当たり前と限りあるもの
明日がくること。
朝、目が覚めること。
蛇口から水が出ること。
電気がつくこと。
お風呂に入れること。
布団で寝れること。
これ、毎日当たり前だと思ってしまってませんか。
災害が起きた時、事件が起きた時、事故にあった時。
その当たり前がなくなった時に初めてその有難みを感じるでしょう。
家族が家に帰ってくること。
また明日も友達に会えること。
同じ時間に同じ場所に行けること。
これもまた当たり前と思いがち。
身体が動かなくなった時、心が凍えてしまった時。
多くの事を望み過ぎていたことに気づくでしょう。
私たちはすぐに忘れてしまう。
日々の当たり前がどんなに尊く有難いことか。
日々の当たり前が多くの人の手によって成り立っていることを。
そのことを思えば今すぐにでも感謝と喜びを味わえるかもしれない。
誰にも支えられていない人もいなければ誰も支えていない人もいない。
誰かに救ってもらった人は誰かを救った人でもある。
私たちはすぐに忘れてしまう。
何か立派な事をしなければ自分に価値がないと思ってしまう。
価値なんて見えないものに自分の存在を委ねる必要はない。
もうそこにいるだけで世界に何かしらの波紋と温度を放出している。
たったひとりで自家発電みたいに生まれてきた人はいない。
たったひとりで自給自足で生きてるわけじゃない。
どんなに何かの能力に長けていてもそうでなくても。
みんな誰かに頼らなければ生きていけないのは同じこと。
誰かしか手に入れられないものは幸せじゃない。
誰でも手に入れられるものが幸せだ。
比べていいのは過去の自分だけ。
今の自分でできる事を、目の前のことを誠意をもって取り組んでみる。
それだけで素晴らしいことだ。
命も、時間も、無限にあるわけじゃない。
いつかは終わりがくるのに。
そんなことに命を、時間を使ってる場合じゃないと思うことは手放すことをお勧めします。