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コードタクトのCTOってどんな人? 本人に直接聞いてみました【後編】
今回は、高度なプロダクト開発を技術的な知見でリードする石田智也CTOの思いと人柄に迫るインタビューの後編です。
前編はこちらからご覧ください。
ギークハウス沖縄での生活がエンジニア人生の転機に
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——ところで石田さんは、大学時代は何を学んでいらしたんですか?
京都大学理学部で地球惑星科学について学びました。理学部に進み、物理と地学にまたがる地球惑星科学を選んだのは、もともと数学や物理は得意科目で、気象や海洋シミュレーションに興味があったからです。
——そんな石田さんは、いつからプログラミングに親しんでいらっしゃるんでしょう?
中学生になって、ドラマに出てくるハッカーのようにコンピュータを自由自在に操つれたらカッコいいなと思ったのが、プログラマに憧れたきっかけです。ただ当時はどうしたらプログラマになれるか見当もつきませんでした。
——それで、どうされたんですか?
コンピュータに計算させる道具なんだから、きっとプログラミングもできるだろうと思って、表計算ソフトのExcelに触るようになりました。だから僕にとって最初のプログラミングツールは、Excelなんです。
——プログラミングの原風景にExcelが出てくるとは思いませんでした。Excelではどんなことを?
円周率を100桁計算させてみたり、惑星の軌道計算っぽいことさせてグラフにしてみたりしたのを覚えています。さすがにExcelでは、それ以上のことはできそうにないので、早々に諦めて、プログラミング経験がある同級生と一緒にCやJavaをはじめました。高校2年生のときです。
本格的にソフトウェア開発をはじめたのは大学に入ってからになります。そのころは自分が使うためのソフトだったり、試しにつくって仲間内で見せる程度でしたが、チャットツールやターミナルエミュレーターをつくっていましたね。この先の人生をプログラマーとして生きていこうと思ったのは、JavaScriptを身につけWebサービスをつくりはじめてからです。
——では、大学を出てすぐプログラマに?
大学卒業後、地元沖縄に帰って就活をはじめてはみたんですが、残念ながら就職活動はうまくいかず、実家でニート生活をはじめることになってしまったんです。帰郷して1年もすると、さすがに実家にい続けるのもツラくなり家を出ました。そして流れ着いたのがギークハウス沖縄というITエンジニアやプログラマが集まるシェアハウスでした。
——そんなツラい時期があったんですね。ギークハウス沖縄での生活はいかがでした?
県内外から趣味嗜好が似ている人たちが集まる場所でした。毎週Rubyのミートアップが開かれたり、参加者のレーザーカッターや3Dプリンターを使わせてもらう機会があったりとモノづくりにピッタリの環境だったので居心地はよかったですよ。
Rubyプログラマとして活動するようになったのも、のちにコードタクトの代表になる後藤に出会ったのもギークハウス沖縄でした。ですから僕にとってギークハウス沖縄での2年間は、いまの自分にとってかけがえのないものなんです。
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——人生の転機を迎えた場所だったんですね。後藤さんとの出会いについてもう少し詳しく聞かせてもらえますか?
後藤さんとは、ギークハウスに住んでいた方の紹介で会いました。ご存じかも知れませんが、彼はIPAの未踏スーパークリエータであり、オーケストラの指揮者でもあるという、ちょっと変わった経歴の持ち主です。
当時、ギークハウスには、後藤さんと同じく未踏スーパークリエータに選ばれた方がいて、この方の紹介で会うことになりました。後藤さんが琉球フィルハーモニックオーケストラの指揮者になって僕と知り合うことになったんです。
——後藤さんの話を聞いてどんな部分に興味を持ちました?
当時、後藤さんは、オンライン英会話を手がける会社でCTOを務める傍ら、いまの「スクールタクト」の構想を温めていました。彼がギークハウス沖縄にいる知人に声をかけたのは、スクールタクトの開発を担ってくれそうなエンジニアを探していたからです。
後藤さんの話を聞いて、教師と生徒がひとつの画面を共有しながら授業を進めるというアイデアにも興味を惹かれましたし、リアルタイム共有技術にも関心があったので、引き受けることにしました。
——それですぐコードダクトの起業に参画したわけですね。
いえ。最初はそこまで深く考えておらず、文字通りお手伝い感覚でのスタートでした。それからしばらくは、後藤が当時勤めていた会社でアルバイトをさせてもらいながら、空き時間でコードタクトのプロトタイプをつくっていたような状態だったので、起業に加わるかどうかまでは考えていなかったというのが正直なところです。
気持ちが固まったのは、後藤さんがICTを活用した教育の推進に情熱を持って取り組んでいることがわかってからですね。「この人ついていけば間違いない」「この人と一緒に働きたい」と思ったので決めました。
プロダクトに秩序をもたらす「コードの番人」でありたい
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——入社から10年経ちました。石田さんはコードタクトのなかでどんな存在でありたいと思っていますか?
みんながこうあってほしいという像とは違っているかも知れませんが、僕自身は「コードの番人」でありたいと思っています。
——「コードの番人」ですか?
ええ。コードタクトのCTOは、アーキテクチャや実装に関してメンバーを技術的に支援する立場なので、コードレビューをしたり、開発についての悩みに応えたりすることはあっても、エンジニアをマネジメントすることはありません。
そのぶん、スクールタクトのコードを秩序ある状態で保つ責任があると思っているからです。エンジニアのみんなに「ぺんさんがいるからスクールタクトの開発は何があっても大丈夫」と、思ってもらえるよう「コードの番人」として、責任をまっとうしたいと思っています。
——では、コードの番人としての責務を果たすために気を付けていることはありますか?
将来、プロダクトの成長や組織の成長の足かせになりかねないことは、やらないってことですね。さっき「仕事のコードは長距離走」といいましたが、短期的な利益ばかり追いかけて残業ばかりしていたら、どうしたって息切れを起こしてしまいます。
技術選定も実装する機能も同じで、プロダクトの設計思想に相容れなければ、ぜがひでも大事な部分を守り抜くのが番人の務め。将来に禍根を残したくないので、いまよりも将来のことを考えて判断するよう心がけています。
——理想を守り続けるのは大変です。現実に負けてしまうこともあるのでは?
確かに理想的な環境を維持するのは簡単ではないですが、コードタクトのエンジニアチームには、状況に流されず、本質を問うような開発文化が根づいているので心配ありません。
ビジネス側から何か要望があっても、疑問があれば「そもそもそれは何のために必要なのか」「それだったらこうした方がいいんじゃないか」と必ず議論しますし、納得感が得られないまま押し切られてやるようなことはありません。
もちろん、ビジネス側の人たちもエンジニアたちから「何がほしいかじゃなくて、なぜ欲しいかを共有してくれ」といわれ続けています。部署は違っても対等な関係ですし、議論に肩書は関係ないというのがコードタクトのカルチャー。風通しのいい組織風土もコードタクトの魅力のひとつだと思います。
——最後に質問です。こんなエンジニアと働きたいといった希望があったらぜひ聞かせてください。
コードを書くにあたって「仕事だから」とか「道具だから」という気持ちを超える「何か」を持っているエンジニアと働きたいですね。コードレビューしたりコードについて議論したりしているときに、「そんな細かいとこまで指摘されても困る」とか「とりあえず動いてるならいいじゃん」みたいなマインドだと、コードタクトの開発文化に馴染まない気がします。
個人的には、休みの日も好きなコードを書いているようなタイプだとうれしいですが、そこまでではなくても、付け焼き刃な対応をよしとせず、根本的な解決を志すようなエンジニアと一緒に働きたいですね。コードタクトにはそんなマインドを持つエンジニアが集まっています。気の合うエンジニアが1人でも増えたらいいですね。
CTO石田のXアカウントは、こちらをご覧ください!
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