こころが太陽を抱く
"心を許す"という言葉の真実には、
辞典に書かれた定義だけでは覆いつくせない魅惑も隠れているのではないかとずっと思い続けてきた。
それを求めて、
これまで
同じ質問を頭の中で反復させることも多々あった。
"それは突然抱いてしまう感情なのだろうか?”
”感情って言ってるけど、「もの」かもしれなくないか?”
何故か、
本当に何故か。
考えたり、投げかけたり、打ち明けたりしたきたことが、それもずっと。
そんな関心事について、
"#突然"の"#出会い"から、その確信たる答えを得た。
まるで、氷が跡形もなく融解していくように
疑念がすべて払拭された。
至極の温かみを心が持つ瞬間でもあった。
私なりの言葉で綴れるだけ、
"心を許す"を説明してみる。
"心を許す"とは、
それは、年に依らない。
それは、性格に依らない。
それは、強制されたものではない。
むしろ、強力な自主性によって罷り通っている。
それは、相互依存することではない。
それは、謙虚を学ぶことである。
それは、突然やってくる。
しかし、毎日外で動いていないといけない。手元で簡単に花咲かせられるようなものじゃない。あなたに体力と努力を要求する。
それは、自分の全てが認められることである。
それは、最も幸福な状態である。
それを"心を許す"と称すには、プロセスがある。
まず、私を形作る構成要素すべてが肯定され、徐々に身体の先々に幸福な熱が伝わっていき、全身に熱が帯びていくのを感じ、次に正常な呼吸ができるようになり、口の開閉がスムーズになり、(習慣的に)落ち着こうと意識が再開し始め、相手に微笑み返す余裕が生まれ、その後、感情を整理しようとし、(こっから先は私だけの過程になりそう)それを言葉で表現できるかなと挑戦をはじめ、新たな言葉を創作することに悪戦苦闘して、最終的に正規の言葉の中から、それが正に『心を許す』であることを直感するのである。
”心を許す”は、
自分の心が太陽を抱いた様を、一般化するために生まれた言葉なのだ。
だから、
"心を許す"ってとっても幸せなんものなんです。
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