●私と珈琲と衛星ができるまでの地図●"私"になり損ねて
私はずっと"私"になりたかった。
高校を卒業して好きな道に進めばそれは実現できると信じていた。しかしそこにかかる梯子はどこにもなかった。
今でなくてはいけなかった。出遅れたらおしまいであった。周りの友人たちが当たり前のようにその梯子を登り出すのを私は一人置いて行かれた気持ちで眺めていた。そのようにして19歳の私は絶望し、人生を諦めてしまった。自力で梯子を作ることもできないほど私は若く無知だったのだ。
なぜそのように思い詰めていたか、長らくうまく言葉にできなかった。しかし最近になってやっと表現が見つかった。用事があって故郷を訪れた帰り道、白波の浮かぶ海面が高台から見えた時、唐突に気づいた。
自分の心に重く覆い被さる蓋に気づいたのだ。いつの頃からか私は心に何枚も何枚もの蓋をしていたのだ。
記憶の中の故郷はいつも曇り空だ。
輝くような晴天も、見惚れるほどの彩雲の夕暮れも、月夜に煌めく純白の雪の日もあるはずなのに、思い出す光景はいつも曇っている。
なぜだろうか、私の記憶には曇りの日ばかりだ。振り返ると重く、苦しい、暗い曇り空。
波が陽の光を受けて白く輝く。
美しい光景もたくさんあったはずなのに、何かが目前からそれを隠す。
そうだ、蓋だ。
思い出せないほど幼い頃から私は心に蓋をしていたのだ。それは、その"心"は本当の"私"だ。
自分の気持ちを言葉にする前に時間切れになって蓋をする。みんなに違う、変だと言われて蓋をする。力のあるものに萎縮して蓋をする。いつまでもどこにいても外せない。それがどんどん重なって肥大し、空を曇らせる。
そうやって私は"私"を見失った。何枚もの重い蓋の下に押し込めていた。
でも本当は"私"になりたい。"私"が望む私になりたい。"私"がしたいことをしたい。
このまま"私"を押し込めていたら私は私でなくなる。
"私"になれないのなら私の人生ではない。
だから私は"私"のやりたいようにやりたかった。好きなこと、やってみたいこと、着てみたい服、してみたい髪型、暮らしの全てをやりたいようにやってみたかった。"私"を解放したかった。
でも駄目だった。なりたかった"私"になる選択肢はなかった。私にはまた蓋をし続ける日々にしか道が繋がっていなかった。
その頃の私には出遅れてもいいということがわからなかった。出遅れる私も"私"ではないのだった。
そうやって私は"私"になり損ねた。
自分ではない人生なんて早く終わらせたかった。しかし死ぬ前に一度だけでも"私"になりたかった。うずくまり、もがき、足掻いているうちに、死は鼻先の人参となっていつまでも届かないまま腐っていつのまにか落ち、見えなくなった。
私は"私"になり損ねたまま、なんだかんだそのあとも生き続けた。生ける屍のように。
そのあとも空はたいてい曇っていた。