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東京珈琲探索記 『理論を極めた先』 〜自家焙煎珈琲屋バッハ〜
自家焙煎珈琲屋バッハ、と聞いて何を思い浮かべますか?
老舗・御三家・田口護・珈琲大全・理論派・聖地・etc...
恐らく珈琲という底なし沼wに片足浸かった人なら、一度は必ず耳にした店ではないかと思います。
珈琲に関する書籍でも、日本の珈琲文化を築いた店として登場しているのをよく目にするし、僕自身、店主の田口護氏の著書は数冊持っているし、美味しいと思って通っていた店が、よくよく聞くとバッハの下で修行していたと知ることもありました。
しかし何というか、
実体が掴めなかったんですよね。
名前も知ってるし、本でもネットでもよく見る。でも実際に見たことはないし、東京に行くこともほぼ無かったので店にも行ったことがない。
芸能人やスポーツ選手のような感じ。というのが感覚的に近いですね。
そんなわけで、今回東京に行く機会が出来たので
これは行かねば、、
ということで、実際に店を訪れたわけです。
それこそ、舞台や試合観戦をしに行くようなテンションで。
珈琲理論の先駆け
まず、バッハの店主、田口護氏の最大の特徴と言えば、その「珈琲理論」ではないでしょうか。
「珈琲大全」「スペシャルティコーヒー大全」をはじめ、さまざまな著書を出していますが、その多くにデータが満載。焙煎から抽出に至るまでの、各過程での豆の変化の推移やらその要因やらを、様々なサンプリングや検証を繰り返した賜物が余すことなく紹介されています。
そしてそれらが、初心者から上級者まで、どの対象にも参考になるレベルと内容なのです。すごい。
例えば、珈琲に関する「なんで?」はこの本を読めばおおかた理解できます。
いろんな書籍から、田口氏が珈琲を理論化する背景に、「良いコーヒー」があると解釈しました。
この考え方は当たり前のようでいて、かなり核心を突いていてすげー参考になります。
まとめると次のようになります。
◆コーヒーの評価
うまい/まずい→✖️
(個人の嗜好が基準となり、客観的評価が介在しにくくて曖昧)
良い/悪い→○
(「欠点がない」「焙煎が適正」「新鮮」という基準で評価できる)
良いコーヒー→「うまい/まずい」共に存在する。
悪いコーヒー→「まずい」はあっても「うまい」はない。悪いコーヒーに「うまい」があったとしたら、その評価は正しくない。
味覚は正しく訓練されるべき
わかりますか?
「良いコーヒー」は基本「うまい」んだ。
「まずい」って奴もいるかもしれんがそれは好みだからしゃーない。
でもな、「悪いコーヒー」は「まずい」んだ。
それが「うまい」とか言い出す奴は、正直味覚が正しくねーから、訓練しねーとな。
かなり噛み砕いて乱暴に言うとこんな感じ。笑
そしてここでいう「良いコーヒー」の基準である
「欠点がない」
「焙煎が適正である」
「新鮮である」
の観点から珈琲の理論化を行なってきました。
まさに綺麗事なしの直球どストレート。
僕にはすごく腑に落ちました。
このように徹底的に検証を重ねて、珈琲の多くを理論化することの先駆けとなったのが、この田口氏と言われています。
理論の追求はタブー?
今でこそ、珈琲における焙煎や抽出には様々な理論が確立され、それに伴い「レシピ」「メソッド」のような形で誰でも実践することが出来ます。
また、豆のスペックや鮮度においても、消費者が情報を取ることが出来るようにオープンとなってきています。
しかし、田口氏が当初の店をリニューアルして、自家焙煎珈琲屋バッハを開業した当時(1975年頃)は、これらは当たり前ではなかったのです。
当時の珈琲店のほとんどは、豆は専門の焙煎業者からとっていました。
産地→商社→生豆問屋→焙煎業者→店
といった感じです。
ところが、当時は今ほど品質の水準が高くなかったため、「欠点豆」が多く、「適正な焙煎」でないためムラがあり、「新鮮」ではなかったのです。
一方で、田口氏が追及した基準は真反対の
「欠点がない」
「焙煎が適正である」
「新鮮である」
これは、、、
つまり業界の潮流への反逆ともとれる思想でした。
田口氏の普及する「良いコーヒー」が広まったら、業者から仕入れた条件の良くない豆で作った「悪いコーヒー」は売れなくなるかもしれません。クレームが起きるかもしれません。
てめぇ、余計なことすんじゃねーよ、、
絶対文句言われますよね。汗
しかも、「良いコーヒー」を謳う以上、田口氏も自身のハードルを上げることになります。
恐らく相当な信念と自信が無ければこの姿勢は貫けなかったでしょう。
しかしその「良いコーヒー」の普及が、消費者の味覚を訓練し、基準を上げ、今の珈琲を高い水準に引き上げてくれているといっても過言ではありません。
もう足を向けて寝れませんね。
ありがたやありがたや、、、
なぜ理論を貫けたのか
途方も無い検証を繰り返し、時には生産国の農園を調査、視察し、消費国をも取材し、そのデータを基に理論を確立し、それを惜しげもなくシェアする。自身のハードルを上げてまで、、
いったいなぜそこまで理論を貫けたのか、、?
そのヒントが、ある著書に散りばめられていました。
この本は他の、理論やデータをがっつりまとめた大全集とは異なり、田口氏の珈琲や店やお客さんに対する想いが綴られた本です。
というか、僕が珈琲店に勤めていた当時に読んだ時の付箋が貼りっぱなしですが、貼りすぎ!笑
マジでためになる!!
対象は開業を予定する人向けですが、既にどこかで働いている人にも、何なら他業種でもめっちゃ参考になるから是非読んでほしい。
少し逸れましたが、この本をマジでざっくり解釈すると、
・田口氏のすべての取組みの根源は自分の周り(店・お客さん・スタッフ・同業者)のために集約されている
・焙煎や抽出などの技術的なことだけでなく、そもそも理論化、ルール化を重んじている
ということ。
以下は、この解釈を基に、田口氏がなぜ理論の追求を貫いたのかという僕なりの考えです。
田口氏の店は珈琲市場の成長期である1968年に「SHIMOFUKUYA」という名前で開業し、多くの常連のお客さんに愛されていました。
後に色々な要因で経営が追い詰められるなかで、田口氏は今後の市場の変化を見極め、高くない品質の豆による珈琲の安売りから、品質を重視した自家焙煎珈琲屋バッハへの変革に踏み切りました。
この変革は「自分の店とお客さんを守るため」という理由から来るものだと感じていますが、そこから派生して、
店を続けるために、まずは品質向上を
→品質向上のために良いコーヒーを
→良いコーヒーとは何かの基準づくり
→それを満たすための理論化
という風に理論を追求していったんだと思います。
そしてそれはさらに、
→理論化した良いコーヒーをお客さんへ
→お客さんの更なる満足のために良いスタッフを
→良いスタッフ作りのために店内ルールを
といったように、理論化は最終的には店の魅力の向上に昇華しています。
(バッハにはスタッフを育てることにおいても様々な想いや考えがあり、それをルールという形にして共有し、効率的に育成しています。どれも素晴らしい内容ですが、ここでは割愛します。詳しくは著書「カフェを100年、続けるために」をチェック!)
田口氏は奥様の実家の食堂を引き継いで店を出した「山谷」という地域に特別な思い入れがあったようです。ビジネスの視点から見れば不利とされるこの地域で、そこに住む人々との関わり合いを育み、大切にしながら店を作りました。
店を守るため、そこに来るお客さんに確かな品質の珈琲を提供するため、サービスで感動させるために使った手段が、珈琲の、あるいは店舗経営の「理論化」だったのでしょう。
そして結果的には、著書や指導を通じてその理論を普及し、そこに共鳴した開業希望者を育成し、珈琲文化の向上に繋がっています。
決して気難しいわけでもエゴでもなく、個人が理論を極めた先に、珈琲業界にこれほどの広がりを見せて、自家焙煎珈琲屋バッハが大成しているのです。
最後は、実際に店を訪れたレビューで締めようと思います。
自家焙煎珈琲屋バッハ
日曜の午前11時。
JR南千住駅を降りて南へ。
都心でも繁華街でもない、「大都市東京!」感のない風景を、本当にこっちで合ってるのかと不安になりつつも、10分弱歩き続けると、突如目的の店に到着しました。
自家焙煎珈琲屋バッハ
初めての店ってちょっと緊張しません?
しかも珈琲業界の老舗、あのバッハ。
恐る恐るドアを開けると、、、?
そこは何の変哲も無い喫茶店でした。
「いらっしゃいませ」
店内のお客さんの入りは6割程度。
店員さんはホールに3人とカウンターに2人。
僕はカウンターに通されました。
馴染みの常連が占拠するわけでもなく、
聖地巡礼の団体客がいるわけでもなく、
どこにでもあるような町の喫茶店。
安心感。
メニューを開いて「エルサルバドル・パカマラハニー」を注文し、作業用に設計製図を広げると、間もなくホールの女性が広いテーブル席を勧めてくれました。
珈琲が届くまでの間、店の様子を観察してましたが、以前店で働いていた僕には分かる。
常連さんはあの人とあの人。新規のお客さんと分け隔てなく接しながらも、しっかりと常連さん対応を怠らない。
さっきの席移動も、お客さんのパターンに合わせて4つにゾーン分けされた座席で、僕がカウンターよりテーブルのほうが心地良いとホールのスタッフが自分で判断してくれてのこと。
全て、バッハが店を続けるために、お客さんを感動させるために受け継いできたルールの浸透がそうさせていた。
届いた珈琲も、期待を裏切らない仕上がり。
ハニープロセスの独特の風味は冷めてからもしっかり残り、余計な雑味はない。
これもきっと豆の選別から焙煎、そして抽出にかけての理論の賜物なんだろう。
田口氏の追及してきた理論が極まった先に、自家焙煎珈琲屋バッハの珈琲が、空間が、接客が大成していた。
少なくとも僕にはそう感じられた。
僕が店を後にするまでも、店の時間は変わりなく流れ続けた。
スタッフだけでなく、来店するお客さんすらもバッハという空間を作る一部になっているのかもしれない。
そしてこれから先、スタッフが、お客さんが変わっていっても、田口氏が築いた理論と一緒に、バッハという店は変わらずどっしりとそこに在るんだろう。
その日ようやく、自家焙煎珈琲屋バッハは僕の中で「実体」になりました。
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