日記418

歯を食いしばる、ことは割と多かった。どれくらい多かったかというと、自分の親知らずの、上の歯2本は自分の食いしばった力で折ってしまうくらいには、歯を食いしばってきたようだ。バキンと音がして、口の中に砕けた歯の破片が散らばるのは砂を噛んでいるようで、全くいいものでもない。

私は、自分のことが好きだ。もちろん嫌いなところもあるけど。
岡田だか岡本だかそんな名前の人が言っていた言葉が耳に残る。
気持ちの整理をするために必要なのは、儀式なのだろう。
火葬をしたから父の死を乗り越えた、成人式で大人になれた、出産で親になれたetc
意識的か無意識的か、私には儀式が必要、というか、性に合ってるようには感じる。

愛、という言葉の真意はこの歳になっても不明だ。
愛の証明は、素数が無限個あることの証明に近しい。もっと複雑だ。私に永遠の時間を与えられたとしても、愛なんてものの証明はできない。いや、永遠なんて時間が与えられたらますます証明なぞ無理だ。私たちは限られた時間のみが与えられているから、愛を確かめ合うような気がする。

私は自分が正しい(と思っている)ことを言っている瞬間が嫌いだ。正しいこと、なんて、私のようなガキが言えたもんじゃない。わたしの中の正義を曝け出すことほど無防備な瞬間はなくて、自分の言っていることの拙さ、浅はかさ、居心地の悪さを感じる。
人は矛盾をする生き物だ。矛盾こそが人、盲目的で愚かしいこそ私なのだ。だが、なんで矛盾をするのか、は、ちゃんとわかっておくに越したことはない。
「モラハラ気質な自分が嫌なんだ」「モラハラ気質になってしまうのは、こういうトラウマやおそれがあって、それをこう考えているからだ」「そういうところを治そうと思ってこう努力をしてるんだ」
説明さえできれば、大丈夫だ。モラハラが治らなくてもその、悩み考えることができたプロセスがきっと大切なんだと感じる。自分の欠点を、極端に気に病む必要もないだろう。
いろいろ書いたがつまり、こういう、自分が正しいと思うことを言う自分が本当に嫌いだ。

私は自信のない想いも、自分の考えが間違いだと思う気持ちもあるが、自分がそう思った事実は変えられないから、言葉にしてみただけだ。ちゃんと考えて喋らない選択を取れる人からしたら浅はかだろう。言わないことで円滑にすることなんて、たくさんあるのだ。私は消化が下手な生き物だから吐瀉物を晒してしまうんだ

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