父と、スシローと、モラルと

これが、去年の今ごろの話。

一年も経ったんだなと思う。そうか、一年しか経ってないのかとも思う。

この時も私は誰か助けてと思ったり、思わなかったりしていた。最初に私の異変に気がついたのは父だった。
父は情緒不安定だから私のために泣いたりもしたけど、沖縄まで足を運んで、いざ、面と向かうと「俺は離婚してない、離婚するとか言うお前がクソだ」と言われた。次の日、か細い声で謝られた。(父親の浮気で苦労したのは母親の方だ。)「自分のこういうところが嫌で、本当に治したいと思っているんだ」と、言った。4年前も同じことを言っていた。

スシローで迷惑行為をした男性の父親の謝罪に対して、「本当に反省していたら、反省がなんの意味もないことはわかるでしょう」というコメントがついてるのを見た。
スシローの株は暴落していて、今は客入りがわるいらしい。その損害を考えたら、確かに、1人の青年が反省したからって、それが回復するわけではないなと思う。「反省が考慮されるのは刑事罰だけで、損害賠償は別」という人もいるし「再発防止(抑止力)のためにも、高額の賠償金請求が必要」という人もいた。私が見た中には「許しましょう」といった類の意見はひとつくらいで、「子供は間違いを犯すものなのだ」という意見だった。
例えば、これで、醤油を卓上に設置している店側の衛生管理の問題だ、と主張してもいいんだろうけど。そんな逆撫でをわざわざ主張するのは少しセンスが悪い気がする。

性善説に基づいているから、卓上の醤油に口をつける人を想定しないという人がいた。
規範(モラル)から外れた何かは想定できないので、その都度罰していくしかないような気もする。
性悪説に則るとなれば、できることが制限されすぎてしまいそうだ。
極端な話、家のものを盗むかもしれないから誰もが決まった場所にしか行けない、全部の人に性加害者になる可能性があるのでGPSを付けるといった話になりそう。

私はぜんぜん善人ではないから、縛りが強くなることに不安を感じる。周りの人間が真面目になっていくことに不安を感じる。私も住む世界が違えばスシローの寿司を犬食いしてたろうから。
だからなんだって話じゃない。反省も、モラルも、性善説も、概念でしかなくて、どこにも通すべき筋がない。

ほんで、元夫も父親も大炎上してるわけじゃないけど、モラルという点では普通に欠けていると思うから、内在してる規範には大差がないと思います。人が外で何をするかは本当に紙一重なんじゃないかって。

そんな私たちが希望を持って明日に向かっていけることを願う。

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