初めも楽しみだった。
パパがお休みの日にお食い初めのお祝いをするとだけ、長女からは聞いている。
そしてその日の夜、3人がお膳の前で笑ってる写真と一緒に、この写真も送られてきた。
料理好きなパパが、必死に手作りしたそうだ。
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お煮しめを飾り切りまでして、お赤飯や蛤も用意して。
私も食べたくなるくらい、美味しそう!
一生懸命作ったパパも、
本人も料理好きなのに、パパに快く料理を任せて「パパ、すごいな!」って言える長女も、
いいなと思う。
親族みんなが集まってお祝いするのも、幸せのお裾分けみたいでとっても良い。
でも、こんな手作りでアットホームなお食い初めも、心がこもっていて素敵だと思った。
お祝いをやってもやらなくても、それすらも自由な時代。
こんな自由さが、少し窮屈な時代を生きてきた私には、うらやましいくらいにまぶしい。
孫には、今はいっぱいおっばいを飲んで、もう少ししたらごはんをいっぱい食べて、すくすくと元気に育ってほしい。
そしていつか孫と一緒に、たい焼きを食べたい。