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誰かの物語、風景のなかに自分の歴史を紡ぐ。 #じょんならん日記

AM2:25

ずっと気になっていたポインティの短編映画をようやく鑑賞。銭湯上がり×友達と×深夜の組み合わせも相まってか、すごく奥深くまで染み渡ってきたので、せっかく日記を始めたし、忘れないうちに備忘録を、と。

自分にもあったかもしれない誰かの恋愛にまつわるお話

純猥談のYoutubeチャンネルに記載してあったので、恐らく、コンセプトはこれだろう。

3作品、のめり込む様に観てしまった。友人のシェアハウスのスクリーンを使って観るのが、また"エモ"かった。

3作品それぞれに違った良さがあって、そのどれもが、言語化できない人間関係の余白や、後戻りができない時間の儚さ、尊さ、曖昧さをそのまま正確に描写していて、久しぶりに脳の使っていなかった部分が活発に稼働している感覚を覚えた。

選ぶことは、捨てること

なにかを選ぶということは、当たり前だが、同時になにかを選ばないということだ。それが、意識的であっても、無意識でも。

一瞬一瞬の現在の選択が未来を構成していて、そこには同時に無数の「選ばれなかった選択肢」としての未来がパラレルワールドとして存在している。

「私たちの過ごした8年間は何だったんだろうね」

この作品では、そのことを特に再確認させられた。

ちなみに、この観点については、映画「ミスター・ノーバディ」がすごくいい。

[ストーリー]
2092年の近未来。人々は細胞を永久再生させることにより不死を手に入れていた。そんななか、118歳のニモ(ジャレッド・レト)は、永久再生化をほどこしていない唯一の人間。ニモは死を目前にしており、「人間が死ぬ姿」を一目見ようとその様子は全国に生中継されていた。そんななか、1人の新聞記者が彼のもとを訪れ、人間が不死を手に入れる前の世界について質問する。それをきっかけにニモは、自分の人生を振り返る。

誰かの物語、風景のなかに自分の歴史を紡ぐ。

感動を生むプロセスとは、誰かの物語やなんてことない風景の片鱗に、自分の経験を重ねて共通点を見出す作業に他ならないのではないか。

ということは、経験を積めば積むほど、あらゆるものとの出会いを心に刻めば刻むほど、人生は豊かになりうるのではないか。これも当たり前だけど。

さて、そろそろ何を書いてるのかわからなくなってので、明日が少し楽しみになったところで、筆を置こう。

ポインティ、おすすめです。


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