戒
いつまで、悲しみに囚われていてもいいのか、
私にはよくわからない。
父が死んだことはいまだに悲しい。
たとえば、娘が私に宛てて書いてくれた手紙を誰かに捨てられたらとても悲しくて腹が立つと思う。
その人が謝ったとしても、悲しみは癒えず、しょうがないと言い聞かせるだけだ。
もしその人にも娘がいて、もらった手紙を大事にしていたら、私はその手紙を破って燃やしてパウンドケーキにしてしまうかもしれない。
やられたらやり返す。目には目を。
私が作ったお弁当を食べずに捨てられたら、もう二度と作らないだろう。
ただ、いつまで、悲しめばいいのか。いつまで、許さないを続けるのか。もう一度弁当を作ってほしいと言われたら作れるのだろうか。
私は、私を床に寝かせ私の友達と布団を敷いて寝た元カレに、この事実は一生許さないと言ったことがある。許す、すなわち全く気にならないというのは、その人のことを嫌いになったりどうでもよくなったときのな気がした。
私は人の許し方がわかってない。
いいところと、わるいところを相殺する考え方より、いいもわるいも積み上げて行ってるような気がする。
付き合いが長くなるといいところもたくさん知って、悪いところもどんどん積み上がって、どちらにも大きく振れるようだ。好きな人がとても憎いという構図になってしまう。
怒らないように、と思う。私が怒ると全てがおかしくなる。自分を押さえつけるほど頭の中がぐるぐるとまわって、そして爆発してしまう。言葉がとまらなくなる。自分の中で整理ができないから、人に何度も自分のつらい気持ちをぶつけてしまう。弱くて、幼稚なのだと思う。私は怒りとも悲しみとも、適切な距離が取れてない。
私は叱って欲しかったのだ。いつまでも同じことを繰り返し言うなと。力強く受け止めてほしかったのだ、お前の言ってることはわかると。つまり、私は父親がほしいということだ。自分がここまでファザコンとは恐れ入る。
その時からしばらく時間が経っているから、いろいろと考え方も変わってるだろうに、全くそれを知ったときと同じ衝撃を受けて朦朧としてくらくらと怒りに落ちていく。
頭の前の方から虫に食われるような、いたみでもなく、失っていく感じ。溺れるようだ。
私のしんどい気持ちってのは、変だ。
私を好きでいてくれてる、私のこと大切に思ってくれてるとか、それを受け止めるかどうか決めるのも私でいい。人に嫌な思いをさせることだけはダメだ。人を追い詰めても何にもならないのだ。私が追い詰めようが追い詰めなかろうが、事実は顔色を変えない。
いい加減にしなければならない。
私はもっとできるに決まっている。
だって、私はいつだって自意識過剰で、魅力的で、最高なのに、こんなことで躓いて悲しんでたらただのバカみたいだ。