自分自身を苦しめるもの

私を苦しめているものは私自身がいつの間にか自分の中に作り上げた理想像だった。という話。

何が楽しいのか
何が心地良いのか
何が欲しいのか

それがパッと頭に浮かばない状態。

大丈夫な気がするのに大丈夫じゃない心持ち。

何かこう霧が晴れない感じ。

ゆっくり休んでるつもりなのにずっと気が休まらない。

身体のあちこちに日替わりでちょっとした不調が現れる。

カルマか、負のループか、、、


毎朝の瞑想を欠かさないようにした。

自分と向き合うと言ってもそれくらいしか思いつかなくて。

2ヶ月ほど続けたある朝の瞑想でこの息苦しさの正体にふと気づいてしまった。

私が自分自身に課した理想像に。


既に成人している2人の息子。
家庭崩壊してしまって苦しみを抱える2人の甥。

もうみんな大人なのだけど、不便がないように、痛み苦しまないように助けてあげられる私でいたい。

精神的にも経済的にも、頼りになる私でいたい。

そういう理想像が私の中に出来上がっていた。

頼まれてもないのに私は勝手に4人分の人生を背負い込んでいた。

そして自分の人生を生きていなかったことに気づいた。

だから、

何が楽しいのか
何が心地良いのか
何が欲しいのか

それがパッと思い浮かばなかったんだ。

さて、大事なのはここから。

気づいてから、どうするかだ。

この理想像を手放す。

手放すためにどう行動するかだ。


気づきの瞬間というのは、ほんとにモヤモヤした霧が晴れた感じがする。

ああ、これだったか。という腹落ちした感じがする。


私はなぜその理想像に執着していたのか。

その理想に近づけないとどうなるのか。

なぜ4人分の人生を背負ってしまったのか。


私自身が経験したありとあらゆる悩みや痛み。

大切な家族にはできるだけ味わってほしくない。

自分以外の人の悩みや痛みに対する共感、共鳴力がきっと強いのだと。

そして気になるとそれが頭から離れなくなるし、なんとかしないとという気持ちも湧いてくる。

母性も強いのかもしれない。

あと、完璧主義・・・いや至上最高主義という一面もある。


というふうに、ちょっと自分を俯瞰して見れたり。


まずは、4人分の人生を一旦本人に差し戻す。(勝手に背負ったり戻したり)

そして私は私の人生を生きると決める。

少しでも興味のあることをやってみる。

実は今ニートなのでどんな仕事がしたいかを考えてみる。

経済的にはなる早で働かないといけないという現実問題はあるが、焦って決めては危険なので休みつつ急ぎつつという矛盾した心持ちでいる。

実は焦って一度仕事に就いたものの職場の習わしがあまりにも合わずたった3日でメニエール病を発症するほどのストレスだった。すぐ辞めた。

この歳になって、ちょっとしたことでバランスを崩すとすぐに体調に出るようになった。

身体は大事。

もっというなら心身の健やかが何より大事です。

心身を壊してまでやる価値のあることなど何もない。

心身健やかで、今の自分でできることを見つけていく。

そう心に決めて。

そして、どうせ大丈夫。という呪文を握りしめて。

大丈夫を信じられる自分になれたらもうちょっとアクセルを踏んでみようと思う。



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