自分の部屋が示すもの(12月15日)
部屋が散らかっている。服も本もゴミもバックもレシートもいろんなものが散らかっている。僕は今まで部屋が散らかっていても人に迷惑をかけなければそのままでいいと思っていた。でも最近は違う。部屋の綺麗さと心の余裕は直結していることについに僕は気づいてしまった。僕にとって部屋の綺麗さは優先度が低いことに昔から変わりはない。だからこそ忙しいと思えば思うほど部屋の掃除は後回しになりどんどん散らかっていってしまうのだ。
部屋を綺麗にすれば心に余裕が生まれるのか、心に余裕があるから掃除ができるのか。どちらかは分からないが、やっておくに越したことはなさそうだ。
部屋が常に綺麗な人がいる。どんな時でも散らかってないタイプのひと。とても素晴らしい。でもこのひとはどうやって心の余裕を測っているのだろうか。もしかしたら自分の心のSOSに気づくことができていないのではないだろうか。日本人はつい自分を犠牲にして頑張ってしまい、その無理から急にガタが来るひとが多いのも事実としてある。
とするならば前言撤回しよう。部屋を常に綺麗にするというのも考えものかもしれない。健康的な生活が送れなければ部屋を綺麗にしても根本的に意味がない。忙しいとか頑張るとかを美談として語られがちな今に「それってどうなの?」と思うのはこういうところだ。自分を犠牲にし過ぎて心が健康でないのであればそれは意味がない。
であれば僕は今部屋を片付けないほうがいい。心に余裕を持ったとき、きっと部屋を片付けたいタイミングが来るはずなのだ。無理して片付けて一時的に綺麗に見せて取り繕ってもどうせまた散らかるか、これ以上の忙しさに気づけず自分の危うさに蓋をしていまいかねない。
………。
というここまで盛大な部屋を片すことができない言い訳をかましておいてなんだが、こんな回りくどい言い訳を他者に見せびらかす暇があるならたぶん心の余裕も健康も特に問題ない。今この時間を使って片付けるべきだったと今になって気づいた。