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不妊治療当日の男性側の空気感

晩婚化が進み、不妊治療に通うということは珍しいことでもなくなり、
いまや、恥ずかしいことでもなくなった。

筆者もかつて人工受精というものを行なった組だ。
(ちなみに私は旦那の方だ。)
現在は二人の子供に恵まれている。
人工受精として授かった命なのか、それとも通常の営みの中で授かった命なのかはわからない。

というのも、うちの夫婦の場合には、幸いにも医療の手を借りなくても授かる可能性がゼロではなかったため、完全に治療だけに頼るだけでなく、打率を上げるためにも、営みも行なっていたのだ。

人工的に子供ができるというのがなんとなく嫌だなという気持ちもあり、
どのタイミングでできたのか、うやむやにしたかったというのも大きい。
だから、治療期間中も積極的に行為を行っていた。

例えとして適切かわからないが、死刑場で刑務官が3人同時にボタンを押して、誰が死刑囚を死に導いたかわからないようにする、というのと同じようなことかもしれない。

そもそも、「治療」というネーミングがナンセンスだ。
「治療」と言われると、何か人として足りていない欠陥があるのではないかと思わせてしまう響きが含まれているので、気が滅入る。

人それぞれいろいろなんだから、劣等感など持つ必要はないのだ。


さて、

不妊治療の日々というのは、
いろいろと種類がある。

まずはタイミング療法といって、排卵日めがけて、今日がその日!となると
ロマンスもへったくれもなく、仕事が忙しかろうが、気持ちが乗らなかろうが、種馬のように頑張る。
次に人工授精といって、女性の排卵日に合わせて病院で男性の精子を入れて受精させるやり方がある。

さらに体外受精といって、男性の精子と女性の卵子を取り出して、人工的に受精卵を作り、それを女性の体内に入れる。これはお金もかかるが、かなり打率は上がるが、精子の選択は顕微鏡をみながら作業を行う医師によるものであるため、
その選択に他人が介在するというのも複雑である。

最初はタイミング療法から始めて、
なかなか結果が出ないと人工授精、体外受精へと進んでいくというのが多いようだった。

お金も後半になるにつれて保険が効かなくなり、経済的にも辛くなってくる。


さて、そんな不妊治療であるが、

うちの場合にはなかなかできない期間が続いたこともあり、結果的にかなり医療の力に頼るようになっていった。

毎月その日が終わったあと、妻に生理が来る時期になると、そわそわとして、受験発表のようなドキドキを味わった。

体外受精、人工授精の当日は、男性側はできるだけ新鮮な精子を用意する必要があり、クリニックの個室にて採取をすることになる。

これがまた独特の世界なのだ。

テレビと雑誌とソファが置かれた狭い部屋に入らされ、思い思いのものを見ながら自ら絞り出す。

なんというか、自分と妻の子供をつくるために、見知らぬ美しい女性の裸の写真や映像などを見ながら絞り出すというのは、複雑な気持ちである。

また、部屋に引率してくれる看護師さんとの廊下での微妙な距離感や空気、終わったあとの対応など、向こうは何も思っていないかもしれないが、
男性にとってはそういった状況で絞り出すというのはかなり精神的に大変なことである。

男性という生き物は、ほとんどみんなエッチであるのは間違いないのだが、意外と繊細なところがあり、そういった状況では思うように武器が役に立ってくれないことがしばしばあるのだ。

だから、先に入った男性がなかなか出てこないというのもよく見かけた。うん、わかるよ。わかる。そうだよね。

先に終わって待合室に戻ってくる男性と目があうと、
「うん、がんばったね。うんうん」
と心の中でお互いにアイコンタクトで頷き合うのだ。


そんなわけで、私も、これはかなり長時間の戦いを覚悟しなくてはと、出陣の時を迎える。

さあ、がんばらなくては。

看護師さんに引率されて、秘密の個室に入る。

。。。

ふう。

どういうわけか、私はすぐにミッション完了した。


変態なのかもしれない。。

この状況がむしろ興奮をしたのかもしれず、あっという間の出来事であった。


ひとつやっかいな問題が出てきた。

それは、あまり早く部屋からでると、それはそれで、早漏野郎と思われるのが恥ずかしいのだ。
遅すぎず、早すぎず、
ほどよいタイミングで部屋から出てくる技術が必要となってくる。
しかし、精子はフレッシュな方が良いに決まっている、はやくこの子たちを看護師に託さなくては・・・。

狭い部屋の中では、ぼんやりとソファに座りながらも
いつ外に出るべきか、いまか、まだかと葛藤をしたのだ。

よし、そろそろだ。。

ガチャ。


待合で次を待っていた男性とも、言葉を交わすことなく頷き合った。

よし、成功だ。完璧な仕事だ、


その後の女性に起きる身体的精神的負担を思うと、
これはカスみたいな出来事かもしれない。
しかし男性側にもこのような微妙な機微というのが存在するを知って欲しい。

人間社会の中で生きるというのは、いろいろと大変なのである。


今日は、食とは関係ないコラムになってしまったようだ。



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