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「負の性欲」について

はじめに


 「負の性欲」というワードが一部のインターネット界隈で定着して久しい。
 一応このワードを知らない方向けに簡単に説明しておくと、「負の性欲」とは、「リョーマ」と名乗るTwitterアカウント(現在は凍結されている)の運用者によって2019年7月に提唱されたもので、簡単に言えば「性的魅力を感じない相手に対する嫌悪感」を指す。様々な見方があるものの、特に女性が「負の性欲を感じやすい」と言われている。
(もう3年経つと思うと色々複雑である)

 この「負の性欲」について当時様々な論争が発生し、2019年11月には見事トレンド入りを果たした。
 
 さて、この「負の性欲」であるが、言葉や概念を概ね支持している人もそれなりにはいるが、一方で批判的な見方をする人も少なくない。その理由は様々考えられるが、例えば負の性欲の「負の」の部分から、ネガティブな意味合いであると(良くない性欲、といった風に)捉えられる可能性がある。ただし、この「負の」という言葉はあくまで「正負の数」のように方向性の違いを表しているという見解もあるため、必ずしもネガティブな意味合いとは限らないともいえるだろう。性的魅力を感じる相手に対する性欲を「正」としたときに、性的魅力を感じない相手に対する嫌悪は「負」の方向であろう、といった具合だ。
 最も負の性欲に対する批判的見解は単に言葉のインパクトだけでは説明できない。その内容自体への批判も存在する。その一例は、「科学的根拠の欠如」である。
 確かに「負の性欲」という言葉は研究由来の物ではなく、学術論文で使われた例は(筆者が知る限り)存在しない。ニコニコ大百科の記事においても、その非科学性が強調されている。
 また、負の性欲概念の運用方法が批判されることもある。この言葉は大抵の場合「女性の嫌悪感」を指すが、それゆえに女性批判の文脈で頻繁に使用される。女性が望ましくない性的アプローチを拒絶することを「負の性欲」で語ることで、「女性に原因があると言っている」と捉えられるケースもある。
 そして、「負の性欲」という言葉は(後述するが)進化心理学や進化生物学によって説明されることがあり、捉える人によっては「動物的・本能的」なニュアンスになる。人間についてそうした観点を持ち込むことに対して批判的な人もいるだろう。


「負の性欲」は非科学的なのか?


 

 負の性欲は本当に非科学的なのだろうか。確かに負の性欲という言葉自体はTwitterのツイートが由来であるし、現段階で科学的な検討が十分になされているかというとそうではない。


「負の性欲」の理論的背景



 「女性が望ましくない相手に対して強い嫌悪感を感じる」ということ自体は、生物学的理論から予測することができる。生物学者のTriversは、1972年の著作において「親の投資理論」(Parental Investment Theory)を発表した。「親の投資」とは、親が以降の繁殖機会を犠牲にし、子の生存(ひいては繁殖)のために行う養育行動の全てを指す。親の投資の例として、抱卵や授乳、子守りなどが挙げられる。
 一般的には、メスはより「親の投資」が多く、オスはより繁殖機会を求める形になりがちである。これはヒトも例外ではない(ただし、ヒトは他の哺乳類と比べオスが多く投資する生物である)。そしてTriversの理論では、親の投資が多い性(一般的にはメス)は、配偶者の選り好みが激しいとされる。これは、親の投資が多い性にとっては、無差別な(不用意な)交尾によるコストが大きいためである。逆に投資の少ない性は、貴重な「投資の多い性」をめぐって激しく競争する。
 メスにとって無差別な交尾のリスクが大きいとすれば、メスは限られたオスとのみ交尾を行い、その他のオスからのアプローチは拒絶した方が(遺伝的利益の観点からは)良いと言えるだろう。人間においても、メスが望ましくないアプローチを避ける行動が進化している可能性は考えられる。
 実際、人間において「無差別な性行動」に寛容なのは男性であることが分かっている。Grayらがアメリカの独身者を対象に行った研究によると、男性は女性よりも、一夜限りの関係、セフレ関係、複数の人との交際、複数の人とのセックス、3Pに対して寛容であることが確認された。 
 また、パートナー選択において女性はより慎重である。Overbeekらが実施したスピードデート実験では、女性は男性よりも相手に"no"を提示可能性が高かった。
 さらに、こちらは査読されたデータではないが、Tinderのデータを分析した論者によると、女性は男性よりも相手に対する基準が厳しいという。具体的には、女性は20人に1人の割合でlikeする(つまり95%はpass)が、男性はlikeの方がpassよりも多い。


https://thebolditalic.com/the-two-worlds-of-tinder-f1c34e800db4


 とは言え、これらはあくまで理論的な話である。負の性欲、つまり「(女性による)望ましくない相手に対する強い嫌悪感」自体を検証したわけではない。


女性は「負の性欲」を感じやすいのか?




 「負の性欲」という言葉は研究領域では使用されていないものの、「性的嫌悪」、つまり「自分の長期的な繁殖成功を脅かす性的パートナーや性行動を回避する動機付け」については心理学者が検討している。
 Tyburらは、嫌悪感に関する尺度として「三領域嫌悪感尺度(Three-Domain Disgust Scale, TDDS)」を考案した。これは3つの領域から個人の嫌悪感を測定するものであるが、その3領域とは「病原体に対する嫌悪(Pathogen Disgust)」、「道徳的嫌悪(Moral Disgust)」、そして「性的嫌悪(Sexual Disgust)」である。TDDSのうち「性的嫌悪」に関する項目は以下の通り。

・見知らぬ物同士がセックスするのを聞く
・オーラルセックスをする
・ポルノビデオを観る
・好きでない人が自分に対し性的な空想をしていることを知る
・知り合った人を部屋に連れ込みセックスする
・エレベーターの中で、知らない異性に太ももを揉まれる
・異性とアナルセックスをする

Tybur et al(2009)より。訳は筆者による。

 

上記の7項目に対する嫌悪の評価によって「性的嫌悪」が測定される。例えば「好きでない人が自分に対し性的な空想をしていることを知る」や「エレベーターの中で、知らない異性に太ももを揉まれる」という項目は、「望ましくない(相手からの)性的アプローチ」を表していると言えるかもしれない。
 では、性的嫌悪に性差は見られるのだろうか?Tyburらによると、病原体嫌悪や道徳的嫌悪と比べ、性的嫌悪の性差は大きいことが分かった(女性の方が強い嫌悪を示している)。また同研究では、「好きでない人が自分に対し性的な空想をしていることを知る」「エレベーターの中で、知らない異性に太ももを揉まれるという項目に対する嫌悪感について、少なくとも中程度の性差(女性>男性)があることが示唆されている(d > 0.6)。
 性的嫌悪の性差はTyburらによる他の研究でも再現されている。この研究によると、女性は男性と比べ強い性的嫌悪を報告しているが(d = 1.44)、病原体嫌悪の性差(d = 0.32)や道徳的嫌悪の性差(d = 0.23)はわずかであった。

※余談であるが、「負の性欲」に否定的な人の意見に「ゴキブリが嫌だということに性欲は関係ない」という人がいる。この意見に対する道徳的是非は置いておいて、ゴキブリ嫌悪自体はTDDSの「病原体嫌悪」の中の項目として含まれている(「ゴキブリが床を走るのを見る」という項目がある)。病原体嫌悪よりもはるかに性的嫌悪の性差が大きいことを考えると、負の性欲をゴキブリ嫌悪と同様の物として捉えることは難しいのではないだろうか。


 Al-Shawafらの研究では興味深いことが分かっている。この研究にはStudy 1とStudy 2があるのだが、どちらの実験でもTDDSの性差について調査している(ただしサンプルは異なる)。その結果は以下の通り。

Al-Shawaf et al (2015)より筆者作成



Al-Shawaf et al (2015)より筆者作成


 Study 1、Study 2の結果に大きな違いは見られず、性差についても概ね他の研究と一致する(一応道徳的嫌悪について、Study 1では有意な性差が見られない一方でStudy 2では性差が有意となっているという違いはあるが、本noteの主題ではないので省略する)。
 興味深いのはTDDSの平均値の部分である。どちらの調査でも性的嫌悪は女性>男性となっておりその性差も大きいのだが、男性の性的嫌悪感の数値が他の2つと比べて極端に低いことが分かる。女性において性的嫌悪、道徳的嫌悪、病原体嫌悪の値に大きな違いは確認できない。このことから考えると、性的嫌悪の性差は「男性が性的嫌悪を感じにくい」という形でもたらされている可能性が指摘できるだろう。
 
なぜ男性が極端に性的嫌悪を感じにくいのか。これについては男性にとって性的機会が重要であるということで説明できるだろう。男性は親の投資が(女性と比べて)少ないので、遺伝的利益の観点で最も望ましい性戦略は性的機会の追求となる。そのため性的嫌悪感が強いことは男性にとって不利益が大きい。逆に女性は性的機会の追求で遺伝的利益が上昇するわけではないので(リスクの方が大きい)、性的嫌悪感が弱くなることは無い。
 この性戦略の違いを端的に表しているのが表の一番下にある”ソシオセクシュアリティ”の性差である。ソシオセクシュアリティ(Sociosexual orientation)は「体だけの関係に対する積極性」を評価する尺度であるが、この尺度の数値の性差は大きい(男>女)。つまり男性は女性よりも体だけの関係に積極的であり、逆に女性は男性よりも体だけの関係に消極的であるということになる。

 ともあれ、性的嫌悪感に大きな性差があるということは言えるだろう。そして、性的嫌悪感とはまんま負の性欲のこと(というより負の性欲がまんま性的嫌悪感のこと)ではないだろうか。負の性欲という言葉だと反感を買うかもしれないが、「性的嫌悪感」という言葉であればある程度納得してもらえるかもしれない。


現実社会における「性的嫌悪」


 この章では、現実世界における「性的嫌悪」の話をしよう。
 前章で紹介したTDDSの中に、「好きでない人が自分に対し性的な空想をしていることを知る」、「エレベーターの中で、知らない異性に太ももを揉まれる」という項目があった。これは現代社会では「セクハラ」とされることであるだろう。後者はまず間違いなくアウトであるし、前者もシチュエーション次第では(性的空想をしていることを本人に伝える、など)十分アウトになり得る。
 さて、先述したTyburらの研究では、「好きでない人が自分に対し性的な空想をしていることを知る」という項目と「エレベーターの中で、知らない異性に太ももを揉まれる」という項目には中程度の性差があることが示唆されており、男性はよりこうした行為に寛容である(女性はこうした行為により厳しい)ことが分かっていた。男性がこうした「セクハラ行為」に対して寛容であるとなると、同じようなセクハラ行為でも加害者の性別によって扱いが変わるかもしれない。
 実際、セクハラにおいて同じような行為でも加害者の性別によって扱いが変わる可能性が示唆されている。イスラエルで弁護士、学生を対象に実施した研究によると、同じようなセクハラ行為であっても、加害者が男性(被害者が女性)の場合には(加害者が女性の場合と比べ)その行為がセクハラであると判断されやすいことが分かった。この傾向は弁護士においても学生においても確認された。なおこの研究で想定されたセクハラ場面は「強制わいせつ」に違反する場面であった。
 これは性的嫌悪感の違いに由来するものであると考えることもできる。要するに、男性→女性のセクハラと比べ、女性→男性のセクハラは性的嫌悪感を催しにくいシチュエーションであり、男性はそうした場面に性的嫌悪感を感じにくいだろうと多くの人が考えているため、女性→男性のセクハラはセクハラと認識されにくい、ということだ。では、他のパターンはどうだろうか。例えば、女性が被害者で、加害者が「性的嫌悪感を催しにくい男性」であった場合は・・・?


 女性が性的嫌悪感を催しにくい男性の特徴とは何か。研究で指摘されているのは男性の「身体的魅力」である。Zsokらの実験では、女性は異なる男性の写真を提示され、その男性の顔の魅力、「その男性と会話/ハグ/キス/セックスすることに対する嫌悪感」を評価するよう求められた。実験の結果、行動が性的になるほど女性は強い嫌悪感を報告したが、顔の魅力が高い男性との行為に対する嫌悪感は(魅力が低い男性との行為と比べ)弱いことが分かった。
 別の研究では、女性は男性が魅力的であるほどその男性とセックスしたいと思う可能性が高まる(r = 0.987, p < 0.001)が、それだけでなく男性が魅力的であるほどその男性とのセックスの際にコンドームを使用する可能性が低くなる(r = 0.552, p < 0.007)ことが分かっている。
 これらのことから、女性は同じ行為であっても相手の男性が魅力的であるほど性的嫌悪を感じにくいことが示唆される。また、これは余談であるが、女性は男性が身体的に魅力的であるほどオーガスムを感じやすくなることを示唆する研究もある。
 身体的魅力が高い男性が相手の場合に性的嫌悪感が弱くなるとすれば、そうした相手からのセクハラは許容されやすくなるのだろうか。研究からは実際にそうなる可能性が示唆されている。Angeloneらの研究では、身体的に魅力的な男性によるセクハラは、魅力的でない男性からのセクハラと比較して女性から許容される可能性が高いことが分かった。セクハラに関する過去のnoteはこちら

 これらのことから、セクハラに対する判断は性的嫌悪感の違いの影響を受ける可能性がある。セクハラか否かの判断においては(少なくとも日本では)被害者の不快感が重要視されるため、不快感を感じやすい相手とそうでない相手とで、判断が変わること自体は不思議なことではないだろう。それが妥当なことなのかということについては議論の余地があるだろうが・・・。


終わりに


 今回は「負の性欲」について述べてきた。ワードセンスがあまりに衝撃的すぎることから様々な人の目に入っては賛否両論が飛び交った「負の性欲」であるが、事実ベースで言えば負の性欲自体は存在すると考えるべきだろう。
 負の性欲という言葉のインパクトが強いことは理解できるが、筆者は「性的嫌悪(sexual disgust)」という言葉を代わりに使用することも検討すべきではないかと考えている。負の性欲という言葉は「良くないもの」というイメージがされがちであるし(実際どうかはさておき)、アンチフェミ界隈で多く使われることから、そうした界隈を良く思わない人はこの言葉を使いたくないと思うかもしれない。その点「性的嫌悪」という言葉は学術由来であり、単なる思い付きというわけではない。「負の性欲」を受け入れることができない人は、「性的嫌悪」に置き換えて考えてみるのも一つの手であるように思う。
 また、事実と規範(~べき)を分けることは重要であろう。事実が正しいからそこから導かれた規範も正しいとは限らず、かといって規範が間違っているからと言って元の事実まで直ちに否定されるわけでもない。今回の件で言えば、「女性はより性的嫌悪を感じやすい」ということは単なる事実であるが、「社会はその感情に配慮すべきだ」「社会生活でそうした感情を発露するのは有害だから抑えるべきだ」というのは規範である。そうした規範が気に入らないからと言って、「その規範はおかしい、だからその事実は間違っている」とは言えないだろう(その事実が間違っているからそこから導かれる規範も考え直す必要がある、というのは言える)。
 今回検討してきたことはあくまで「事実」の領域の話である。負の性欲の議論につかれた人は、是非「事実」の部分に立ち返ってもらえればと思う。


よいお年を・・・







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