23.6.1 新しい気づきとなれたこと の嬉しさ
嬉しかったな。
今日の私の仕事での出来事。
相手が考えていなかったこと、新しい視点として気づきとなれたこと。
自分の考えたことを、相手に認められる嬉しさ。
自分の経験や体験が、相手の価値に響く嬉しさ。
自分なりの意見を相手に伝えることができた嬉しさ。
嬉しいを分解すると、いろんな理由が出てきた。
まぁ話していた相手が、話を聞き出すことがとっても上手で、そもそも話しやすいから安心して、自分の意見を伝えることができる、ことが大きい。相手に安心感を持てるって、大事。話しても否定されない。変と思われているとしても、相手が態度で示すことがない、ということ。
自分の意見を持つことが、年々できるようになってきたことは成長を感じている。ずっと、自分の意見を持つことをしたかった。
自分の思いを言語化できるようになりたかったから。
相手に聞いてほしいと思ったから。
相手がどんなことを思おうと、自分の意見として相手に伝えよう、伝えてみようと思えるようになったこと。相手に出さなければ、それは意見にはならないことを知ったこと。
恥をかいても、
失敗しても、変と思われても。まずは動かないと、表に自分の思いを出さなければ進まないことを知った。実感した。
1番の核がどこにあるのかを、考える。
そのヒントになるのは、会話の中や行動に隠れている、ヒントがあちこちに散らばっている。散らばっているから、なかなか見つけたりパズルを組み合わせることが難しいことが多い。でも、それをうまく自分のめがねを通して見てみて、分析してみて、相手に伝えることができれば、私が存在することの意義、意味を持つことになる。
事実は一つしかないけれど、誰のめがねでものを見るのか、誰のフィルターを通してものを見るのか、感じるのか、相手に伝えるのか、それが、人間同士のやり取り
面白いところなんだと思う。
人間性に惹かれるところなんだと思う。一緒に過ごしたいな、仕事をしたいな、と思う部分なのだと思う。好き、嫌い、だけで判断したら、勿体無い。人は自分とは絶対に違う。だからこそ、自分のめがねでは見れないものの見方や捉え方をもっている。それに触れることができるって、おもしろいじゃないか!!
「あお」が不登校になって、当たり前、普通と思っていた価値や生活が、ガラガラと崩れた。初めは最高に悲観していた。(もちろん今も悲しいこともあるし、どうして?と思うことこともたくさんある)
でも、悔しいけれど、不登校になったからこそ、気付くことのできたこと、感じることができたこと、そのたくさんのことから学ぶことが数多くあった。
困難は人を成長させる。
何かあったら、タダでは転びたくない、と思う。負けず嫌いなんだ。
途中で諦めたら、失敗にしかならないけれど、起き上がって、立ち上がれば、それはいつかかけがえのない経験に、宝物になるって信じているから。