【ライブ】「ショートカット」は誰のもの「New music path」yutori/ペルシカリア@渋谷Milkyway 2024.8.13
渋谷のセンター街に位置するライブハウス・Milkywayに勤めるブッキングスタッフがこの企画を持ってライブハウスを卒業しフリーになるとこのことで、今回がそのブッカーさんのラスト企画となる。
そんなブッカーが選んだ集大成とも門出とも言えるラスト企画は待望のyutoriとペルシカリアの2MAN。今の彼女彼らなら、第三者ではないと呼べない2バンドである。
一番の驚きはなんと言っても、あのソノダマンさんがこのライブに選んで来ていた事実だ。
「ソノダマンさんがライブレポを書いてくれるだろう」と他責思考もあるが、伝説のライブを書き記す文章はいくらあってもいいだろうと言うことで私は私で感想を綴ろうと思う。
yutori
ライブは初見。もちろん彼女らはEggsにアップされた矢口結生とのフィーチャリングの「ショートカット」で知った身である。
古都子さんのオイルインクアートのような繊細ながらもコントラストがはっきりとした歌声と圧巻の歌唱力は結成当初からすぐさま話題となったが、生歌は想像以上にシンプルに歌が上手すぎて初手から怯んだ。
溢れる透明感にブレない芯の強さを保ったままストレートに伸びる感覚は様々なボーカリストで体感して知っているが、古都子さんの歌声がここまでスマートで筋肉質であるとは知らなかった。
音源では「令和で流行のポップスバンド」という普遍的なイメージを持っていたのだが、ライブだとオルタナティブの輪郭がはっきりと見えた。
「午前零時」の変拍子ではthe cabsっぽいマスロックっぽさを、「有耶無耶」では米津玄師がハチ名義で活動していた絶妙なポップなダークさは平成ボーカロイドっぽさを、ところどころギターフレーズにtoeのようなポストロックにa flood of circleのような荒削りなブルースなど、様々な音楽ジャンルのエキスがときどきふわっと香って、”ネットの世界に生息する音楽”だと思い込んでいた私はあっさりと掌を返した。完全にライブシーンで生きているバンドだった。
彼女が語った曲が出来たルーツと矢口に対して隠し持っていた嫉妬心を顕にしたことにより、直後の「ショートカット」では前方では一気に圧縮が起き、曲の持つ勢いについにダイバーが発生。
直前までしっとりとじっくりと見守るように聴いていたフロアだったが、その日の「ショートカット」は花火がフィナーレに向かうが如くごく自然に起きたものだった。だからその光景に驚きもしなかったし、"この日だから"こその嫉妬やプライドから生まれた熱量が産んだ結果であることが証明された。
私がTwitterやInstagramが登場したばかり学生時代はフォローする/しない/ブロックと分かりやすく人間関係に白黒しかつけられなかったのだが、現代ミュートという選択肢があるにも関わらず、いきなり「フォローを外す」という行為に及んだことが不器用だなと思ったが、そんな人間関係の不器用さが彼女が"ロックバンドのボーカリスト"として道を選んだのかもしれないと思った。
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初めてyutoriのライブを見た感想は、小さな箱には収まらない力量を持っていると思った。どんどんキャパシティも知名度もステップアップしていく力が備わっていた。
ペルシカリア
ライブを見るのは先月末ぶりと、今まで同郷である埼玉のバンドにも関わらず信じられないほどライブ予定が合わずに縁がなかった1〜2年前とは嘘のようにハイペースで見れているペルシカリア。
メンバーがこのライブハウスで現在進行形でアルバイトをしており、演者としても裏方としても絶賛修行中の彼らだが、この日のライブはお世話になっていたスタッフの"卒業式"と同時に、はっきりライバルとも言えるyutoriとの対バンで格段に気合が入っていた。
「さよならロングヘアー」を序盤に投下するのは直近のセットリストで多いためなんとも思わないとは言いつつも、今日のライブはその"普段通り"がどうも布石を打ったようにしか思えなかった。
「作ったのは俺だ」と言わんばかりに鬼気迫る「ショートカット」、気づけば10年以上も飽きず懲りずライブシーンに身を置ている訳だが「それぞれのバンドのキーマンが一緒に作った曲を、それぞれのバンドで歌う」というライブに立ち会ったのは初めてだ。
モッシュダイブが当たり前に起こるようになった今「yutoriに見せたい景色はこんなものじゃねえ!」と煽り、矢口も自ら客席にステージダイブ。
ペルシカリアはお世辞抜きで見る度にどんどん進化している。音に重みがどっしり詰まっていて、日々のライブ活動で自信がついて結束が日に日に固くなっているような、同時にロックバンドを利用して好き勝手やるひとたちに対しての反面教師、反骨精神、その違和感を全て音に詰め込めているようにも思う。
それは「優しい人」や「風道」のような2ビートで全力疾走する顕著なメロコア調のショートチューンだけではなく、「さよならロングヘアー」や「歓声の先」にも土台が構えているようだった。
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先日の越谷でのライブで「東京で活動していくことにしたのは埼玉にあった北浦和KYARAが閉店してしまい、活動拠点が東京を選ぶしか選択肢が無くなってしまったから、だから埼玉を捨てた訳ではない」と話していた彼ら。
(いくらか埼玉にライブハウスもあるが、メジャーバンドが全国ツアーで回る際に選ばれるようなライブハウスが多く、若手を育てられる環境のライブハウスが極端に少ない)
今日はfrom 埼玉と同時にfrom 渋谷Milkywayでもあったペルシカリア。スタッフの卒業と門出を祝福するイベントでもあり、因縁とも言えるライバルとの対バンと情報の重さに比例して熱量が凄まじかったが、県代表もライブハウス出身の看板も背負っていける音が鳴り響いていた。
何よりyutoriもペルシカリアも、シーンを担う期待は全てソノダマンさんが見に来た事実が物語っているかな。
来たる未来
正直、今日のライブに行くか当日の午前中まで迷っていた。
この日は私の精神の奥深くまで侵略している大好きな「THE FIRST SLAMDUNK」の復活上映の開始日で、無論初日である当日に行き、やっぱり私を形成してくれた映画は何度も見ているはずなのに精神的にはお腹はいっぱい、夜新たにフレッシュな若手バンドのエネルギーを受け切れる器があるとは思えなかったのだ。
だから今の私の精神状態で見るより「このライブは見たいひとに見て欲しい」と思い日中チケットの譲り先を探したが、お盆時期ではあるものの平日は平日、結局譲り先が見つからなかったので行くことにした。
結果行ってよかった。
いい映画を見て、刺激的なライブを見て、寝て起きてこれを書いている今も精神的に胃もたれしている状態だが、チケットに書かれたyutoriとペルシカリアの名前を見る度に未来しか見えなかったんだ。「精神的にお腹がいっぱいだ」と言いながら、本当はこのチケットを心底手放したくなかったんだ。
数年後、2バンドとも大型のフェスの出演者に当たり前のように名を連ねるようになるぐらいに大きくなって、「あの日は悔しくて一緒に出来なかったけど今なら一緒に『ショートカット』を演奏できる」なんて言って、2人がいつかライブハウスでもフェスでも同じステージに立って歌ってくれたらいいな。
私が見てる未来はそんな未来だ。
「ショートカット」は誰のもの
最後に、この記事を読んでいる人は知っている人が大半だと思うが軽く説明させてもらうと、ペルシカリアの矢口君が「さよならロングヘアー」のアンサーソングとして「ショートカット」を作り、一緒に曲を作ったもののこの曲をペルシカリア側ではなく古都子ちゃんがメインボーカルとして歌ったyutori側に音源をアップしたところ、yutoriの方の「ショートカット」がバズってしまったという経緯だ。
なのでyutoriに名義が傾いているだけで実際は完全なる共作である。
一口に対バンとはいえ種類は様々、バンド側が「一緒にライブをやりたい」と仲間内でワイワイとやる場合、ゲストに先輩バンドを呼び強いリスペクトを持つ場合、ライブハウス側では客の音楽の架け橋となるライブを設けたり、お互いのバンドに刺激を持たせるための成長の場など、意味合いは様々だ。
今回の対バンはファンとしては待望の共演、卒業するブッカーとしては集大成、演者本人にとってはボクシングでタイトルを取りに行くかのような決闘に近かったのだろう。
曲を奪い合っているようにも思いつつ、ベクトルの違う彼女彼らの音での一つの作品をそれぞれの色で彩っているようにも思えて、私はどちらの「ショートカット」もどちらの味があって好きだが、”1人でも多くにyutori/ペルシカリアの方が好き”と言ってもらえるように"と矢口くんは「音楽は勝ち負けではない」と言っておきながら「ショートカット」という曲を取り返しに行くように、凄まじい気迫とハングリー精神に真っ向から食らった。
2マンのことを"対バン"と呼ぶ語源は確か”対決バンド”だったよな。まさしくこのライブは"対決"していた、音楽で殴り合っていた。
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「『ショートカット』はあなたの曲」と矢口君は言った。ならyutoriの曲ともペルシカリアの曲とも言っていい決定権は私たちにあるんだな。
はっきりと白黒つけるなら、私は2人が歌ってるEggsにアップされてる「ショートカット」が一番好きさ。
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