滔々と、SNS
こんにちは、徳倉マドカです。
最近、ツイッターやフェイスブック、インスタなどのSNSを見ないようにすることを自分の中で「毒抜き」と呼んでるのヤバいな、と思いました。
最初にSNS批判がしたいわけでもないことだけ。
なにがやばいって、いやいやめっちゃ普通に、普通の打撃受けてるじゃん!影響受けたとかいって、人のせいにして!!「毒」って呼んじゃってる!ってところです。
まず呟くときは「とにかくこの文字数制限のなかで様々誤解を招かぬように」が最大の留意点で思いつきの文章はほぼ載せません。今のほうがサラサラ書いてるくらいです。会わなければ本当の人となりはわからないけれど、その分少ない判断材料にされてしまうような気がして、怖いです。
更に自分は卑屈で頑固なわりにミーハーなので他人が面白そうなことやっていると、すぐいいなあと、心の奥底でつぶやいているタイプです、これ仲間にいれてほしかったな、とか涼しい顔して普通に思ってます。顔に出ずらいところが嫌です。こういうことを白状できる時点で随分素直になってきちゃってる自分も若干許しがたいです。
ただ、それは日常生活の話で、SNSをみて焦ってみたり、「いいな、やってみたいな」は、わりと「SNSマジック」(響きがダサい)にかかっていることってよくある気がします。
この、おもちゃを使いこなせてない子供感、みたいなものを私はすごく嫌悪してます。
焦っても仕方ないこと、「やること」以外さして重要じゃないこと、それを理解してからじゃないとSNS見ないほうがいいと思いました。いや、なんの反省でしょうね、ほんと。
私は今でも未熟なので少しでも他人の幸せを妬むような兆候が現われようものなら、「設定」のSNSのモバイルデーター通信から切ります。もう病気です。ほんと下品な話で辟易とします。
理想としては、みても平然とできるようになること。
これに関しては「思っちゃうものは仕方ない」と思いたくないですよ。
自分のやることに信念さえあれば、昔の自分のように、妬んだりしないだろうな、と思うのです。影響受けることに必死だし、流されないことに必死だし、情けないですが、今あえてさらしておきます。きっとあとで後悔するんだろうな。
人を恨まないように一人でいることは違うけど、人を恨まないようになるまで、独りになることは大事だったんだなあ、と。
すこしずれますが、「一人はみじめ」だと思い込まないことについては、
鴻上尚史著「孤独と不安のレッスン」にも書いてあったことも思いだしました。
一人になって、問うてみて、
私も最近、本当はどうしたいのか、よくわかってきた気がします。
で、結局SNSについては、もっと、なんていうんでしょうかね、時に距離感を図りつつ、とーとーと、やっていけばいいんでしょうね。どんな私を晒そうが、自分が一番よく知ってるし誤解も正解のうちだったり、するようなしないような。(笑)
悔しいので、そもそもSNSに向いてないでは…?ということについては今は触れないでください。