つまらない物ですが。のタチの悪さと自分の人間性の悪さ
''厚意''という大義名分の下の贈り物。何を贈ったかよりも贈り物をしてあげたというイベント自体に重きが置かれ、感謝される事を自ら求めに行くある種身勝手でエゴを感じさせる行為。
それだけでなく、「いらなかったらごめん」「気に入らなかったら処分しても良いんだからね」と言ったコメント付きで寄越してくる。受け取る相手が「いらないかも」と思うのならばそもそも贈らなければ良いのに、手軽に手に入る感謝と自己存在の証明というご褒美を前には贈らずにはいられない衝動。
そうした動機で贈られたものは大体に於いてミスマッチ。受け取る側の事を考えるのはそこそこにして、思い付きから発送の手続きまでスピーディに取り掛かる。貰っても困るものが届いてしまう。
なんと言ってもタチが悪いのが、贈り物の属性が''厚意''であること。贈られたものがなんであれ(明らかな嫌がらせは除いて)、''してあげた側''と''してもらった側''という役割が各々に当て嵌められるため、それぞれに見合った振る舞いと言葉選びが人として正しいものとされる。
「これ、好みじゃないから貰っても困る」などと言ったらどうなるだろうか。「せっかくあげたのに厚意を踏み躙るなんて酷い」と糾弾されるか。これならまだマシだ。
あるいは「ごめんね、いらなかったよね。捨てて大丈夫だから!🙇」などと来たらどうか。我々日本人お得意の罪悪感を抱えて苦しむことになる。素直に感謝出来ない事への自己嫌悪も抱く。
何処にもぶつけられない、怒りとも言えない黒い感情が渦巻く。私はこれだけで一日はダウナーな気持ちになる。でも、誰も責められない。
贈る側やこれを読んでくれる第三者の側には、手軽に振りかざせる正義のカードがいくつもある。贈られる側は黒い感情を隠し素直に喜んで見せ、感謝をしないと即座に悪者になる。
人間性終わってるなと改めて思っておしまい。
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