私に罰を与えなくていい
何かずっと
怒られないように
そんな風に思っていたかもしれない。
誰かに迷惑をかけないように
誰かに好かれるように
今思うと誰かの顔色ばかり伺っていたんだなとふと気がついた。そもそも誰かって誰なんだ。
幼い頃に父親に言われた
お前が男だったら良かったのに
や
お前は誰かに迷惑をかけて生きてるんだから常に感謝して生きろ
というのは本当に呪いでまるで自分は生きてるだけで誰かを傷つけ、誰かに迷惑をかける存在なんだなと思ってしまっていた。
好きだった絵や歌も文句を言われ、親に認められなかったから自分の表現が不正解であるようなそんな感覚でずっといたんだと思う。
歌を歌い、
貴方には個性がなく、ただうまいだけ
や
貴方くらいの実力ならば捨てるほどいる
と言われたネガティブな言葉にばかり耳を傾けてわざわざ私に声をかけてくれた人のことを変わった人もいる。そんなまぐれのような存在にしていた。
自分で自分が世に放つ表現を好きじゃなくてどうする、そう思って自分の表現を好きになろうと思っていた。
ボロボロと内側から凝り固まっていた考えが溢れ、今身体もちょっとボロボロである。
人は必ず大なり小なり迷惑をかける存在で、地球にしたら迷惑でしかなかったり、私の父親が母親だけでなく家族にも迷惑をかけていたことをつい最近姉と話していて思い出した。
なんか、すべての悪いことは全部私のせいだ!みたいに言われることもあったけれど実際はそうではなかった。
そりゃそうだ。
幼少期から高校生くらいまで言われ続けた私はすっかり自信をなくし、大人になっても誰かの言う正解をなぞってみたりもした。
楽しかったかと聞かれたら楽しくなかったんだなぁと。プロデューサーでもない、ただの音楽の知識が長けている人にああだこうだ言われて……楽しくなかったんだなぁと気がついた。
意見を言う時に嫌われたらどうしようと考えなくて良いし、仕事を体調が悪くて休む時に怯えなくて良いし、その場にいる人が不機嫌だからと場を盛り上げなくて良い。
というか機嫌悪いならご自身でなんとかしてくれよな。
何したって嫌われるし、何したって好かれる。私の推しにだってアンチはいるのだ。
学校祭で歌った時も、300人くらいが入ってるホールで歌った時もわざわざ
貴方の歌、本当に良かったよ
と声をかけてくれた人達がいた。
300人のは謎に演歌歌手の前座で、演歌を聴きにきたご夫婦が私を探して声をかけてくれて、今だったら本当に喜べるだろうなと思う。
ずっとなんだか横を向いたまま表現をしていた10代~20代の私を迎えに行って、一緒に楽しんでいけたらと思う。
とっても早口な私は今ラップをやってみたくて、でも歌も歌いたくて、そんな時にSIRUPさんという歌うようにラップする方に出会った。
浮遊感と勝手に感じる宇宙みたいな音がとても良いなぁと。
推しのラップラインもとても好きなので真似て練習している。
新しい挑戦も
すごいすごい!きっと楽しく出来るよ!
と自分に声をかけながらやってみる。
もう誰かに怯えなくても良いよ、嫌われても私が貴方を好きだよ、そう伝えれるように。
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