立派なことって
何かに触れてどう感じるのかというのは、人それぞれだろう
たとえば、私が受験に失敗したという挫折をした時に感じたことを、愛ちゃんは幼稚園のときに作った泥団子が壊れちゃったときに気がついたかもしれない
誰かと触れ合って学んだことを、命尽きるそのときまで気が付かなかった人がいたかもしれない
感じたや考えた人、が偉いんだろうか?
私は疑問に思うことがある
えらい哲学者や社会学者先生たちのほとんどは精神を病んでいる
「とても賢い人でね、そのうち頭がおかしくなってしまったんだよ」
とか
自分で命を落としてしまう人や、人格が破綻してしまう人、革命に身を捧げた人もいる
そうやって、いろんなことを感じて考えて後世に何かを残すよりも
私は、寿命が尽きるまで生きることのほうが何倍もえらいんじゃないかと思うときがある
どんな生き方であれ、生き続けた人間のほうがえらいんじゃないかって思うんです
その人生は
思慮浅い行動の連続だったかもしれなくても、
つらい出来事から自分を逃がして、
苦しいことは正面から受け止めずに対処して、
誇れる生き方とかとは違うかもしれないけど
でも、生きて、人生を全うした人間のほうが
よっぽどえらいんじゃないか
だって、あなたが苦しむのは、まして死んでしまうのは
大切に思う誰のことも幸せにしないんじゃないか
自分が、幸せになるために生きるんだろう
幸せは、正しさの先にあるかはわからないんじゃないか…
立派な人間になってほしいという、叔父さんの願いは正しいのか
結局こんなことを「考え込んで」しまった
きっと、そんな苦しい道を行かずに
普通に幸せになってくれればいいと願われた人も多かろう
幸せになれるよな、そのほうが
犠牲を払ってまで正しく生きたほうがいいのか
その生き方に意味はあると思えるのか