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演劇は特別でもなんでもないしお前も特別じゃない

オオネセイコです。やることがないのでヘアケアをしています。どんなに不健康でも髪だけはつやつやです。

そういえば。演劇を見に行くことがほとんどなくなりました。演劇はなんというか、今の私にはあまり優しくないコンテンツな気がします。
ずっと座っていなくちゃいけない。長時間作品と向き合わないといけない。密室にいなくちゃいけない。など。
ピンと張り詰めていて呼吸もできない緊張感があります。

その反面、演劇は観客の自由を制限することでギリギリ成り立っていて、あまりに弱いとつくつぐ思います。電話が鳴る、外にいる酔っ払いの大合唱、赤ん坊が泣く、ブルーライト。日常にありふれた「些細」で簡単に崩れる演劇もあります。

とある野外演劇でホームレスの役がたくさん出てくる作品を見ました。上演の途中、警備員に向かって「いつになったら開くんだ」と怒鳴りつけている中年男性を見ました。恐らく、彼はここを拠点とするホームレスでした。役者がやるホームレス役より、本物のホームレスにいつもの暮らしを体現してもらった方が面白そうなのになぁとか。まあ無関係だから言えることなんでしょうけど。

いやなんというか、排除の上で成り立つ演劇ってなんか矛盾してる気がして、すごく記憶に残っています。
その野外演劇が行われた場所は今やホームレスが住めないくらい綺麗に整備されているそうです。そりゃそうよ。汚いより綺麗の方が断然いいに決まってます。でも、本当は全て汚いということを忘れて、演劇は綺麗なものだとか高尚だとか素晴らしいエンターテインメント!!とか絶賛するのもバカらしいんですよね。

結局何が言いたんだって話ですが。
私は演劇に関わるのなら、自由でありたいです。舞台の上でも、観客席でも。汚いながらも綺麗を追求してもいいし、汚いままでもいい。

でも臭いのは大嫌いです。矛盾してますね。綺麗事なんてそんなもんです。

演劇やってるやつがなんてこというんだ!!しね!!とか思われそうでゾクゾクしますね。

私はすべてを愛することはできませんが、演劇の上ではすべて愛せる気がします。気がするだけでたぶん嘘です。それが悲しいけど、あしたには忘れます。

オオネセイコ