『どこかの尾根で、あの頂で、君と出会う日』
これは、
私が二十代前半の頃の話。
新聞の投稿欄にあった文章の一節。
今朝、探し物をしていた書類の中から出てきた。
ここに引用しようと思う。
この文章は、当時の私を強く励ました。
私は、それをワープロで打ち、小さく縮小コピーして、自分の手帳に貼っていた。
表紙の裏側を定位置にした。
時に読み、そこにあった。
手帳の装丁も手触りも覚えているが、その手帳が今どこにあるかはわからない。
その手帳から離れて、
何故かひらりと一枚今ここにある不思議。
剥がれても、捨てることなく、
私はどこともなく挟んでいたりして、
失くすことなくこうして今朝出て来た。
失くさないように、ここに書き起こそうと思う。
以下引用
(読みやすいよう改行を加えました)
『⾼校時代、⼭岳部にいました。南アルプスを登っている時、苦しくて「苦しいです」と⾔ったら、ある先輩が「みんな苦しいんだ」と僕を叱咤(しった)しました。
いまでもよくその⾔葉を思い出します。
孤独で、世界中に⾃分だけが取り残されたように思える時に、その⾔葉をつぶやくとすごく優しい気持ちが⽣まれます。⾃分だけが浮いた存在などと考えないでください。それは「⽢え」です。⾃分らしく⽣きようと思えば、必ず浮いた存在になるのです。それを⾃覚することは、⾃分が他⼈と違う何ものかであることを知ることです。
⾃分らしく⽣きようとして苦しまないということはありえません。「みんな苦しいんだ」ということを認識して初めて友⼈や恋⼈にふさわしい⼈と巡りあう準備ができるのだと思います。
君は、⾃分が浮いた存在だと思っている分だけ、そうならないように⾃分を押し殺している⼈たちより、本当の友⼈の近くまで来ているとは思いませんか?⼭は裾野(すその)はひろいけれども、頂はたったひとつです。いま、多くの孤独な登⼭者が、⾊々な道から苦しみながらその頂点をめざしています。彼らは、必ず、どこかで巡りあうはずです。僕らの世代は、まだ登り始めにすぎないでしょう。でも、逃げ出して街の喧噪(けんそう)に帰らずに、遠くの孤⾼の頂へ歩みつづける勇気をもつことを願います。どこかの尾根で、あるいはあの頂で、君と出会う⽇を楽しみに僕も登りつづけます。』
京都市 大学院生 石埼学さん
朝日新聞 1993年7月30日夕刊より
とても、清々しい文章で、
少しの厳しさと、全体を覆う優しさが感じられて、
その頃も、それまでも、
いつもどこにもはまれないでいる自分に注がれたような気持ちになったのだ。
「自分は浮いている」「どこにもはまれない」
その気持ちは残念ながら今でもある。
この投稿の存在は私の心と頭の中にずっとあって、失くしたことはなかったが
今回、改めて全文を読んで、
今また、強く励まされた気がする。
まさに今日も、なんとも言えない孤独感を感じていたのだ。日々は楽しく暮らしているのにもかかわらず。友人も少なからずいる。家族もある。
非常に平凡な人間だと思うものの、どうも枠にはまれない人間らしく、だからこそはまりたいと無意識に思っているようで、時折とても寂しさを感じる。平凡なものだから、何者でもない。
このことは心理を学んだり、数秘(33)だったり、ヒプノセラピーを受けてみたりもし、
人と話したりする中で、何度と向き合って、
それが私の良さであると、それなりに消化して昇華させたりもした。が、
この投稿を初めて読んだ頃から、今の今も、
『どこにもはまれない自分』をまだ寂しく思っていたのだな。これはもう私の一部なのだ。
改めて、この文章と出会い、
私は『自分らしく生きようとして来たのだ』と、認めてもらったような気持ちになり、
心に小さくな綺麗な石が投げ込まれたように波紋が起きて、深く吸い込まれていった。
既に与えられていたのだから、再び、染み込むように。
あれから30年近く経ち、
登り始めたというよりはもう折り返し地点を過ぎている私なのだけど、
きっとたくさんの山々の尾根を歩いてきたのだ。そしていつか辿り着くのだろうか。
もう既にたくさんの登山者と関わり合い、すれ違って来たんだな。
まだ、頂には辿り着かない。それでも、
『いつかあの頂で、君と出会う日を楽しみに、
私も登り続けます』
後記
この新聞投稿を、全文引用していいものかと、投稿者の名前を出していいものかと、
ムスコに相談した。現在京都で大学院生をしているでその辺は私よりは詳しい。
引用についての規定に沿いたいものの、どの新聞だったか、いつのものかわからなかった。
その頃私は、五大新聞プラス専門紙数紙を読んで資料作成する仕事をしていたので、正直見当がつかなかった。
「毎日新聞かなぁ」と言ったのだか、
文章送ったらそれこそ秒で、データベースから検索してくれた。朝日新聞だった。
実際には全文ではなく、
文頭に本来、それ以前に投稿されただろうどなたかの相談についてのお返事であることが書いてあった。私はそこを抜いて、書き留めていたのだ。
そう、私のための文章であるかのように。
Facebookで名前を検索した時に同姓同名の方はおられたが、その出身地、経歴などにピンとくる方がいなかった。
データベースによると、私が名前の漢字1文字を間違えていたのだ。
改めて検索したら、ピンとしか来ない方が出てきた。
龍谷大学教授になられておられた。
30年越しにもし届くのであれば、
私の中でこの文章はずっと、ひっそりと、
私を励ましてくれました。
ありがとうございます。