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「ご縁の天井絵展」アーカイブ

開催にむけて

 2021年、明行寺の本堂で雨漏りが発覚し、調査の結果小屋裏から上をすべてやりかえる大工事が必要と判明した。紆余曲折を経て、2024年10月に着工の運びとなり、現在の本堂はすべての仏具が運び出され、全体に養生が施され、天井板が外された状態となっている。
 およそ100年に一回のこの機会に接することでしか実感することのできない、伽藍による教化の本質について味わってみたい。そのために、雨染みの染み込んだ天井絵を展示する。浄土真宗の開祖、親鸞聖人の伝える「南无阿彌陀佛」は、自らの口から漏れるその名号、六字の念佛こそが本尊である。そうであるならば、寺とは何か。本堂の屋根を修理することを諦め、緩やかに閉じていくことを選ぶのではなく、大きな資源と労力を割いて、今、改修に向かおうとすることには、一体どのような意味があるのか。真理を学ぶ道場たる寺に施された荘厳のひとつである天井絵から考える。
 「南无阿彌陀佛」のみ教えは、時間・空間を超えて、ただ、私が私に出遇いなおす「よすが」を、念佛の瞬間(今ここ)において照らしだしている。


雨漏り発覚以降のあゆみ


外された天井絵の裏側

 雨染みの染み込んだ天井板を外して見ると、一部、花の絵柄の裏には法名と俗名が記されていた。俗名は懇志を納めた本人、法名はそのご縁となった方のお名前など直近でご葬儀や年忌法要を勤めた縁者であることが多い。いくら本堂に立って天井を見上げても、その裏側に名前が書かれているとは知る由もない。目に映るのは、美しい花天井のみ。そのありようは、まるで阿弥陀如来だ。兆載永劫という果てのない間、修行に励んだその苦労の一端すらも知らせることなく、ただその功徳のすべてを衆生へと回向し、このうえなく美しい極楽浄土へとひたすらにすくいとる。そのさまを知らされる。
 本来見ることのない、出遇うことのない方々の名前。それは、伽藍や仏具、衣といった今目にしているものすべての所以を物語っている。名前の記載の有無に関わらず、無数の人の手で護られ、支えられてきたことの証が、今目にしているもののすべてである。お寺という、懇志(喜捨・布施)によってのみ護持される性質の存在。それを今ここに在らしめる因縁は、現在までのそれぞれの時にお寺を通して念佛に出遇っていかれた数えきれないほどの先達の想いと行動の集積だ。何ひとつ目に見えないと同時に、今すべて見えている。
 雨漏りによって汚れなければ外されることのなかった天井板は、自分自身をおいてほかにない「今ここ」が、その認識主体である自己のはるか埒外から生まれ起こることを知らせてくれる。


本堂大屋根改修工事 懇志納付者リスト

 本堂雨漏りの修繕は、調査の結果、部分補修が不可能で小屋裏から上部をすべて取り替える大工事を要する。およそ5,000万円の見積のうち1,000万円は共済金が降り、残りの4,000万円は全門徒に按分され「一律懇志」として納付されている。見積の5,000万円には、仏具の移動や照明の変更など、屋根の工事以外の必要経費が含まれていない。そのため門徒以外の縁ある方を含めた申し出を「特別懇志」として、現在も募っている。


懇志納付者の名前を一覧で掲示
最終的には木または金属の板に刻み本堂内に設置予定


阿弥陀如来像の下に安置された獅子

 本尊を内陣から移動させる日、須弥壇(本尊や仏像を安置する台で、仏教の世界観の中央に位置する須弥山を象ったもの)の裏側から現れた獅子。理由は分からないが、誰かが本尊の下に据えたものと考えられる。
 「獅子」は、古代インドの時代から釈尊の姿の特徴を表すといわれる「三十二相八十種好相」に登場する。曰く、「上半身に威厳があり、瑞厳なること獅子王のようである。(上身如獅子相)」、「両頬が隆満して獅子王のようである。(獅子頬相)」といった具合に。古くから獅子は魔を払う霊獣であると同時に、その咆哮によって教えを広める、教化の力の象徴であったともいわれている。
 一方、ことわざにある「獅子身中の虫」は、元は仏教経典において「仏教徒でありながら仏教に害をなす者」を言い表す言葉で、獅子に寄生する虫はその身体の恩恵によって生きているにも関わらず、獅子の肉を食い破ってしまうことを例えていた。
 また、「唐獅子に牡丹」という吉祥の紋様とされる表現は、獅子が牡丹を食べることで身中の毒虫から身を守ったとの言い伝えや、毛皮につく虫を牡丹の夜露で退治することができるため、獅子は牡丹の花に身を寄せて安心して眠ることができた、との経典の記載に由来している。牡丹の花は仏であり、その教えたる夜露を受けて、仏の教えに仇なすばかりの、獅子に巣食う虫たる私たちにも、安住の居場所が用意されていることを教えてくれる。

金色の獅子像
目玉はガラス製か
牡丹柄の天井絵横に展示


六種の花天井

・菖蒲

 香りの強さが邪気を払う、葉が刃の形に似ているため魔物を斬る、といわれ、古くから魔除けに用いられてきた。魔を自身の煩悩と考える仏教においては、自分都合の分別から逃れることのできない自己の姿、自分の外に魔を定義し、除外しようとする無明の姿を教えているかのよう。

・松に白鵠

 阿弥陀如来の浄土に存在する六鳥の一つ(六鳥はそれぞれ仏が姿を変えたもの)。白い鶴のような姿で描かれ、視覚的な浄土の美しさ、清浄さを表す。松は長寿の象徴であり、阿弥陀如来の「はかることのできないいのち」すなわち過去・現在・未来のどこにも至らぬところがないことを示す。

・蓮

 阿弥陀如来の浄土への往生は、光かがやく美しい池に咲く蓮のなかに生まれていくものといわれる。また、水面下では濁った泥水に根をおろしながら、目に触れる水の上では美しい花を咲かせる姿が、煩悩の存在として生まれ、仏の悟りを賜る命であることを象徴する花とされる。

・牡丹

 獅子身中の虫=「仏教徒でありながら仏教に害をなす私」、獅子の身にはびこる虫を退治し、安心して眠らせることのできる牡丹の花=仏、を象徴する。中国では古くから、生薬として珍重されていた。その美しさから百花の王として唐代の中国で大流行し、遣唐使によって日本にもたらされた。

・菊

 古代の中国では、不老長寿の妙薬とされ、その気品と美しさから蘭、竹、梅と合わせて「草木の中の君子」と呼ばれた。中国から日本へと持ち込まれたが、経緯ははっきりわかっていない。日本で仏花の代表格となったのは戦後以降、年中栽培される花となり、かつ花の日持ちが良かったため。

・小菊に迦陵頻伽

 阿弥陀如来の浄土に存在する六鳥の一つ(六鳥はそれぞれ仏が姿を変えたもの)。上半身が人、下半身が鳥の姿をした想像上の存在だが、全身を鳳凰の姿で描かれることもある。「妙音鳥」「妙声鳥」とも呼ばれ、浄土の素晴らしさを歌声と楽器の演奏による「音」で表現している。

薄明かりに映える金の縁どり
雨染みが模様のようにも見える


新しい天井絵 「浄土の六鳥」

 千々和仏具工芸社による、「浄土六鳥」の素案。「うたう明行寺」のキャッチフレーズのもと、「歌うように高らかに念佛が響きわたるお寺」、「歌うようにしみじみと念佛のよろこびを表現するお寺」、「同行とともに今生かされている命を歌うように謳歌するお寺」を目指し、浄土で仏法を囀る存在である六鳥を新たな天井絵として迎えたいとの願いから、敲き台となる絵図が描かれている。
 ここから修正を加え、特別懇志を納付された方を中心に彩色のワークショップを行い、希望者が新しい天井絵の色付けに参加できるよう検討している。

「浄土の六鳥」草案


 大晦日から1月3日まで展示した後、2025年1月15・16日の御正忌報恩講、また、前住職の祥月命日でもある2月14日の永代経法要にて改めて展示の予定。


浄土真宗本願寺派 転法輪山 明行寺


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codama
精進します……! 合掌。礼拝。ライフ・ゴーズ・オン。