「格闘技は良いぞ」という話。
格闘技って学校的なものと真逆に位置していて、反社会的というかそういうイメージとか印象が強いと思います。人が人と同じ条件でフェアな状況のもとに殴り合う、投げ飛ばし合う、極め合う。現代の社会ではそんなことは無いですから、まあ社会とは徹底して真逆の位置にあります。しかし、同時に格闘技が無くなることはない理由としては、やったことがあると分かりますが、非常にエキサイティングな競技です。国家も軍隊を持つように、人は力というものから逃れて生きることは出来ません。男性は女性より圧倒的に強いことなども、格闘技経験をしていると身体感覚でわかります。自分も極真空手を中学生の時、いちばん最初に教わった相手が、小柄な黒帯の女性でした。やはり手を抜くしかありません。
格闘技は他のスポーツと違うところは、本能をむき出しにして相手をブチ殺そうとするところです。本当に殺すつもりでやります。それが出来ないなら、まず格闘技には向きません。他のスポーツによくある、「本気で勝ちにいきます♫」とかとまったく違うわけです。そういう勝ち負けに拘るというレベルのぬるい話じゃない。自らの存在をかけて闘います。こういう究極の状況で、他人と争い合うことなんて社会では格闘技以外に存在しないでしょう。どんなスポーツでも、直接的な本能行為を軽減するために、走ったりボールを使ったりという別のめんどい作業を加えています。しかし、格闘技は別です。もちろん、本能のままに立ち向かったところで、鍛錬や技術があまりなければKOされてしまう場合が多いでしょう。そういうところで、人は自分というものと徹底して向き合わざるを得なくなります。人としての地盤の強度が圧倒的に変わる。格闘技だけは、やはり他のスポーツと大きく違い、別の哲学的な要素も大きく出るのはそういう理由でしょう。ソクラテスもプラトンも格闘家だったのは有名ですからね。