長谷川貞夫さん「フランス革命とルイブライユの六点式点字」
このnoteは長谷川貞夫さんがFacebookに投稿された文章ををまとめたものです。
フランス革命(1789年)がルイブライユの六点式点字に決定的な影響を与えた。
①ルイブライユが点字を発明したのは、1825年である。
そして、43才の時にこの点字が世界に普及する事を知らずに亡くなってしまった。
彼の点字の最大の特徴は2点で作られる63個の符号を、十進法で分類した事である。
aからjまでの10個、それに3の点を加えてkからtまでの10個、などである。また、数符を前に置くとaからjまでが1、2、3....0になる。それから、日本語での五十音をも表している。aからjまでの内、5の点を省いた物が、『あいうえお』であり、5の点を含む物が『らりるれろ』である。
②フランス革命は多くの物を十進法で表そうとした。
例えば、それまでの1週間の7日の名前は宗教に由来するので、1週間を宗教に関係なく10日にした。それから半日の12時間を10時間にした。ところが、この時計制度はいきなり時計の文字盤を10までに直し、また機械の構造をそれに合わせる事が出来なかったので失敗であった。
③成功したのは、北極からまた南極から赤道までを1万キロとした。地球の一周を約四万キロとしたからである。
極から赤道までを1万キロとし、その十分の一を千キロとした。また、1キロを千メートルとした。1メートルは千ミリである。この十進法は成功した。1メートル四方は1平方メートルであり、更に1メートル高くした物が1立方メートルである。
④点字との関係では、この十進法がいかに便利であるかは前述の通りである。
しかし、フランス革命は1814年にまた王制に戻り、1830年に7月革命により今のフランスの共和制に戻った。
ここで言いたい事は、ルイブライユが点字を発明した1825年はこの王制の時代であり、十進法を取り入れる事は困難があった。
だから、彼の点字を当時のパリ盲学校校長は認めなかった。
ルイブライユはその後、世界に普及した点字が認められ、彼の墓はフランスの歴史上の功績者を葬るパンテオンにある。以上、長くなったが、点字の発明がその46年前のフランス革命に関係している事を述べたかった。