【ライブ】MONOEYES「The Unforgettables Tour 2024」@カウンターアクション宮古 2024.10.1
関東圏から新幹線に乗って遠征してきたのは私ぐらいなのではないかと思うが、ツアーキャパ鬼門中の鬼門の1つであるカウンターアクション宮古のチケットが当選するという最大の奇跡を起こした2024年秋。整番はキャパ250人に対して240番台後半とほぼビリッケツで本当にギリギリだった。
そんなずっと行きたかった東北ライブハウス大作戦系列の箱でのMONOEYESのライブを記録する。
ライブレポート
定刻19:00きっかり、スターウォーズのSEが流れると新人バンドの如く颯爽と登場。
今回の新作E.P「The Unforgettables」から先行配信されていた「Ladybird」を皮切りに「Free Throw」「Run Run」「Like We've Never Lost」とキラーチューンをエンジン全開でぶっ続けて演奏。
キャパ300人以下の小箱でMONOEYESのようなフェス常連の超人気バンドのライブを行ったのはロックバンド人生で片手で数える程しかないのだけど、案外2000人以上入る大箱でのライブとはいい意味で変わっていなかった。
主軸はこうした小さいライブハウスで常に1対1、密度と馬力が常に一定していて、Zeppのような大箱でもフェスでも会場が大きくなっただけで、間伸びしているとも逆に凝縮しているとも感じたことは無いことに気が付く。
カウンターアクションは物理的にも距離が近いが、居酒屋さんのカウンター席で大将とお話しながらお料理をいただいているような、程よい距離感が居心地よかった。
細かいアルペジオを弾きながらずっと客席を隈なく見渡しながらギターを弾くトディの器用さを痛感したり、スコットが何度もベースでフロアを狙撃していたり、ライブハウスという閉鎖的な桃源郷でのライブは気負わずアットホームながらも本当にカッコよくて、MONOEYESを好きになったきっかけの1曲である「グラニート」が久しぶりに聴けて本当に嬉しかった。サビの「そういう世界があるなら行って見たいと思った」が歌詞が大好きなんだ。
「Just A Little More Time」もライブで演奏したのはかなり珍しい気がする。多くはなくともMONOEYESのライブは今までフェスもワンマンも含めて何本か見ているけど、もしかしたらライブで聴いたの初めてかも。
MONOEYESのライブは終始爽やかな春風が胸を吹き抜けるような多幸感があってずっと心地いい。私の中ではMONOEYESが春秋、ELLEGARDENが夏、the HIATUSが冬のイメージなんだけど、例えるならMONOEYESは東風、the HIATUSは夜風、ELLEGARDENは疾風。
「意外とこの曲好きな人多いよな」と細美さんが話したとき、スマホを見てる仕草をしていたから意外とエゴサしているのかな?と思ったり。
衝撃の事実発覚にスコットが絶望していたのをよそ目(理由は後付けな気もするが)にトディも一瀬さんも「俺らは関係ない」と言わんばかりに淡々とライブは進む。
「Fall Out 」「Nothing」「Atmosphere」とこれまたテイストの違う曲を並べて演奏。「Nothing」も演奏したのかなり珍しいような気がする。曲の説明があったからか音源とかなり印象が違く感じて「こんな曲あったっけ?」と素で思った。今回演奏した曲目のなかでも明らかに質感が違ったし、音源よりライブの方が人気も街灯も無い真っ暗な道を1人で歩いているようなダークでセンチメンタルでヘビー。ワンマンツアーということもあり今回のツアーはレア曲多めなのかも。
上手に貼ってあった「細美武士」と書かれた木札と目の前で歌うご本人を交互に見ながら、一言では形容し難い感情を抱きながらライブを見ていた。ここまでこれた感慨深さの他にも、今までどれだけの人が救われてきたんだろうな、東北ライブハウス大作戦を機にライブハウスに通ったり、音楽の道を目指した人間はどれだけいるんだろうなとか、自然とバックボーンを見つけようとしていた(そう言えば「FUNNY THINK」も岩手のバンドだったはず。)
「Two Little Fishes」を演奏する前にそんなエピソードを話してくれた。
以前MONOEYESとBRAHMANの対バンを見に今は無き新木場コーストに行ったとき、この曲でTOSHI-LOWさんが変な振り付けしながら勝手に登場してアナ雪みたいに向かい合って細美さんと勝手にデュエットして、さらっと勝手に帰って行ったのが面白すぎて、この曲演奏されてるたびに変なダンスが未だに脳裏をよぎる(両腕を2回ずつ横に振って上下運動するシンプルな振り付け)。こんなにいいエピソード話してくれたのに脳裏に現れるのはTOSHI-LOW…恐るべし鬼の呪い(?)。
誰もが「チケット代3000円以内は安いだろ(確認したら手数料込みで2880円)」と心の中で突っ込んだと思うが、MONOEYES主催のライブはどのライブでも「チケット代安いから申し込んでみた」の気持ちで来た人が皆無なのが本当に凄いなと思う。
正直楽しすぎたのと、TOSHI-LOWさんの変なダンスを思い出してしまったせいで「Two Little Fishes」以降はお酒を飲んでいないのに記憶が曖昧なんだけど、「My Instant Song」だったかで2サビ以降スコットにボーカルを任かせて、サビで細美さんがメインボーカルに戻るかハモリに行くか様子を見ていて、スコットが細美さんの様子を伺いながら歌っていたのは印象的だった。
初手の「Ladybird」の他に「Adrenaline」「Atmosphere」「The Unforgettables」と新譜を提げた曲は随所随所の程よいタイミングで演奏されたのだが、新曲にも関わらず馴染んでいた。
音源では新しい楽器を入れて音をガラッと変えたり、明らかに彼らの心境の変化があったかのような曲調の変わり方ではないのに、今までのMONOEYESとは違った雰囲気を感じていたけど、実際ライブで演奏されると新曲が「曲が浮いている」と思うことは無かった。例えるなら継ぎ足しの秘伝のタレみたいな。
フロアも東京近辺のライブとは盛り上がり方が全然違うのにかなりびっくりした。
もちろんロックバンドの楽しみ方としてモッシュダイブがあるのは当たり前だけど、逃げ場のないほどもみくちゃカオスになると思っていたけど思っていたよりダイバーが少なくて「When I was a King」のラストサビでリフトの壁がない、そして誰もライブしない、マナーさえ守っていればいい無法地帯のライブハウスでラスサビではっきりとメンバー全員が見える視界良好という光景をはじめてみた。東京のライブでしかMONOEYESを見たことがない私にとってはこれが逆に異常な光景だったのだ。東北のライブキッズは控えめなひとが多いのかな?東北大作戦のライブハウスだからかな?
私はリフト壁の光景も好きなんだけど、宮古は全体的に「MONOEYESのために盛り上げるぞ!」と感謝を伝えにライブに来た人が多く見受けられたように思えた。
最後の「リザードマン」も好きな曲の1つで、よくバンドマンが煽る曲中の「行こうぜ」と歌詞の「行こうぜ!」はわざとかけているのかもしれないけど、本当にどこにだって行けるような気がするんだよな。
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アンコールでは細美さんがTシャツを脱いで再登場。
L.U.T.Dで最後に「彼は誰の夢」をあの錚々たるメンツでこの曲を最後に演奏するなんて珍しいなと思っていたのだが、そういうことだったのか。
(この日はBRAHMANの他に10-FEET、フォーリミ、[Alexandro]などが出演していた。あと04のGENさんが細美さんとTOSHI-LOWさんのことを「面倒くさい先輩」と愚痴っていた)
キャパが狭いので後方で見ていても目が合っているかのような錯覚に何度も陥ったけど、あの場にいた全員が錯覚では無いのかもしれない。
先日、カウンターアクションより少しだけキャパが広い埼玉にある越谷EASY GOINGSに行った。その日のライブはフロアライブ(客席フロアに楽器が置いてあるタイプのライブ)でステージが解放されていたため、人生で初めてステージからライブを見た。
意外や意外、後方までお客さんの顔がはっきり見える。よく先生が授業中「寝ているやつ丸見えだぞ」と忠告していたけど(私はダメ学生だったからされていた側)、最前から一番後ろで壁に寄りかかって見ている人まで、視力云々ではなく、本当に顔がはっきりと見える。バンドマンはこんな景色を見ているのだと思うと同時に、こちらの人間としては見られているんだと痛感した。
その後はガラッと空気がパーっと明るく変わって「Border&Walls」、来年結成10周年を迎えるMONOEYESもすっかりスコットメインボーカル曲が増えて、もはやメインボーカルがスコットではないか?と思うぐらいに大盛り上がり。
「結成10周年」と書いて思い出した。2016年頃、確かオーラルのライブを見に行ったZepp Divercityでの帰り道、ライブハウスと駅の中間ぐらいの少し離れた場所でZepp側のスタッフさんではないひとがMONOEYESのフライヤーを配っていたんだ。
最初は「若手バンドかな?」と思ったんだけど、配っていたのはMONOEYESのみ。彼ら個人はバンドマンとしてのキャリアがあっても、バンド自体はまだ1年経っているか経っていないかのひよっこだからかもしれないが、こうした広報活動は自主的に細美チームがいろんな会場で細々やっていたのかも。その時は格別細美さんを追っていたわけではないし、家にあまりチラシを増やしたくなくて最初はスルーしたんだけど、フライヤーに書かれた「MONOEYES」の文字を見て「これ細美さんが新しく組んだバンドじゃん!」と気付き、友人も細美さんが好きだったから戻ってそのフライヤーもらったんだ。
既に知名度のあるバンドマンがお金をかけてチラシ刷ってビラ配り、ネットでの評価が重要視される世の中で、今ならお金をかけずに知名度を上げる広報の仕方はいくらだってあるのに、広報的な観点で言えば「時代遅れ」「不器用」「非効率的」かもしれないけど、音楽が単なる商品として売るものではなく"届ける"ミュージシャンであれば「地道」「誠実」「正当」と言える。今思うとビラ配りは「真実はライブハウスにある」を体現した細美さんらしい正しい広報の仕方だったんだなと思う。
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2曲やって捌けるも、鳴り止まない拍手に再再登場のダブルアンコール。
「Remember Me」で東北ライブハウス大作戦3連チャンの初日は終了。
いつか来たかった
このセクションでは自分語りをする。
ずっと東北ライブハウス大作戦の箱に行きたかった核の理由があるのだが、その理由が無ければ今回のライブに行くことは無かったから、別途書かずにこの記事にまとめて書くことにする。センシティブな内容を含むので読まなくても問題ない。
津波に流された
おばあちゃんの実家が岩手の三陸海岸沿いにあった。家は震災で津波に流されてしまったが、何十年も前から実家は空き家状態のため、おばあちゃんの命は無事だった。
細美さんが「東北の復興支援を始めたときは30後半で若かった」なんて言ってたけど、震災が起きたとき私は中学2年生。首都圏に住んでいた身でも、現在進行形で東日本大震災は経験した地震で人生で一番大きかった。
直接被災した訳ではないものの、中学生ながらも生活に影響が出た。首都圏では計画停電の地域に指定され学校は午前中のみ、午後の授業は無くなり、もちろん部活動ができなくなったりした。
震災が発生して1ヶ月経たないぐらいの時、三陸海岸沿いに住んでいた岩手の親戚が東京近辺にくると聞いた。そんな親戚がいたことなんて聞いたことが無い。私からすると血が繋がっているかいないか分からないぐらいに遠い。当時親から聞いた話なのであやふやだが、13年経った今でも記憶に残っている部分は綴ろうと思う。
その親戚は当時小学生の子ども2人の4人家族で三陸海岸沿いに住んでいた。発生当初は家にいて、津波が来るからとママは子どもを屋上に登らせた。その後にママが登った。でもパパは間に合わなかった。目の前で津波に流されたそうだ。ママはパパを追おうとしたが、寸前でやめた。「あの時パパを助けに行っていたら、私まで流されて子ども2人を残していたかもしれない」と話していたそうだ。後日旦那さんの遺体が見つかったそうで、それはまだよかった方とは言いたいところだが、仮設住宅生活を余儀なくされ、最低でも1年は住んでいたそうだ。こちらに逃げてきたのは本当に一瞬で「地元がいいから」とその後はすぐ岩手に戻ったそうだ。現在その親戚らはどんな生活をしているのはそれ以来分からない。
母からその話を聞いて「ふーん」と返したりしたけど、知らなかったとはいえ家系図上では遠くても線は繋がる身内が犠牲者になると思っておらず、それに実際生死をさまよった人の話は人伝とはいえ壮絶だった。同情も、励ましも、自分だったらとか想像する余地も、当時の私には全部無かった。
その親戚とは全く関係が無いわけでは無いが、縁があるかと言えば無いし、おばあちゃんちも実家が岩手と話を聞いていただけで私自身も今まで岩手に行ったことはない。
震災後にロックバンドを知った。そして、いろんなバンドマンが東北ライブハウス大作戦を遂行している姿を見続けた。
そのボランティア活動を目にする度に、ふつふつと「いつかおばあちゃんちのあった岩手に大好きなロックバンドのライブに行って、その事実を肌身で知りたい」と、次第に名も形もない思いがさざれ石のように募っていった。
きっかけは荒吐で見たELLEGARDEN
先ほど震災が起きたとき私は中2だと言ったのだが、そうなのだ、私は細美武士直撃世代ではない。ELLEGARDENを知ったのも活動休止して既に数年経っていてthe HIATUSが活発だった。
親が友人がロックバンドを知っていた訳でもない、なのにどうして細美武士の名前を知っていたのだろう?と自分でも不思議に思っていたのだが、彼の存在を知ったきっかけは曲からではなくきっと東北ライブハウス大作戦なのだ。
ボランティア活動に尽力している人がいて、それも震災が起きてから一度ではなく定期的に続けていて、カッコいい人たちだなと思って聴き始めた。案の定曲も好みでカッコよかった。本当に気が付いたら彼らの存在を知っていたため、それに気づいたのは割と最近の話だ。
「いつか東北ライブハウス大作戦のライブハウスに行ってみたい」という思いは数年に渡って変わらずあったが、別に誰のライブでもいいとは思っていなかった。絶対に東北ライブハウス大作戦に本腰入れて参加しているバンドが良かった。そんな私の漠然とした思いがはっきり意志を示したのは、今年荒吐で見たELLEGARDENだった。
東北で見るエルレはこんなにも重みが違うのか。それはリスペクトの類の重みで、余所者だからそう思うのか分からないが、ライブそのものが最高だった以外にとにかく圧倒された。MCでは震災について触れていないのに、火山が噴火するかの如く地底から力が湧き出るような、瓦礫に阻まれて通れない道路に迷いなくブルドーザーで突っ込んで通り道を作っていくような、エルレがライブをしている間は、停滞していた物事が一気にガツンと先陣を切って進んでいくような感覚を覚えた。
「被災した東北に力を貸し続けてきたバンド」と知らなくともそう思うぐらいに「東北のことなら俺たちに任せろ!」と言わんばかりの頼もしさが音に出ていたんだ。
このとき自分の中でぼやけていた輪郭がはっきりした。石巻でも、宮古でも、大船渡でも、やっぱり一度は行かなきゃ。そして確信した。どうせ行くなら、おばあちゃんの地元である岩手で、ずっと復興支援に尽力してきて、大作戦の主格であり、私の人生のバイブルでもある細美さんのライブで絶対に行きたい。
やっと行けた
MONOEYESのツアーが発表されたとき、自宅から一番近い東京より真っ先に岩手のスケジュールを見た。岩手に行ったことが無いため土地勘は全くだが、その3つのうち宮古が遠征するにはまだ交通の便が良さそうだったので宮古を申し込んだ。
1次抽選は案の定落ちた。倍率も高いだろうし、きっと地元の人を優先に当ててると仮定していたから、埼玉県人の私が岩手のライブを申し込んだとしても厳しいと思っていた。
2次選考も宮古にした。エイタス野音が最後の最後の追加抽選で当たったからきっとMONOEYESも当たるだろうという謎の自信からなんとなくチャレンジしてみた。
当選した。自分でもびっくりした。
ライブ当日、日中は浄土ヶ浜に行ったり、宮古の街をウロウロしていた。
この日は晴天、浄土ヶ浜は観光客で賑わっていてたくさんのウミネコがぷかぷか浮いていて、波ものどか。宮古の海は沖縄の宮古島みたいに透き通った青色で、心の底から綺麗だと思った。正直想像以上、ネットで見るより断然綺麗だった。
浄土ヶ浜は"浜”と言いつつ、ざっとアパート5〜6階分ほどの高さがある崖だった。その崖が津波を堰き止める役割を果たせないほどの威力だったなんて全く想像が出来なかった。震災のことを知らなければこんなに綺麗な海が猛威になるんだと思えないし、当時の写真が海の家にあって見たりしたけど、やっぱり信じられなかった。自然の脅威を思い知った。
その後、海辺から街に戻って散策した。街や店の至る所に「津波がここまできました」マークがあった。カウンターアクションのある宮古駅は付近は海から車で20分ほど離れているにも関わらず、街を丸ごと飲み込むほどの津波が来たここまで事実もまた信じられなかった。
夜、カウンターアクションに行く。
壁一面に名前の書かれた埋め尽くす木札を見て、他のライブハウスとインテリア的な意味で違ったのは当たり前なのだけど、音楽だけではない地元への愛や思いやりがエキスとしてライブハウスに染み込んでいるように感じた。
「わざわざ埼玉から来るのはどうせ小箱で見たいからだろう」、そう思うならそれでいい。
気がつけば10年以上ロックバンドを追っかけている身だが、そう安易に思うならロックバンドから何を学んできた?何を教わってきた?私がロックバンドの背中を負っているのは「芸術としての音楽が好き」「人生の歩む力を貸してくれた」だけじゃない、天災に見舞われて衣食住が失われた人たちをボランティアという形で、たくさんたくさん行動して手を差し伸べている姿に感銘を受け続けているからだ。私は「バンドマンは曲が良ければ人間性はどうでもいい」とは全く思わない、むしろバンドこそ人間力だと思う。私が信じたロックバンドはファンだけではなく社会にも尽力してきた人たちだ。
東北ライブハウス大作戦のライブに行くことが遠い親戚が震災で亡くなった墓参り代わりの供養とは全く思わないし、震災があった事実を上部だけ知りたいなら石井麻木さんが撮った写真を見て満足すればいい。
私は現地に行って、地元の人の顔を見て、お話して、その街に何が起こっていたのかを、そして今その街がどうなってているのかを、この足で行って、知らないからこそこの目で知りたかったんだ。
チケットを当てないと何も始まらないけど、そもそも縁がなければチケットは当たらないし、当たったとしても交通機関が麻痺したり体調不良になったり、何かしらの障害で行けなかった可能性もある。
私はライブが当選したらそのバンドや土地と縁があると思っていて、全滅したら縁が無かった思っている。だから当たったら「縁があったから絶対に行こう」とお思うし、逆にお金も休みも用意が出来ているのに落選したら「今回は縁が無かったんだ」とあっさり諦める。
今回のライブは縁もあったし、自分の行くべきタイミングで行けたと思う。3年前だったらちょっと早かったかもしれないし、3年後だったら行くには遅すぎたと後悔する気がする。
MONOEYES自体はツアーで地元人が馬鹿騒ぎできる場所を提供したまでだし、細美さんは「俺らがライブをしてもお前らのためにはならない」とは言っていたけど、私はライブを見に行くことに極論意味が無いからこそ、いくらでも意味付けが出来ると思うんだ。
最終的に決定したり行動するのは全て私だけど、10年以上心の中に具現化することなくふわついていた「いつか行きたい」を確固たるきっかけにしてくれたのは細美さんたちなんだ。
私の中で募ったさざれ石は岩手に行ったことによって成仏した訳ではなく、神社にある石みたいに「大事なものだ」と注連縄をかけてくれたようで、ずっしりと大きな存在感を放って私の心の隅に鎮座している。もしかしたらそのさざれ石はもっと大きくなるかもしれない、そしたら一緒に成長しようや。
ライブも和やかで楽しかったし、海は綺麗で、宮古のご飯もお酒もお魚も美味しくて、お店の人も親切で、東北産まれ東北育ちのMONOEYESのライブで宮古に行けて、本当に本当によかった。
岩手に、宮古に行かせてくれて、連れて行ってくれてありがとう。