【歌詞考察】凛として時雨「狐独の才望」【陰陽師】
新曲が先行配信とのことで聴きました!いやあ、さすがTKとしか言えないですわ。
アニメ「陰陽師」の配信はまだ先だけど、前情報だけでかなり考察出来ることが判明したので書き記します。
2023/12/4追記:「陰陽師」見たので色々追記しました。
歌詞考察
1番
「笛の怪」は第2話で葉二(はふたつ/名笛の名前)を吹く朱雀門の鬼、同時に晴明のバディとなる雅楽家の源博雅。
本来「白昼」であるだろう漢字が「白宙」と造語になっている。
陰陽師として知られる安倍晴明は本来の職は「天文学者」なので、宇宙の「宙」を採用したのは頷ける。
嫉妬と憎しみから鬼と化してしまった人間に対する問いかけだろう。
「big bang 」は呪術に使うため、宇宙の力を借りると言った意味と仮定。
「孤独に色が触れる」は晴明が博雅に出会った時の心境。
おそらく晴明の母である「葛の葉」のことだろう。
安倍晴明は狐の化身と人間のハーフだという伝説が残っている。「葛の葉伝承」と言うものだ(葛の葉伝承は安倍晴明の母の話)。
簡潔には、妖狐である葛の葉が人間に化けて人間の安倍保名と結婚、後に子ども(晴明)を授かるが、子ども(晴明)が5歳の時に母の正体が狐であることがバレてしまい、母が家族の元から自ら去ったという伝説だ。
騙されることを「狐につままれる」と言うが、歌詞では「狐に包まれた」とやんわりした表現になっているので、意訳すれば”嘘を付かれた、強く騙された”よりかは”正体が狐なんて知らなかったけど好きだしいいか”ぐらいのニュアンスなのかもしれない。
「呪苦呪空」は「ジュクジュク」を当て字にしたものだと思われれるが、これは「具注暦(ぐちゅうれき)」から文字っているのではないだろうか?
「Trap」は、下記2つ。
”地面に埋める”という点で、虫好きの露子姫の父が娘に虫を諦めさせようと黒丸を生み出すため蠱毒用の壺を埋めたとき
「神泉苑」に晴明と博雅が逃げ込んだ際、一時、鬼の正体と疑われた賀茂保憲と博雅が鬼化した敦美親王と対峙した時=鬼と化した敦美親王の罠
「虚」で消えてしまった「狐」の母の葛の葉、「孤」は子の晴明。
「心に独が触れる」は孤独の文字をバラしたもので、天涯孤独で人に興味の無かった安倍晴明が源博雅に出会ってからの心境ではないだろうか。
サビ
「蠱惑(こわく)」とは容姿の美麗さで誘惑すると言った主に女性に対して使われる言葉で、ハニートラップを仕掛ける女性という意味が近いかもしれない。
「蠱惑的な陰」は安倍晴明のライバルとして登場する道満のことだろう。
(他の創作も美男だったりジェンダーレスだったり様々だが、「陰陽師」のアニメ化においては女性)。
ここは「才能が無い/才能の渇望」という意味と捉える。
1つ、第4〜5話で和歌を盗まれた壬生忠見が鬼と共に歌を作る回。2話を通して百人一首「恋すてう〜」で有名な壬生忠見が「歌の才が無い」と嘆く姿が描かれる。
(ちなみに、晴明が忠見の怨霊に使ったのは結んだ印からしておそらく九字護身。また「臨」担当の神が毘沙門天/アマテラスとされる。)
2つ、愛弟子に笛の才を越され、博雅の才に心底嫉妬していた敦実のこと。
■蠱毒
中国古来より「蠱毒(こどく)」という術式が存在する。
毒虫や蛇などをひとつの瓶に入れ、共食いさせて残った1匹を術に使う。具体的には生き残った最強(凶)の虫を一度祀ってから、食べ物に入れて毒殺を図ると言ったものだ。
この蠱毒は凶悪かつ強力な呪術だそうで、中国では一時代は死刑の対象だったらしい。
またこの蠱毒は「呪術廻戦」に出てくる両面宿儺の元ネタでも行われていたそうだ。蠱毒を人間で行ったという内容だ(怖い話になるので気になる人は検索を)
「陰陽師」においてはこれを応用し、道満は露子姫に対する悪評を入れ込んで黒丸が作られた(禍々しい姿で生まれるものだと仮定していたが、羽化すれば、露子姫の心を具現化したようなとても美しい姿の妖精だった)
この術式で「虫を扱う」という点で、間接的に虫を飼っている露子姫を表現しているのではないだろうか?
同時に「蠱惑的な陰」が道満に対し、魅力的な女性になりたいと言う意味で「蠱惑的な夢」は化粧っ気のない露子のこととも読み取れる。ここのパートが345なのがまた刺さる。
ここは術を邪魔しようとした際、晴明が金縛り状態にして博雅の動きを止めた時のことではないだろうか。
2番
「喜びも怒りも生み出すのは己だ」は晴明の台詞の通り、「人間の心の奥底にある憎しみから鬼や呪(しゅ)が生まれる」。
一時博雅を失った晴明の心境。
「陽と陰の境界線」は端的に「陰陽師の話だから」のまた一つ奥に、「孤独な安倍晴明(陰)とお人好しの源博雅(陽)がタッグを組んだこと」、そして晴明の術式と博雅の笛の奏で妖を退治する。
サビ
ここでは「毒」について。
■孔雀明王の真言
晴明の体内に赤蚕蟲が入り込んでしまった時、露子が晴明に唱えた「オン・マユラ・キランデイ・ソワカ」は孔雀明王の真言である。
つまり、「孔雀明王の力により、晴明の中に入った毒を祓う」とも意味取れる。
「歪な彩り」=「赤蚕蟲(せきさんこ)」(黒丸)の比喩だと思う。
「赤蚕蟲」は蠱毒によって作られたもの。
つまり、「毒(鬼の赤蚕蟲)が盛られた僕(晴明)の 心の奥底にある歪な彩り(晴明の赤蚕蟲/黒丸)」と読み取れる。
ここで一見リズム遊びで選んだかのような「Tic, tic, tac」について。
時計の擬音の計12単語出てくるがこれは時刻の十二時辰、同時に安倍晴明が式神として使っていただいて十二天将を表しているのではないか?と思う。
現代でも夕方以降を逢魔時、深夜を丑の刻参りなど伝承がある通り、時間との勝負の意味も含まれているのかもしれない。
【アニメ視聴前考察】
先日公開されたTKのインタビューでは「自分に才能は無い」と言い切っており、それが本当に微塵も思っていなさそうで個人的にびっくりした。
それで思ったのだ、客観的に彼を見る者として「TKは無意識のうちに安倍晴明に重ねているのではないか?」と。
最初のフレーズの「零を満たすは呪の彩」は零(0)=虚無感/自己肯定感/承認欲求、呪の彩=呪術、度々繰り返される「無色めいた僕の声も」は「無力の自分」として意訳を仮定する。
他者から見て「選ばれし者の才」が本人にとって「このくらい出来て当たり前」だと思ってしまう手応えの無さが故に「客観的に天才と称される人間こそ自分自身に才能が無い」と思ってしまうのでは無いのだろうかと私は考えている。
サビの「愚かな才望」もまた、その才望を使い切れない愚かさ、宝の持ち腐れを意味しているのでは無いだろうか。
■陰陽論
本来最初に話すべきだが、あえて最後に話そう。
「陰陽論」とは、中国の「陰陽五行思想」に基づいて作られ、加えて天文学や暦などを駆使して取り入れられた占いである。
「陰陽五行思想」は自然界は陽と陰で出来ている陰陽(俗に言う陰陽論)と、木・火・土・金・水の五行からなる五行思想を組み合わせたもの。占いで見たことある人も多いと思う。
陰陽論は例えば太陽と月、男と女、奇数と偶数など、対になるものはこの対極的な性質で世のバランスを保っていると言う考え。
なので決して陽だから吉、陰は凶と言う短絡的な考え方では無い。バランスが重要なのです。
歌詞で対になる単語は「無色(陰)=鮮やか(陽)」「鮮やかな(陽)呪(陰)」「歪な(陰)彩り(陽)」。
こうして全体的に陰陽論を随所に散りばめているのだ。
名付けるも”呪”、思ふも”呪”
全て個人の考察ですのであしからず。
晴明が九条の美しい琵琶を聴き、博雅にこう話す。
善の感性がある種、呪いにもなる。呪いが”救い”になることもあれば、”祈り”が呪いにもなることも忘れてはならない。
そして、私のこの考察も一種の”呪”である。