【ライブ】凛として時雨 presents「トキニ雨」w/ 9mm Parabellum Bullet at Zepp Haneda 2023.7.8
「トキニ雨」は凛として時雨が主催する対バン企画である。
今回は東名阪のショートツアーで大阪は「羊文学」、名古屋は「Crossfaith」、そしてファイナルは盟友「9mm Parabellum Bullet」の登場。
盟友同士の対バンは最速先行でも申し込みが多かったのか、まさかの1次先行でも1300番台だったので後方で大人見することにした。
フロアは客がはみ出すほどパンパンで、ほとんどが両者のファンだった。
9mm Parabellum Bullet
正直9mmはフェスで見るぐらいで所謂ガチ勢では無いため詳細のレポは割愛する。逆に時雨好きなのに9mmを通って来ていない方が珍しいのかもしれない。
とは言いつつライブは見たことあり、9mmを見たのはコロナ禍前のフェス以来なので6年ほどぶり、ライブハウスで見るのは贅沢にも今回が初。
TKがリクエストした3曲は「(teenage)Disaster」「Psychopolis」「カモメ」。前2曲は9mmでもトップクラスの激情的でサディスティックな曲。類は友を呼ぶ、似たもの同士だと思った。
9mmのライブはもしパチンコやスロットで大当たりが出た時、あんな感じで大フィーバーするのだろうと思った。
卓郎さんは自らを「ハッピーな轟音」と言っていたが、確かに楽しかったし間違っては無いとは思うが、衝動のままキーボードを乱打するかのような轟音はあまりにも混沌要素が強すぎて破壊でしか無かった。
突然壊れたロボットにスイッチが入ったかようなかみじょうさんの畳み掛けるドラム、後ろで見てても分かる程にステージで縦横無尽に荒れ狂う滝さん、激烈なカオスだった。
凛として時雨
15〜20分程でセットが完了、いつも通りのSEで冷たいコンクリートのような空気感を一気に纏う。
トップバッターは凛として時雨の最新曲「アレキシサイミアスペア」からスタート、複雑な曲構成で変拍子が多い曲から「DIE meets HARD」とどっしりとした構えた密度の高いポップスに繋ぐ。
近日喉の調子が宜しくないというTKのカバーをするように345が引っ張っていたように見えたのが印象的で、345の目を覚ますかのような突き抜けるハイトーンボイスは後ろの後ろまで伸びていた(今日のTKは調子悪そうに感じなかった)。
曲の入りを間違えたTKが「もう1回やります、9mmからのリクエストです」と仕切り直し、轟音中の轟音「nakano kill you」。
9mmが残して行ったハードでカオスな熱気をピエールのドラムが雪だるま式に吸収し、TKが時折雄叫びを上げ、あれよあれよと狂熱が渦巻く。
コロナ禍のライブでも演奏され続け鍛えられてきた「Marvelous Persona」は、エンターテイメントな曲として屈強に完成されていた。
「パツパツのトレーシング名人よ」の脈絡も無ければ韻も踏んでいない唐突な歌詞の意味不明さ、入れる必要の無いハンドクラップ、パーフェクショニズムな凛として時雨にしてはかなり砕けた曲だ。
曲のカオスさに頭がこんがらがっているところ、ラストサビの四つ打ちにJ-POPの血筋が快感を覚えてしまう。
「Marvelous Persona」の四つ打ちから定番曲「DISCO FLIGHT」を演奏した後、ここで時雨の静のローテンポ曲。曲はまさかのベースボーカル345が歌い上げるレア曲「am3:45」。個人的にもずっと好きな曲である。
この曲は345が「世界消えて 無重力の遊泳」と歌詞を繰り返すだけの至ってシンプルな曲なのだが、入りの345のウィスパーボイスと、青のライティングとミラーボールが相まり、星数の少ない宇宙に浮いているようで、浮遊感のある曲の世界観の強さと美しさに感服した。
ピエール中野のドラムソロを挟み、「滝さんの好きな曲」とのことで「想像のSecurity」、こちらも定番曲「Telecactic fake show」続けて「竜巻いて鮮脳」と攻撃力の高い曲を連発し、名の通り”竜巻”のように隅から隅まで熱気を昇華したように感じた。
放心状態になるの言葉通り、演奏されたのは「傍観」。
TKの息耐えそうな憔悴した声に、345とピエールの極限まで音数を減らしたベースとドラム、戦場のように張り詰めた緊迫感を残しつつもその轟音はクレッシェンド式に大きくなり、赤色に染まったステージは鮮血を安易に連想させ、TKと345が合わされば皆殺しの滅多刺し、TKがわざとらしくギターの甲高いハウリングを遺せば、いつの間にかステージには鳴り止まない拍手だけがフロアに響いていた。
反対語に成りうる「静寂と轟音は両立するのか?」と言うところだが、凛として時雨の「傍観」はその矛盾を体現してしまうのだ。
誰かを傷つける無意識の罪を、内側のもっと奥にある核の殺伐とした暴力的な衝動を音に殴った様子を、ガラス越しに見ていたようだった。
今日の「傍観」は名の通り"傍観"していて、私たちが皆殺しにされると言うよりかは「目に見えない何かに時雨が音で滅多刺ししている様子を”傍観”している」と言った方がしっくりくるかもしれない。
傍観者は共犯者にもなる。ただ見ていただけの私もいつの間にか加害していた。
「傍観」を演奏する凛として時雨を見た私は、客というより共犯者に近いのかもしれない。
死ぬまで
チケットは無論ソールドアウト、ファン層がドン被りする対バンの中でも後ろの後ろまで9mmも時雨も隈なく盛り上がり、互いのリスペクトが存分に感じられる希少なライブだったように思う。
卓郎さんが「2005〜6年のシーンを思い出す」と言っていた時、当時の私は何をしていたかと思い返すと10歳前後なので凛として時雨どころか「ロックバンド」という言葉すら知らなかったと思う。
私が時雨も9mmも知った頃は既に音楽シーンの代表で”異質な存在”として認識していたため、頭角を現した頃の彼らの異質さや勢いは全く知らないのである。
もし私が10歳の時彼らに出会っていてもきっと好きになっているだろうし、歳をとって50歳になってから出会ったとしてもきっと好きになっているだろうと今日のライブを見て思った。
彼らの新しい音を探す旅は、まだまだ続く。
セットリスト(外部URL)
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