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共(依)存


恋人にこう言われた。
「コダックがいちばん苦しいのに、俺とこうやって会って話をしてくれて、向き合ってくれて、ちゃんと俺のことを考えてくれて、譲歩してくれるのは、本当にありがたいことでこれを当たり前だと思っていない」

確かに私は恋人を許そうとしていて、信じようと思っている。
でも、これは誰に対してもそうというわけではない。現に私は結婚していても、元夫のときは全く信じられず、許せずだったわけだから。

恋人と付き合って300日が経つけれど、私はとても幸せだった。恋人にはたくさんの愛情をさまざまな形で表現してきてもらったと思う。
その裏では彼は最低の行為をしていた。
でもその最低の行為の原因は所詮、自分さえよければいい、私には言わなければバレることはない、といった短絡的な動機だ。

彼のことを私が許せるのは、彼が私を好きでいるのは疑っていないからだ。私のために何かしたいという気持ちがあって、私との時間を蔑ろにすることも惜しむことも今までに一度もなかった。
だから、私が彼をちゃんと責めて、ちゃんと許そうと思える理由は、今まで私が受け取ってきた彼の気持ちまでもうそだとは思えないからだ。

彼がいないと寂しいという気持ちとか、別れる勇気がないとか、そういう依存が自分のこの彼を許そうする動機になっているという仮説を立ててみる。多分それなら、私は彼を許せない。彼に見えないところで他の人と関係を持ち、恋人をkeepしながら自分にとって楽しいことしかしないだろう。

もうすでに彼は頑張っている。
自分の私生活を見直して、自分で問題点を見つけて解決しようと取り組んでいる。
なかなかできることじゃないと思う。
自分の卑しい部分と向き合うことも、具体的な行動に移すことも。
そういう彼に影響を受けて、私もより良い自分になれるように取り組もうと思える。


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