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100年企業の挑戦―三谷産業とみんなのコードが創る次世代の学び場(前編)

NPOとともに築くシリーズ#1


「より良い社会を実現するために、異なるセクターや分野を越えて社会課題の解決に取り組むこと」を目的に、みんなのコードは「NPOとともに築くシリーズ」の対談企画をスタートします!

第1回となる今回は、金沢にある「ミミミラボ」を一緒に運営する三谷産業の三谷社長にお話を伺いました!

この記事では、三谷産業の歴史やミミミラボの誕生秘話、そして利根川との対談を通じて浮かび上がる「複合商社」としての挑戦や未来へのビジョンについて深掘りしていきます。普段なかなか聞けないお話もたっぷり伺いましたので、ぜひお楽しみください!

※この記事はみんなのコードコーポレートサイトからの転載です。

【プロフィール】
話し手:三谷産業 代表取締役社長 三谷 忠照 氏
慶應義塾大学経済学部経済学科卒。米国サンフランシスコ市のベンチャーキャピタル、DEFTA Partners にてアナリストとしての勤務を経て、シリコンバレーで二社の起業経験を有する。2010年三谷産業 取締役就任。2012年に帰国し、三谷産業 常務取締役を経て2017 年より代表取締役社長就任(現任)。金沢大学附属高校特別講師、(一社)金沢大学教育NewPlatform理事。

聞き手:みんなのコード 代表理事 利根川 裕太
慶應義塾大学経済学部経済学科卒。2009年にラクスル株式会社の立ち上げから参画し、プログラミングを学び始める。2015年には一般社団法人みんなのコードを設立(2017年よりNPO法人化)、情報教育の普及に尽力。その後、複数の政府委員会で委員を務め、2024年横浜美術大学客員教授に就任、文部科学省「初等中等教育段階における生成AIの利活用に関する検討会議」委員。

ミミミラボ
ミミミラボは、金沢を創業の地とする三谷産業とテクノロジー教育の普及を目指すNPO法人みんなのコードが運営する子どもの居場所です。10代の子どもたちが、気軽に、安全にテクノロジーに触れられる場を提供しています。好きなことに打ち込む場であると同時に、少し大人のメンターたちとのつながりを通して子どもたちにとっての新たな心の拠り所となることを目指します。


100年を超える歴史と未来への挑戦:三谷産業の歩み

利根川:
今回の記事では三谷産業さんの本社があるここ金沢への思いも含めてお伝えできたらと思っています。まずは、会社の歴史や大切にしていることなどお伺いできますか?

三谷氏:
そうですね。三谷産業の創業は1928年で、もうすぐ100年になります。当時は石炭の卸売業を中心にしていました。工場や銭湯に石炭を納品していて、祖父が自転車で金沢中を回って営業していました。創業当初は石炭を仕入れて販売するというシンプルな卸売業からスタートしましたが、時代の流れとともに、ただ石炭を売って終わりではなく、顧客が効率よく使用できるように提案する「エンジニアリング営業」に取り組むようになりました。例えば、顧客が「10トンの石炭を注文したい」と言った時、実際には6トンで十分だと計算して提案するんです。

利根川
お客様に対して、必要以上に売るのではなく、効率的な提案をしていたんですね。

三谷氏
そうなんです。このアプローチは当時、他の会社から笑われていたようです。「自ら売り上げを減らしているなんてバカじゃないか」って。しかし、それらの会社は今ではほとんど残っていません。結果的に、私たちはこの方法でお客様との信頼関係を築くことができ、今の三谷産業の基盤となっているんです。

利根川
信頼を得るために、顧客のニーズを深く理解し、効率を提案していく姿勢が大きな要因だったのですね。

三谷氏
はい。顧客の生産計画やボイラーの型式などを詳細に分析し、「この方法であれば石炭の使用量を減らせますよ」と提案しました。これは、ただ商品を売るだけではなく、エンジニアリング的なアプローチで顧客に最適な解決策を提供する姿勢が信頼を得たポイントだったと思います。

利根川
三谷産業がこれほどの歴史を持ちながら、今のような多角的な事業展開に至ったのは、時代の変化に柔軟に対応してきたからなんですね。特に、戦時中や戦後の変革が大きな影響を与えたと伺っていますが、そのあたりについてもお聞かせいただけますか?

三谷氏
そうですね、一番ショッキングだったのは、第2次世界大戦中のことです。当時、石炭が統制物資となり、自由に売買できなくなったんです。特に県境を越える輸送が禁止されてしまい、私たちの主要なお客様だった富山の工場への石炭納入ができなくなったことが、大きな打撃でした。石炭が売れないという状況に直面し、社員は真っ青になったと思います。

利根川
それは相当な危機ですね。石炭が主力事業だった中で、売り物がなくなってしまうというのは、経営の危機だったのではないですか?

三谷氏
そうです。しかし、同時にそれが転機でもありました。お客様から「石炭と同じやり方で、化学品を売ってみたらどうだ」と提案されたんです。それがきっかけで、化学品の卸売業に進出することになり、戦後の事業展開の柱ができたんです。今振り返れば、不幸中の幸いというか、最大の危機が最大のチャンスに変わった瞬間でしたね。

利根川
なるほど。結果的には三谷産業の事業の幅を広げるきっかけになったということですね。

三谷氏
まさにその通りです。石炭の販売が突然止まったことで、「何を売ってもいい」「お客様の役に立つことなら何でも提案しよう」という新たなマインドセットが生まれました。それが化学品の販売だけでなく、資源の再利用や環境対策といった現代のビジネスにもつながっています。

利根川
そのような柔軟な対応と顧客への提案力が、今の三谷産業の基盤となっているんですね。

三谷氏
はい。例えば、戦後すぐの時代には、顧客の廃棄物を再利用する取り組みも始めました。例えば工場から出る廃材を、「これは何か別のことに使えないか?」と練炭工場などに売ることで資源の再利用を促進しました。これは、現在のサステナビリティや資源循環のビジネスの先駆けと言えるかもしれません。

利根川:
その経験が、三谷産業の新しい事業にもつながったわけですね。

三谷氏:
はい。それに加えて、私たちはただ石炭や化学品に留まらず、様々な事業に進出しています。コンピュータの事業、住宅設備の事業、空調設備の事業、エネルギー関係など、現在では6つの事業セグメントでビジネスを展開しています。社名に「産業」とつけたのも、日本の産業全体に貢献したいという思いが込められていると思います。その傍らで、みんなのコードさんとともに創設したミミミラボは情報システム関連事業の一つに位置付け、力を入れています。

総合商社ではなく「複合商社」:異分野を掛け合わせるイノベーター

利根川:
三谷産業さんは、石川県の総合商社として地域では有名ですよね。

三谷氏:
実は「総合商社」という呼び方に少し違和感を覚えています。よく聞く総合商社と言えば、住友商事、三井物産や三菱商事のような大企業を指しますよね。ですが、私たちはそれらとは少し異なり、自分たちを「複合商社」と呼んでいます。ITと化学品、空調と自動車部品といった異分野の掛け合わせを行い、さらにはベンチャー企業など5000社を超える取引先と協力しながら事業を展開しています。

利根川:
それが「複合商社」という言葉に込められた意味なんですね。

三谷氏:
はい、その通りです。複数の業界や技術を組み合わせて、新しい価値を提供することができるのが、私たちの強みです。例えば、A社というお客様に対して、他のお客様や仕入先であるB社やC社の技術や製品を組み合わせて問題を解決する。これが私たちのユニークな点で、総合商社さんにはできない領域で勝負しています。だからこそ「複合商社」という呼び名を選んでいます。

利根川:
それはまさにイノベーションですね。

三谷氏:
そうなんです。私たちは「イノベーション」という言葉の持つ「新結合(ニューコンビネーション)」という意味を重視しています。新しいものは、既存のもの同士を結びつけ、新しい価値を生み出すことで生まれます。商社としての私たちの役割は、A社とB社を繋げたり、C社とD社を掛け合わせたりして、イノベーションを生み出すことなんです。

利根川:
お客様のために複合的な課題を解決するという姿勢が、時代に合っていますね。

三谷氏:お客様のニーズも以前より複雑化しています。単一のソリューションでは解決できない複合的な課題を、私たちの複合商社としての強みで対応していく。これが今後の私たちの使命だと思っています。


テクノロジーとアートの交差点「ミミミラボ」

利根川:
ここからは、ミミミラボの話を聞いてもいいですか?ミミミラボは三谷産業にサポートいただいている施設ですが、御社にとってどんな場所でしょうか?

三谷氏:
ミミミラボは、もともとSTEAM教育、特にテクノロジーや科学、そしてアートを取り入れた教育を金沢の子どもたちに提供できればという思いから始まりました。そして、アート思考やデザイン思考は、ビジネスにとっても大きな力になると感じています。ミミミラボの活動を通して、ムーブメントの作り方を学ばせてもらってもいますし、会社としてももう少しその手法を真似たいとも思っています。

実際のところ、子どもたちにとっては、ミミミラボの方が三谷産業よりも有名かもしれませんね(笑)。運営会社の本社ビルがすぐ近くにあるのに、何をしている会社なのか知らない子どもたちも多いでしょう。でも、ミミミラボに来れば、何ができるか、自分の創造性がどう刺激されるかがわかります。特にこの近隣の子どもたちにとって、ミミミラボは心の中で大きな存在になっているはずです。

利根川:
ミミミラボという場所をそのように評価していただけてすごく嬉しいです。なぜこのような取り組みをみんなのコードと一緒に始めようと思ったのですか?

三谷氏:
このエリアは文教地区で、小中学校に囲まれた場所にあります。だからこそ、地元の子どもたちや保護者の方々に何か還元できることがあればと常々考えています。そして、三谷産業のコンピュータ事業は地域の公共事業が多いんです。図書館や学校、自治体、特に教育部門の事業が強いですね。例えば石川県内の小中学校向けのパソコン調達ですとか、あるいは校務関係のソフトウェアやネットワーク構築なども、三谷産業が担当させていただいています。

利根川:
なるほど、それは教育現場へのシステムやハードウェアの提供が非常に重要な役割を果たしているということですね。

三谷氏:
そうです。その事業で生まれた利益の一部を、ミミミラボの取り組みを通して社会に還元できるようにしています。そういった構図だけを見れば社会貢献事業的な側面が強調されますが、実は私たちにとってミミミラボはR&D(研究開発)的な側面も強いんです。ここに集まってくる子どもたちのテクノロジーの使い方が、次の教育現場に活かされるべきものだと思っています。

利根川:
ミミミラボは、まるで研究所のような役割を果たしているわけですね。

三谷氏:
ええ、そうですね。自社で研究所を持たなくても、ミミミラボはリアルタイムで研究開発が行われているような場所だと感じています。そこで子どもたちが楽しんでいる姿や新しい発見を見つけることが、次の提案につながるはずだと考えています。

利根川:
ちなみに、みんなのコードのバリューに「子どもから始めよう」というのがあるんですよね。教育の方向性や内容って、ついつい文科省や有名な学者たちと話し合う中で、「テクノロジーがこうだからこうするべきだ」という方向に流れてしまうことが多いんです。

でも、そうじゃないんじゃないかなと。むしろ、子どもたちが何に夢中になっているのか、どんな変化を感じているのか、ミミミラボには、イノベーションの種があるんじゃないかと思います。
子どもたちの様子を観察できることは、ある意味、ラボとしても機能していると思っています。

三谷氏:
でも、現状としては、最大限にそれを活用できているかというと、まだまだですね。もっと積極的に事業部とミミミラボが連携・協力しあっていきたいところです。今後、文科省が出すガイドラインや学習指導要領に新しい要素が盛り込まれるとき、それが私たちの提案から始まっているようなことになれば、本当に素晴らしいことだと思います。文科省が参考にしたいと思う場所がミミミラボや「みんなのコード」になってほしいと思っています。

利根川:
そうですよね。私たちはそれを目指し頑張っていきたいと思っています。そして、少しずつそれが実現できていると感じています。例えばAIワークショップを開催したときも、学校でやる前にミミミラボで子どもたちの反応を見てから取り組んだんですよね。学校だと45分という時間内で授業を進行しなければならないけど、ミミミラボでは、自由に触れて学んでいる子どもたちの反応を見て、そのフィードバックを基に実際に学校で教える際の指導案に反映させていけるわけです。それが、今後の教育に反映されていくのはとても価値のあることですね。

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