銭湯暮らしもうすぐ4年目の日記(12月12日)
朝9時半起床。いつもと変わらない日常の始まり。僕にとっての当たり前。
それはあなたの日常とはきっと違っていて、人の数だけ日常が存在する。
朝起きて、まずトイレに向かう人。歯を磨く人。カーテンを開けて換気をする人。朝ごはんを食べる人。食べない人。コーヒーを淹れる時間があるほど優雅な朝を過ごせる人。1秒でも多くの睡眠時間を優先する人。他にも奇天烈な朝を過ごしている人はごまんといるはずなのにそれを想像することができないのは、あまりにも当たり前に繰り返される毎日にそれぞれが慣れすぎていて、なんの面白味もないという勝手な思い込みをしているからに他ならない。
僕は、銭湯で働きはじめてもうすぐ丸3年が経過しようとしている。働いている人でさえあまりお目に掛からないのに、そこに住んでもいる。住所が銭湯なのだ。別に浴槽で寝ているわけではなく、銭湯の上が賃貸になっているのでそこに間借りし生活している。筋金入りの「銭湯暮らし」。そんなちょっと変わった環境に胸を躍らせていたあの頃の自分が微笑ましい。3年も同じことをしていると良くも悪くも人は慣れ始める。当時の初々しいさなど微塵も感じさせず、変に達観し始めた自分に薄々気づいてはその度に気づかぬふりをしていた。
一見似たような毎日は、同じことの繰り返しのようで微妙に違う。同じ道を歩っていても落ち込んでいる日もあれば清々しい気持ちで歩く日もある。その小さな変化を大切にしたい。だから僕は日記として日常を綴ることにした。
日常なのでつまらない日もあればおもしろい日もある。それで良いし、それが良い。僕はこうして誰かに向けて文章を書く以上、読み手というものを画面の先に少なからず意識してしまう。だから今回はそういうことに囚われず等身大で綴ることが一つの目標だ。自分がいかに飽きっぽく、一つの物事を続けることが苦手な人間なのかはここ数年で嫌というほど痛感した。それなのになぜか文章を書くということに関して執着し、定期的にこの地へ舞い戻る。何文字書こうとかどのくらい続けようとかそういう縛りの中で窮屈に綴るのではなく、できる限り自然体でハードルを下げてやっていこうと思う。