平成生まれ、「サーフブンガクカマクラ」に明け暮れる
「サーフブンガクカマクラ」が発売された2008年、私は小学6年生で”ロック”というジャンルすら知らなかった。
さらに当時はアニメに興味が全く無く、「NARUTO」や「BLEACH」も見ていなかったため、曲どころか「ASIAN KUNG-FU GENERATION」というバンド名も知らなかったと思う。
中学生の時バンドに出会ってからすっかりロックが生き甲斐となった令和の今、「サーフブンガクカマクラ(完全版)」は夏のお耳のお供である。
海は”遊ぶ”から”見る”へ「江ノ島エスカー」
全曲通して隈なく聴いているが、ダントツでお気に入りは「江ノ島エスカー」だ。
「波音の彼方」の歌い出しから、湘南の海がふわりと広がり、肌が夕暮れの感傷的な潮風に包まれた感覚に包まれる。
おそらくこの曲が「江ノ島エスカー」というタイトルでなくとも、もしそのタイトルであると知らずに聴いたとしても、きっと湘南の海を思い浮かべるだろう。
それくらいに「江ノ島エスカー」での抽象的な”波音”は、広大で、優しくて、穏やかで、煌めいた湘南の海なのだ。
学生当時、海は”遊ぶ”ところだった。
友達と鎌倉に遊びに行った時のがむしゃらな記憶は、いつだって小町通りの美味しいお団子と夏の日差しと共にあった。
社会に出て海は”眺める”ところになった。
未来に不安を覚えて精神的に憔悴し、一人で由比ヶ浜を目的なく歩いた日。あの日も晴れてたはずなのに、太陽の眩しさは記憶に無い。
そして根強く映画館に通い続けるほど大好きな「THE FIRST SLAMDUNK」の舞台でもある湘南。
波音だけでなく優雅に舞うトンビの鳴き声や踏切の音まで、あまりの再現度の高さにまるでこの海が「映画の世界のよう」なのか、「現実世界を映画にした」のか一瞬分からなくなった程だ。
「江ノ島エスカー」を聴くと、”埼玉のヤンキー”の恋路のような甘酸っぱい高揚感とノスタルジックでセンチメンタルな感情に支配され、胸が苦しくなる。
海はその時の感情で印象が大きく変わる。この曲は不思議と海に抱いた感情全ての時代を肯定してくれるような気がするのだ。
曲自体はメロディもコードも歌詞も非常にシンプルだ。でも核としてロックがある。
そして「江ノ島」という天女と龍のロマンティックな伝説が残る島。
その神秘的な麗しさとロックサウンドが生み出すエモーショナルさが、そう思わせるのかもしれない。
思い出からアジカンへ、青春から永遠へ
このアルバムをお守りのように聴いているのは、単純に曲の良さだけでは無い。
江ノ島にはたくさん思い出があるからだ。
家族で海へ行くといえばやはり江ノ島で、小中の遠足は鎌倉が当たり前、友達とどこか行こうと遊ぶ約束をすれば小町通りでgramで指輪を作る待ち時間で食べ歩きしたり、地元神奈川を出てからもたまに一人旅で鎌倉に行っては由比ヶ浜を目的なく歩き、大好きな「THE FIRST SLAMDUNK」や「ぼっち・ざ・ろっく!」の聖地巡礼で改めて訪れてみたり、訪れた回数で言えば地元が神奈川だとは言え多い方だと思う。
そんな今まで行った鎌倉の思い出を、この「サーフブンガクカマクラ(完全版)」が頭の片隅から心の奥底まで引っ張り出し、集約してくれたような気がする。
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アジカンは世代でも無ければ青春でも無い。
でも淡い記憶を情緒的で甘酸っぱい青春に塗り替えてくれるのは、いつだってアジカンだ。
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