長谷川貞夫さん「PC−Talkerを使うようになった訳」
このnoteは長谷川貞夫さんがFacebookに投稿された文章ををまとめたものです。
パソコンで視覚障害者の90%が高知システム開発のPC−Talkerを使うようになった訳
最初の視覚障害者用ワープロの前で動けなくなってしまった有光勲さん。
1.全国の盲学校は毎年夏休み中にどこかの学校を会場として、全国盲学校研究大会を開いていた。
昭和57年8月に、会場校の岐阜盲学校で、私は初めての視覚障害者用ワープロの発表をした。
私は研究会が終わってから、希望者に更にワープロの説明をした。
そこに、高知盲学校から来た有光勲さんがいたのである。
有光さんは特に深い関心を示し、実際にワープロのキーで自分の名前を書いたりしていた。自分の名前が書けた事に、ひどく感動なさっていた。
有光さんは、高知県立盲学校へ帰ってから、岐阜でワープロを体験した報告を行った。
高知盲学校として、早速このワープロを取り揃え実用するようになった。ワープロのパソコンは、富士通が初めて発売したFM−8(エフエムエイト)であり、それに別の点字キーを付ける必要があった。点字キーを既に発売する会社が出来ていた。
2.AOK日本語ワープロの誕生
点字ワープロ第1号機よりもっと進んだワープロが必要だった。
それで私は、必要な装置や六点漢字体系データを送りついにAOK日本語点字ワープロが出来た。
『A』は有光勲さんのAであり、『K』は有光さんの同僚で中途失明の為漢字に詳しい北川紀幸(のりゆき)さんのKである。『O』は大田博志さんのOである。大田さんは東京のコンピュータ関係の会社に勤めていたが、ご家族の事情で高知に戻っていた。
以上の3人が意見を寄せ合い、AOK日本語点字ワープロが誕生した。
3.AOK日本語点字ワープロの決定盤
AOKをより普及する為、音声装置は大田さんの設計により、音声装置を含めた約27万円の製品になった。この製品が50台売れれば元が取れて損をしない事になっていた。
ところがだ、この評判が良く約1000台売れた。それで高知システム開発が誕生したと私は思っている。
4.以上が益々全国の盲学校及び盲人施設や個人に広まり、表題の『パソコンで視覚障害者の90%が高知システム開発のPC−Tal kerを使うようになった訳』という事になったのである。
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