アンコールワットの地、シェムリアップでのこと~心の余裕を失った俺。
以前、カンボジア、シェムリアップというアンコール遺跡群の街に滞在していたときの話です。1年以上前の話ですが、帰ってきてから現地での経験を言語化する作業を怠っていたため、今回なんとなく暇ができたので書いてみました。
東南アジアを周遊していたとき俺は本当に金がなかった。
毎食屋台だし、格安のバス移動だし、トゥクトゥクやレストランといった観光客が利用するものとは一切縁の無い貧乏旅をしていた。
そんな俺が、シェムリアップでステイしていたとき。
そこで犯した大罪を私は今でも鮮明に覚えている。
現地に行ったことのある方々ならご存知だろうが、新興国では何かを買うとき、殆どの割合でふっかけられる。
ただ、ここで言っておきたいのだが、それは決してダマシではない。ある種の知恵であり、いたって正当化されるものだ。
日本のような豊かな地から来た奴らを見たら、そりゃ俺だって値段を高くつける。
最近にわかに注目されている「ダイナミックプライシング」のようなもんだ。
ただ、バックパッカーってのは薄情なもんで、すぐさま交渉に活路を見出す。どこまで下げられるか、現地人と同じ値段まで下げられるか、何も生み出せやしない無駄なプライドのもとゲーム感覚で交渉をする。
実際俺も現地で何十回も交渉を繰り返した。
市場や仕方なく乗ったトゥクトゥク、土産店、ホステル、等々場所を問わず。
まぁそんなことを前提に読んでほしいのだが、
それはシェムリアップで親への唯一の土産「スノーボール」を露店で購入していたときのこと。
俺はその時すでに訳のわからぬ気高きプライドに苛まれており、買い物になると値下げに躍起となってすぐさま交渉を仕掛けていた。
その時もなりふり構わず、どこまで下げれるか店主と心理戦を繰り広げ、結果元々の値段7ドルから2ドルまで落とし、
俺は「鬼の首を取ったかのように」「鼻を高くし」「のぼせ上がっていた」。
商品を待っているとき、彼女の背後から顔を出していた店主の娘とふと目があった。
その瞬間の彼女の表情が俺の脳裏に今でも焼き付いている。
自惚れに包まれていた俺はあっと我に返ったものの、ここでも価値のない自尊心が邪魔をし、2ドルを渡しすぐにその場を立ち去った。
ホステルに戻り頭を冷やし、自身の言動を思い返す。
「なんて俺は情のない冷酷な人間なんだ。」と一切の意味をなさない自省を反復した。
そもそも飛行機で異国に行って働きもせずにただ放浪している日本人が思う貧乏なんてたかが知れてる。
交渉が成功して慢心し、徐々にエスカレートしていき、いつの間にか俺は心の余裕を失っていたのだ。
このように人間というのは本当につまらなく脆弱な動物だ。
ただこの先ずっと、つまらないなりに自身と向き合っていかなければならない。
心の余裕はいついかなるときでも無くしてはならないと改めて思った次第だ。